■ 2-17 ■



 いつもより乱暴なノックの音で入ってきたその男は、入って来るなりぐるりと室内を見回し、最後に、出迎えに出た亮の顔を見下ろしていた。
『金のかかった部屋だなぁ、おい』
 そう呟かれた言葉は亮が理解できる言語ではなく、亮に語りかけられたモノなのか、それとも彼の独り言なのか判別が付かない。
「あ、あの。こんにちは。初めまして。成坂、とおる、です。ミスター カウナーツ・ジオット様」
 それでも亮は決められた出迎えの言葉を述べる。
「オレ、英語まだうまく話せないけど、一生懸命、おもてなしします。よ、よろしくお願いします」
 それを聞き、シュラは意志の強そうな眉を、片方くいっと引き上げていた。
「ああ、あんまかまわねーでいいぜ? それから、俺のことはジオットでいい。様なんかつけられちゃ、尻の辺りがむずむずしてくる」
 玄関先で見上げてくる亮の頭に手を乗せると、小さな子をあやすようにガシガシと撫でる。
 それだけのスキンシップに、亮の身体がびくりと固まったのを、シュラは感じ取っていた。
 怖がらせないようにそっと手を放すと、小さくため息をつく。
 レオンから話は聞いていたが、この少年の現状はかなり酷いモノらしい。自分が無造作に取った行動で怖がらせてしまったことに、後悔の念が湧く。
「――ジオット」
 亮は落ち着かない様子で目線を下げると、確認するように呟いていた。
 言われたことはその通りにするが、そうすることでさらに自分が酷い目に遭わされることも多い。
 シュラのあまりにざっくばらんな接し方に、亮はかえって警戒を強めたようであった。
 青ざめた顔で浅い呼吸を繰り返している少年の様子に、シュラはガシガシと今度は己の頭を掻いていた。
 こういうデリケートな状況は得意な方ではない。
 かといって、それを感じ取れないほどの鈍感でもない。
 横で心配そうに成り行きを見ている執事の視線も痛かった。
 どう考えてもここでの自分の役所は悪者である。
「あー、そこの執事。名前は?」
「ノ、ノーヴィスと言います。ジオット様」
「ノーヴィス、なんか飲み物くれや」
「か、かしこまりました。コーヒーでよろしいでしょうか。それとも、お酒を――」
「夜勤明けなんだ。酒はちょっとな。まだ寝ぼけてるから、コーヒー濃い奴頼む。あと、飯」
「は、はいっ」
 ノーヴィスがバーカウンターへいそいそと向かうのを眺めながら、シュラは勝手に奥のテーブルセットへと歩き出す。
 その際に、一度だけ、ポンと亮の肩を叩いていた。
「あそこ、座るぜ? いいか、亮」
「は、はい」
 慌てて亮も後を追うと、テーブルを挟んで向かいの椅子に腰を下ろす。
 豪奢なリビングチェアーにどっかりと腰を落としたシュラは、改めて亮の姿を正面から眺めていた。
 亮の肌は透き通るほど白く、とても自分と同じ東洋系には思えない程だ。ここ数ヶ月の生活が、太陽をほとんど浴びる機会のないものだったとすぐにわかる。
 そして何よりシュラの目を引いたのは、亮の幼さだ。
 一五歳と聞いていたが、とてもその年齢には見えない。西洋人からすれば「彼は十歳だ」と聞いても、そうだろうと納得するほどの見た目である。もちろんゲボの特性も関係しているのだろうが、それにしてもこんな子供を無遠慮に痛めつける連中が居るということが、シュラには信じられなかった。
「――そんなに俺の顔、恐いか?」
 浴衣を着た少年は、膝の上でぎゅっと拳を握り、落ち着かない様子で瞬きを繰り返している。
 レオンに頼まれて来てみたものの、こんな状態では返って亮を追い詰めているのではと心配になってしまう。
「い、いえ。ご、めんなさい、ジオット。ちょと、緊張、してる、だけ――」
 言葉を選びながら話している様子が痛々しい。
「バカ。緊張してるのは俺の方だ。セブンスなんて来たことなかったからな。ここの作法だのしきたりだの、全然わかんなくてよ。勝手に飯まで頼んじまったけど、良かったかな。――飯は有料か?」
「え、あ、ただ、です」
「そうか。じゃ、遠慮なく食うか」
 シュラは口の端で笑うと、運ばれてきたクロワッサンやベーコンエッグに食らいつく。
 豪快なその食いっぷりに、亮もノーヴィスもきょとんとした表情でその様子を見つめるほかない。
「亮は食わないのか? 昼、食った?」
「――、オレ、は、ちょと食欲なくて」
「おまえさぁ、無理しすぎなんだって。そんな青い顔して、飯も食えないほどがんばるんじゃねーよ」
 シュラの言葉に、亮は顔を上げた。
 目の前のカラークラウンは、初めて来たはずなのに亮の何かを知っているような口ぶりだ。
 ほどけかけていた亮の緊張が再び強まった。
 しかしシュラは敢えて先を続ける。
「レオンから状況は聞いている。ガーネットが何と言おうが、自分の身は自分で守る他ないんだ。おまえ自身がぶっ壊れちまう前に、ちゃんとブレーキかけろ」
 たっぷりと塩コショーを振ったサニーサイドアップにかじりつきながら、シュラはそう言っていた。
「――ジオットは、レオン先生の知り合い?」
「まぁ、そんな所だ。だからそんな警戒する必要なんかねぇよ。それに、赤頭の極寒男も良く知ってる。あんな奴、殺しても死なねぇんだから、おまえが無理する必要なんか一ミクロンだってない。自分の身さえ守っていれば、いつか必ずまた会える。だから――」
「嘘だ!」
 突然、亮が驚くほど鋭い声をあげる。
 シュラは口の中のパンを飲み込むと、動きを止めていた。
「また会えるなんて、嘘だ。オレが、ちゃんと仕事しないと、シドは、キルリストに、載るんだ。だ、から。そしたら、もう、オレは、帰る場所、なくなる。オレは、自分で、帰る場所、を、守るん、だ。――ここに、居る人、みんな、シドのこと、嫌い。だから、ジオットは、そんなこと言う、んだ」
 途切れ途切れの息で言い募りながら、亮は燃える眼光でシュラの目を見る。
「と、亮さまっ」
 驚き慌てたノーヴィスの声に、亮ははっと我に返ったようだった。
 一転泣きそうな表情でうつむいてしまう。
 あれだけカラークラウンに逆らうなと言われているのに、こんな風に反抗してしまうとは自分でも思っていなかったのだろう。
「――ごめ、なさぃ。……ガーネット様には、言わないで、ください」
 消え入りそうな声で謝ると、ぎゅっと膝の上で拳を握りしめていた。微かに震えているのが、シュラにもわかる。
 思わずため息が漏れた。
「言わねーよ。――おまえの考えも聞かずに説教くせーこと言った俺が悪かったんだ。外見は二十代だが、中身は六度目だからな。オッサンなんだよ、許してくれ」
 カップに注がれたコーヒーを口に運びながら、肩をすくめてみせる。
「確かにあいつは敵が多かった。カラークラウンなんてシドの名前も聞きたくない奴らばっかだろう。俺だって何度ぶっ殺そうと思ったかしれない」
 言いながら、今度は懐から煙草を取り出すと、一本咥え、オイルライターで火をつけていた。
 シュラは食後の一服を欠かせない主義なのだ。  
 吐き出される紫煙に、亮がそろりと顔を上げた。
「たとえばコレ」
 そう言うと、シュラは手にした煙草ケースをテーブルの上に放り投げる。
「一本くれと言われて渡したら、箱ごとなくなる。――どう思う? 毎回だ。ありえねーだろ」
 目の前に落とされたボックスに手を伸ばし、亮はそっとそれに触れてみた。
 それはシドの部屋でよく見かけた銘柄のもの。
 日本で買うと高いといつも文句を言いながら、封を切っていたのを思い出す。
「まぁ、俺もカートンごとあいつからガメてやったことあるけどな」
「――ジオットは、シドの友達、なのか?」
「どうかな。あいつにそんな価値観があるかどうかわからん。ただまぁ、腐れ縁ではあったかな。亮にもそんな奴、いるだろ?」
 亮はテーブルに肘を突き、身体を寄りかからせると、うつむいたまま頷いていた。
 亮の脳裏に俊紀の顔が浮かぶ。
 身体中に入っていた力が、不意に軽く抜けていくのを亮は感じていた。
「そういう立場の俺から言わしてもらえば、あいつはてめーのケツはてめーで拭く男だ。おまえを隠してたのだって覚悟の上だろう。それをおまえが背負うことはない。――と、俺はそう思うわけだ。ま、これは俺の意見だから、おまえが従う必要はないけどな」
「・・・。オレは――、全部シドによっかかっていたくない。強く、ならなくちゃダメなんだ。全部、ちゃんとこなして、一人前になったら、他のゲボみたく、仕事を任せてもらえる。そしたら、オレ、もっと訓練して、強くなって、いつか、日本に帰る。だから、そん時、帰れる場所、ないと困るんだ。そん時、オレ、強くなったよって、シドに言えないと、ダメなんだ」
 シュラは、俯きながらぽつりぽつりと話す亮の様子に、目頭が熱くなるのを抑えられない。
 今すぐ頭をぐりぐり撫でてやりたい衝動に駆られるが、それをぐっと堪える。
 今の亮にスキンシップは禁物だとわかっている。
 椅子を座り直し足を組み替えたシュラの様子に、亮はふと顔を上げていた。
「――あ、ごめん。こんな話、してるヒマ、ないよな。どうしよ。オレ、もっかいシャワー浴びた方がいい?」
 亮の言葉の意味するところがわかり、一瞬シュラの動きが固まる。
「オレ、何でも言うこときく、けど――、あ、あんまり痛いのとか、苦しいのとか、は、」
「や、あの――」
「ごめ、そだよね。ジオット、優しいから、ちょと、言ってみただけ。何、甘えてんだっての、オレ――」
 哀しげに苦笑してみせる亮の顔に、ジオットは片手で頭を抱えていた。
 なんだってこんなガキがこんなセリフ吐かなきゃならないのか――。しかも言われてこの良識派の自分が、こんなに心臓が跳ね上がらせるとは、思いもしなかった。
 まったく、ゲボの力は恐ろしい。
「いいから座ってろ。俺はおまえを抱きに来たんじゃない。そもそもおねーちゃんしか興味ないからな、俺は」
「――?」
「そうだな。今日はおまえに愚痴でも聞いてもらうか。別にこういうオモテナシとやらもいいんだろ?」
 シュラの申し出に、亮はきょとんとした表情のまま立ち上がり掛けた腰を下ろしていた。
 今までこんなことを言うカラークラウンは一人としていなかった。
 訪れたものは皆、最終的に亮の身体を開いて帰って行く。
 だからシドの友達だという、この男も、当然同じ行為をして帰っていくものだと思いこんでいたのだ。
「ホントに? ホントに話、聞くだけ?」
 おそるおそる、だが期待を込めた瞳で亮はシュラを見つめる。
 その有様がとても子供らしく、自然とシュラの口元に微笑が浮かんでいた。
「だが舐めるなよ。マジで恐い話だからな。――俺が今つきあってる女の話なんだが……」
 シュラが話し出すと、亮はテーブルに上半身を預け、真剣にその話を聞き始める。
 シュラは三十分にわたって、いかに女を怒らせると恐ろしいかをいう教訓を、フィクションを加えながらも蕩々と話し続けていった。
「それで俺は言ってやった。そんなに風呂場が汚れるのが嫌なら、川で洗え!とな。そしたらあいつ、その日じゃなくて、次の日に……いいか、次の日、だぞ? 俺のシャンプーだのブラシだの、川に投げ込んで――」
 話が佳境に入ったとき、テーブルの上に俯せた亮の口元から、スースーという寝息が聞こえ始めていた。
 緊張が完全に解けたのか、亮は珍しく口元に微笑を湛えたまま、気持ちの良い眠りに落ちている。
 シュラはそれを認め小さくため息をつくと、優しげに目を細め、立ち上がっていた。
「あ、ジオット様――?」
 それをそばで見ていたノーヴィスが慌てて声を掛ける。
 しかしシュラはそれを手で制すと、亮のそばに近づいていき、そっとその髪を撫でていた。