■ 2-9 ■



 どういう事だ、どういう事だ、どういう事だ!
 修司が報せを受け取ったのは、香港支社で仕事を一段落終えたときだった。
 部下であり大学時代からの友人でもある武智勝利が、緊急の連絡を入れてきたのだ。
『亮がよくわからない団体に、海外へ連れ出されたらしい』
 入ってきたのは内容の薄いこの一報だけだった。
 しかし修司にはすぐにぴんと来ていた。
 父の取り計らいでないとするなら、残るのはソムニア絡みでしかあり得ない。
 帰りの飛行機でも成田からの道行きでも、修司の頭の中は混乱する一方だった。
 タクシーを飛ばし空港から一直線に、S&Cソムニアサービスに向かう。
 事務所内に飛び込んだときには、もう怒鳴り声しか出せない状況だった。
「どういう事です!? 亮をどこへやったんだ!!」
 突然の来訪者に、秋人はデスクの向こうで目を見開く。
 しかし電話中であるらしく、修司に身振りで少し待つように言うと、真剣な表情で話を続ける。
「あなた達を信じた僕がうかつだった。亮を今すぐ返して――」
「今、その手だてを探っているところですわ、お兄様」
 資料室の扉が開くと、壬沙子が資料を片手に沈痛な面持ちで現れていた。
「亮くんの能力がIICR本部にばれ、連れ出されてしまったのは私どもの落ち度です。ですが、今しなければならないのは、それを反省することではなく、今後どうやって亮くんの身柄を取り戻すか――。その一点のみだと考えています」
 冷静な様子でそう言われると、頭に血が上りきっていた修司も、大きく息を吐き、がっくりと膝を折ってしまう。
 張り詰めていたものがぷちんと音を立てて切れたようだった。
「大丈夫ですか!?」
 壬沙子が駆け寄ると、修司はそれを制し、力の抜けた足を立て直す。
 壬沙子に勧められるまま事務所内のソファーに移動した修司は、壬沙子の手にした資料を元に、現状の説明を受け始めた。
 説明は亮の能力についてやIICRの組織について等、多岐にわたり、一時間近くを経てようやく一区切り着いたようである。
 その間もひっきりなしに秋人は各所に電話を入れているようであった。
「――そんな大きな組織が動いているとは、信じがたいが……」
 シドが日本に足止めを食らっているという事実に、修司は衝撃を受けたようである。
 パスポートもなしに人間を国外移動させたり、理由も告げず足止めしたりできるとは、国に直接ものを言える機関であるということは確かなのだ。
「現在裏ルートで国外へ出られる方法を模索中です。クライヴが本部に行くことで奪還できるとは限りませんが、内部からの働きかけと平行してやはり実力行使の部分を進めておく必要があると思いますから」
「内部? IICRへ内部から働きかける方法があるのですか?」
「私は本部の人間ですので、リアルタイムで情報を受け取り、こちらからも働きかけをすることは可能です。ただ、私も現在はこちらがわの人間として対処されている状況です。以前ほど発言権はありません」
「では――」
「それでも、クライヴは亮くんをあちらへ置いておく気はないようです。私も精一杯協力させていただくつもりです」
 壬沙子にそう言い切られて、修司は苦しげに眉をひそめた。
 彼らも立場をなげうって、一アルバイトである亮を助けようとしてくれているのだ。
 この怒りや焦りを彼らにぶつけてもどうしようもない。
「わかりました。僕も仕事柄、そういった裏からのコネクションをいくつか持っています。内部のことはあなた方にお任せする以外ありませんが、クライヴさんをイギリスへ送る方法を僕もあたってみます」
 先ほどから電話とパソコン操作を繰り返し続ける秋人を見ながら、修司は立ち上がっていた。







「おめでとう。すばらしい成績ですよ、亮さん」
 研究棟にやってきた亮に、ガードナーはそう言った。
 検査により、亮の能力は古神とのコンタクトを主とした、完全なゲボ種であることが証明されたのだ。
 実に九十七年ぶりに見つかった、新しいゲボである。
 喜ぶべき結果であるにもかかわらず、亮は沈んだ表情のまま説明を聞くと、何も言わずにセブンスへ引き返していく。
 従者であるノーヴィスが気遣うように、亮の肩へローブを掛け直し、後に従っていくのが、窓から見て取れた。
 天気のいい今日は、渡り廊下にもさんさんと日差しが入ってきていたが、亮の表情には影が差したままだ。
『検査結果を見ました。古神ですか。これはまた珍しい』
 扉が開くと、隣室から入ってきたのは、同じくローブを羽織ったガーネットであった。
『私も驚きました。三百二十年ほど前、一度記録が残っているだけで、実際本当にそういった神々とのコンタクトがなされるのかどうか、疑問を持っていたものですから――。やはり東洋系の文化で育ったアルマを持つということが関係しているんでしょうか』
『そうですね。以前の記録も確か東洋系のゲボだったと記憶しています』
『それにもまして驚いたのはこの数値です。目覚めてまだ二ヶ月だというのに、既にあなたの能力値と遜色がない』
 ガードナーはそう言った後、しまったというように言葉を濁す。
『あ、いや、それでもまだまだガーネットには及びませんが』
『いえ、いいのですよ、ガードナー。能力の高いものがセブンスに加わるということは喜ばしいことです。それは他のカラークラウンの皆様方に喜んでいただけると言うことですから』
 意外にもガーネットが穏やかに返してきたことに、ガードナーはほっと息をついた。
 ガーネットが、自分の能力に絶対の自信とプライドを持っているということを忘れ、興奮のあまり失言してしまったと思ったからである。
『ヴェルミリオが隠していたというあの子の力、しっかりと皆様方に活用していただかなくては――』
 ガーネットはいつも以上に固く冷たい口調でそう呟くと、部屋を出て行く。
 ガードナーはそれを見送る気にもなれず、すぐにデスクチェアーに腰を落としていた。
『古神を呼び出す東洋の男か――』
 亮の検査結果に目を通しながらそう呟く。
『まるで三百二十年前の記録の再来だな』   







 
「亮さま、そんな悲しい顔されないで下さい」
 部屋に戻ると亮のローブをコート掛けに吊しながら、ノーヴィスは戸惑ったようにそう声を掛けた。
 他のゲボ達が、月に一度の測定日に、能力値が上がっただの下がっただの言いながら、一喜一憂している姿を、ノーヴィスは良く知っている。
 他のゲボ付きの執事たちも、自分の主人の能力がいかに優れているかを各々自慢し、それが元でちょっとしたケンカに発展することもあるほどだ。
 亮の検査結果を知ったノーヴィスには、これを喜びこそすれ、なぜ亮の顔がこんなに悲しそうなのかさっぱり理解できなかった。
「大丈夫です、次は必ず、ガーネット様の数値を超えられますから――」
 ノーヴィスは寝室に置かれたソファーを亮に勧めながら、そうやって亮を元気づけてみた。
 美しい白のヴェロア張りソファーは、優しく亮の身体を支える。
「・・・。ノーヴィスはオレがゲボで嬉しい?」
 視線を下げたまま、低い声で亮が聞いた。
 ノーヴィスは、その問いに、夢見る調子で頷く。
「はい。亮さまがゲボだということは、ノーヴィスがこのまま亮さまにお仕えできるということですから」
「オレはっ! オレは――マナーツが良かった。ゲボなんか嫌だ。ゲボなんかサイアイクだっ。オレは、マナーツが良かったんだ!」
 顔を上げ突如激高する亮に、ノーヴィスはただオロオロとするしかない。
 マナーツになりたいなどというソムニアに会ったのは、ノーヴィスにとって生まれて初めてのことだった。
「亮さま、落ち着いてください。今、お茶をお持ちしますから――」
 ノーヴィスが亮の気持ちを落ち着けるため、簡易バーへ向かおうとしたその時である。
 不意に寝室入り口に作られた玄関の扉が、開かれていた。
『俺が一番乗りだな』
 現れた男は三十代前半の白人である。
 淡い茶色の短髪を立たせ、ジーンズに前開きのシャツを着たラフな格好で、靴のままズカズカと室内へ入ってくる。
『――、ライラック様。あ、あの、今日はまだ亮さまは検査結果を聞く段階で――』
 ライラックと呼ばれた大柄な男は、じろりとノーヴィスを一睨みすると、鬱陶しげに手を振って見せた。
『許可は取ってある。下でライスに聞いてみろ』
『しかし、リザーブ許可をまだ亮さまは出していらっしゃいませんし――』
『ああん? 宦官のくせにうるせぇなぁ。こいつのリザーブ許可はガーネットが出す事に決まったんだよ。こいつ本人に発言権はないの。それに結果は陽性だったんだろ? もうその噂で持ちきりだぜ?』
 突然の展開にノーヴィスは驚きを隠せなかった。
 本人以外がリザーブ許可を出すなど、初めての事だったからである。
 いくら厳しいガーネットでも、そこまでやったことは今まで一度もなかったのだ。
『このガキ、まだ目覚めて二ヶ月なんだって? そりゃ上の者が管理してやらないと、まだ自分の役目もわかってないだろうからな。俺は正しい判断だと思うがね』
 ライラックはニヤニヤしながら、きょとんとした様子でこちらを眺めている亮の顔を見下ろした。
「ノーヴィス? この人、誰?」
「え、あ、こちらは、フェフ・ライラック様です。フェフ種のカラークラウンで――」
「Your first guest. OK ?」
――ファーストゲスト?
 さすがに亮もこれは聞き取ることが出来た。
 ゲストをおもてなしすること――これがゲボの役目であると、夕べガーネットに言われたばかりだ。
「えと、どうしよ。オレ、英語話せないし」
『亮さまは英語がまだご不自由ですので、私が通訳を――』
『はぁ? そんなもんいらねぇよ。いいからさっさと出て行け。時間は二時間って決められてんだ。もったいないだろうがよ』
「と、亮さま、また二時間後に、伺いますから!」
 ライラックは半ば蹴り出すようにノーヴィスを外へ追い立てると、勢いよく扉を閉めていた。
 振り返ったライラックのぎらついた眼に、亮の身体がびくりとすくむ。
『なるほどね。こういうのがヴェルミリオの趣味ってわけだ』
「あ、あの。は、はじめまして。オレ、亮です。トオル=ナリサカ。――どうしよ、なんて言えばいいのかな」
 そういうと、なんとか立ち上がり、笑顔を浮かべて見せた。
『知ってるよ。トオル=ナリサカ。イザ・ヴェルミリオの女だろ?』
 口元に笑みを湛えたままライラックが近づいてくる。
 何を言っているのかわからなかったが、自分の名前と、ヴェルミリオという部分だけ、聞き取ることが出来た。
 イザ・ヴェルミリオ――。それがシドのことだということも、亮にはわかる。
 となると、この男はシドの友人なのだろうか。
「あの、シドのこと、知ってるの?」
『シド? ああ、シドを知ってるかってことか。もちろん、知ってるぜ? 友達だ。友達。わかるか?』
 フレンドという単語を聞き取り、亮の緊張が僅かに解ける。
『セブンスに近づきもしなかったあいつが手元に置いてたゲボだ。よほどイイんだろうな、おまえ』
 応接セットの横まで来ると、男は大きな身体をかがませ、亮の顔をのぞき込む。
 優しげにそう囁かれ、亮は意味がわからず首をかしげていた。
 その仕草にライラックがぺろりと舌なめずりをする。
「そうだ、何か飲み物、持ってくる――」
 ライラックの視線の強さに耐えきれず、簡易バーへと向かい踵を返す亮の腕を、ライラックの太い腕がぐいとつかんでいた。
 痛みに顔をしかめ、亮が振り返る。
『イザ種以外のソムニア、初めてなんだろ? 楽しくやろうぜ? なぁ、亮』