■ 3-12 ■


「それでは、満場の一致を持って成坂宗史氏の社長更迭を採択します」
 会議室に張り詰めていた緊迫感が、その一声でさらに尖りを見せる。
 大きな円卓を囲む重役達の視線は、上座に一人立つ青年に集中している。
 しかし青年は自分の倍ほども年かさの重役達の視線に、泰然とした態度を崩さず、ましてやプレッシャーを受けている風すら見せない。
「本日をもって、当アチーヴインクラインホテルグループの社長は、前フォトスタジオ事業部本部長、谷中好弘氏となります。副社長は私、成坂修司が勤めさせていただき、以降の人事は今週中に追ってご通知させていただきますので、皆様方には各部署での社員達の掌握をよろしくお願いします」
 青年の無言の合図ですぐ横に座していた壮年の男が立ち上がると、円卓を囲む重役達に向かい、社長就任の簡単な挨拶を始め、その挨拶と満場の拍手を持ってこの会議は幕を閉じていた。
 一同が手に手に資料を抱え会議室を後にし、残された修司もようやく重い腰を上げる。
 傍らに座っていた、修司と同年代らしき短髪の青年も立ち上がると、修司の肩をポンと叩き笑って見せた。
 細身だがいかにもスポーツやって育ってきましたと言わんばかりの筋肉質な身体に、ブルーグレーのスーツが似合っている。
「おつかれ。上出来じゃね?」
 しかしこの重苦しい空気を振り払おうとする青年の心遣いを知ってか知らずか、修司の表情は硬く引き結ばれたままだ。
「いや。まだこれからだ。今日の会議の結果、父はすでに知っているはずだ。表向きはともかく、あの人がこの決定に諾々と従うわけがない。それに、谷中の派閥連中をどう抑えていくか――。武智にもまだまだ動いてもらうことになる」
 武智克裕は、大学時代からの親友でもあり直属の上司でもある修司のその言葉にため息を吐いていた。
 ここ数ヶ月というもの、休みというものがまるでない。それどころか、自宅のベッドで眠った記憶すら遠い昔のことのようだ。
 やっと一段落と考えた自分は甘かった。まだまだ自宅でのんびりごろ寝出来る日は遠いらしい。

 三ヶ月ほど前、修司は唐突に自社内の派閥抗争へ一気に割り込む行動を起こしていた。
 彼の父親が一代で広げたこのアチーヴインクライングループは、その急速な発展のため、続々と同業者、他業者を買収し飲み込んでいき、現在の大きな会社へと発展を遂げている。
 それ故内情は決して一枚岩ではない。
 それを成坂宗史の強烈な個性と、彼が直属で使う滝沢一巳とその背後グループによる暗躍によって、強引にまとめ上げてきていたのだ。
 今までそのやり方に不満はあったものの、修司は父の手腕には敬意を抱いていたし、滝沢達の存在も必要悪だと見ぬふりをしていたことを、武智は良く知っている。
 その心の底のわだかまりを振り払うように、修司は与えられた仕事を凄まじい勢いでこなし、常に期待を遙かに上回る成果を上げてきた。
 それを見た重役達やライバル社の人間は、彼の手腕は父である宗史に迫るものがあると囁いたものだ。
 だが同時に、その方法は無難で冒険をしない、ただ効率を追い求めただけのものであるとの言葉も聞こえていた。
 しかし、実際間近で見る武智からすれば、修司のビジネスのセンスは彼の父を完全に凌駕するものであるとわかる。
 無難だの冒険をしないだのは、それを父に求められていなかっただけで、修司もそれを敢えてする必要を感じなかっただけだろう。
 大学時代、趣味で共に始めたデイトレードでは毎回、有り得ない銘柄を有り得ない時期に有り得ない額動かし、修司の持ち金は凄まじい振り幅で動いていた。
 こんなギャンブラーには付き合えないと武智は思ったものだが、結局卒業する頃には数百万の儲けしか出さなかった武智に対し、修司の口座には宝くじ当選金額並みの金がプールされることとなっていた。
 卒業と同時に趣味のトレードを一切やめてしまったらしいが、修司の口座にはまだその時の金が凍結状態で眠っているはずである。
 つまりどういうことかと言えば、修司が冒険しない無難だけの人間であるはずがないということだ。
 それを今回、武智はまざまざと見せつけられる羽目となっていた。

 三ヶ月前。
 突然修司は社長付であるあの滝沢一巳を追放したのだ。
 その根回しを手伝った武智には「さもあらん」と言うような合理的且つ効率的な方法を用いたとわかっているが、あまりに迅速な動きだったため、周囲の人間にはただの社長の心変わりだとしか映らなかったほどである。
 しかし修司の動きはそれだけに止まらなかった。
 今度は何と、外様であり社長との敵対勢力である谷中派の懐柔に取りかかっていたのだ。
 まさかとは思ったが、彼がここまでするとは武智自身も思いもしなかった。
 まだ二十五歳そこそこの若造に何が出来るのかと高をくくっている谷中派は、元の自社を敵対的買収で飲み込んだ成坂を食ってやろうと、渡りに船といった調子で修司が副社長であるという条件ものみ、彼の策に乗ったらしい。
 だが、それすらも修司の計算のうちだと言うことを知っている武智には、何だか気の毒ですらある。
 恐らく谷中政権も長くは続かないだろう。
「おやじさんのとこ、行くのか?」
 部屋を出る修司に声を掛ける。
「ああ。ケジメはつけなくちゃな。これは僕の役割だ」
 彼の父であり、前社長である成坂宗史は、まだ社長室にいる。
 今回の会議が自分のいない所で行われたことにより、どういった内容のものかすでに理解しているはずである。
「なあ、成坂。今さら何言っても遅いんだけどよ。ホントに良かったのか? これで。――亮が聞いたらあいつ、凹むんじゃないのか?」
 修司の血の繋がらない弟である亮が、修司と父の関係の悪化をいつも気に病んでいたことが思い出される。しかも今の亮がどういう状況にあるのかも、武智はよく知っていた。
 数ヶ月前、IICRによって強制的に渡英させられた亮を連れ戻したいと、武智は修司に相談を受けていたからだ。

 修司が武智に複雑な全ての事情を伝え協力を仰いだのにはわけがある。
 武智の母の家系は古くから関東地方を中心に根を張る極道の血筋であり、しかも広域指定を受ける大きな組織の中核を担う家柄である。
 しかし武智はその筋ではない、一般の人間だ。
 それは武智の母がその家系を嫌い、結婚を機に家を出て縁を完全に切ったためである。
 だがそれでも伯父に当たる親武会の会長は甥っ子をとてもかわいがっており、何かにつけて世話を焼きたがるということを修司は聞かされていた。
 親武会といえば港湾関係もとりしきり、海外勢力と争うかなりの武闘派である。国外へのコネクションも強い。
 修司はそれを知っていて、シドの日本出国を助けるためその旨を武智に打ち明けていたのだ。
 もちろん武智が堅気の人間であり叔父の仕事とは一切関わっていないことも、修司はよく知っている。 こんな相談を友人にすべきではないと何度も煩悶した。
 だがあの時はなりふり構っておられず親友に話を持ちかけ、武智もそれを察し何も言わず協力してくれた。
 その経緯があり、武智は亮の現状もソムニアとしての立場も、そして今回の修司による社内クーデターの理由も全て理解しているのだ。

 しかしだからこそ修司が父親と決別する道を選んだことを、亮には絶対知らせてはいけないと思う。
 まだ亮の身体は本調子でないときいている。
 そんな状況で修司と父のことを知れば、きっと幼くなってしまった亮は酷く傷つくに違いない。
「亮にはいつも通り、父親を尊敬してる修にぃの設定でいてやれよ」
「……そうだな」
 僅かな沈黙の後、修司は一言そう言って笑った。
 その辛そうな笑顔とも泣き顔ともつかない表情に、武智はそれ以上何も言えなかった。







「亮くん、そろそろお昼寝しよっか」
 正午。
 亮が怯える時間帯を前に、秋人がそう声を掛けていた。
 きちんと昼寝が出来た日は、亮の体調が驚くほどよくなることにここ数日で気づいていたからだ。
 ノック・バック後の精神的消耗を懸念した秋人であったが、翌日、昼寝をした後にはいつも以上の元気を亮は取り戻していた。
 太陽が出ている時間帯の深い睡眠と、それによってゲストタイムが感覚的にスキップされることが亮にとって良いのではないかと、秋人もレオンも漠然とした推察をたてたが、実際何がそれほど効果的なのかはわからない。
 ただ、とにかく亮の食欲や顔色など、薬ではどうしようもない部分が改善されることは重要で、ここ数日、なるべく毎日昼食後は昼寝をさせるようにしている。
 給湯室の奥にある休憩ルームで早めの昼食を食べ終わった亮は、胸に白ウサギのぬいぐるみを抱えると、ぱたぱたとソファーへと走ってくる。
 今日はシドの仕事の折り合いが悪く、亮はレオンと二人切りの昼ごはんタイムだったらしい。
 そのせいか少々ご機嫌斜めの亮は、何かにつけレオンや秋人に反抗的な態度を取る。
 用意したヘルシー出前弁当も食べないと言い張ったので、じゃあ代わりに注射をすると脅してやっと食べさせたのだ。
「とおる、おひるね、しないの!」
 案の定、ソファーに座った亮は、テーブルの上に散らばったウミキングカードを一枚ずつ彼なりの法則で並べ始める。
 シドのサポートのためデスクから離れられない秋人は、それを苦笑混じりに眺めながら、言葉を続けた。
「お昼寝しないの?」
「うん、おひるね、しないよ」
 真剣な表情をわざと作ってカードを睨んでいる亮の様子に、秋人は思わず表情が緩みそうになる。
 実は亮が昼寝する気満々だということは、膝に抱えた白ウサギのぬいぐるみを見れば一目瞭然なのだ。
 それを、自分が不機嫌だと言うことをアピールしたいが為に、本当は遊びたくもないウミキングカードに没頭している振りをしているらしい。
「じゃ、アキとウミキングカードしようか」
「!! いや! ウミキングカード、したくないもん!」
 急に自分の今やっている方向に話を持って行かれ、怯んだ亮はとたんに手にしたカードをぽいっとテーブルの上に放りだしていた。
「ウミキングカードしないの?」
「うん、ウミキングカード、しないよ」
「じゃ、何するの?」
 そう振られて亮は困ってしまったようで、切なそうに眉根を寄せた表情で秋人の方を見上げると、しばらく首を傾げる。
 だが数秒の思案の後、亮の頭に名案が閃いたようだ。
「――おひるねするの!」
 ぱっと勝ち誇った顔で立ち上がる。
「えー、お昼寝しちゃうんだぁ」
 秋人が残念そうな声をだすと、亮は眉を高く上げますます勝ち誇った顔になる。
「うん、とおる、おひるねしちゃうよ! だから、アキはレオンせんせいと、あそんでね」
 鼻息も荒く言い切ると、亮はベッド代わりのソファーにバスンと寝そべると、毛布の中へもぞもぞと潜り込んでいた。
 お気に入りのタオルケットにくるまり、腕の中には白ウサギを完備している。
「えー、なになに? 何の話?」
 昼食の後片付けを終えたレオンが給湯室から出てくる頃には、亮は白ウサギと一緒にすでに眠りの中であった。