■ 4-12 ■


「どぉしたのぉ? 貴之、ぼーっとしちゃって」
 カラオケボックスの一室。
 しなだれかかる少女は長いゆる巻きの髪先を片手で遊ばせながら、上目遣いに久我を眺めあげていた。
 少女はホワイトラインのセーラー服を着ており、久我と同じ学校の生徒だと言うことがわかる。
 照明の落とされた二人きりの個室は、周囲から聞こえてくる重低音の聞き苦しいBGMにドンドンと部屋ごと揺すられ、決して雰囲気がいい場所とは言い難い。
 だが久我はこのボックスをしょっちゅう利用している。ここは設置されているカメラの半数が偽物で、この部屋はその偽物カメラがすえられている部屋になる。中が覗かれない分、色々な用途に利用できるため、久我はそのまま色々な用途にこのボックスを利用しているというわけである。
 その相手はといえばとっかえひっかえだが、相手の少女もそのことをよく知っているようだった。
「どーせ、三年の結城先輩のことでも考えてんでしょ。それとも、B組の松本レミナ?」
「美貴ちゃん、ホントよく知ってんね。俺のお友達」
「そんなのバレバレじゃん。それにしてもあの真面目で優等生な結城先輩や、モデル事務所に所属しちゃってるガードの堅い松本が、よく貴之みたいな軽い男にひっかかったもんだよねー。どんな詐欺師だっての」
「そんなこというならおまえだってその詐欺師にひっかかってるんじゃねーの?」
「いーの、私は。わかってて引っかかってやってんだから。おまけにカラオケ代だって、このピザ代だって、ドリンク代だって、私が貢いであげてんのよ? もーちょっとサービスしてもらってもいいんじゃないかな」
 美貴と呼ばれた少女はソファーに座る久我の膝に向かい合わせに座ると、久我の首に腕を回して少しにらんでみせる。
「俺はホストかよ」
 渋い顔で眉を寄せた久我に、美貴はしらっと肩をすくめた。
「似たようなもんでしょ!? 私はあんたのこのエロそうな垂れ目とエロそうな涙ぼくろが気に入ってるだけなんだから」
 久我の左の目元を指先でなぞる美貴に、久我は苦い顔で笑う。
「その枕コトバはなんとかならない? そもそも俺より美貴ちゃんのがエロいと思うけど」
「しょうがないじゃない。好きなんだもん」
 いいながらその発言通りの行動を始めた美貴に応えてやりながら、久我が話を続ける。
「例のバイト、まだ続けてんのか?」
「悪い? 一応学校公認のバイトなんですけど。まー、こんなこと話せるのは貴之くらいだよ。外に漏れたらたぶん私も死亡だからね」
「こええな。よく続けられるわ」
「なんか不思議なんだよねぇ。最初先にバイトしてる友達に誘われたときも、全然抵抗感なかったし、むしろ行くのが当たり前……みたいなさ。まぁ初めてってわけでもなかったし、もともとこんなんなんかなーって思うわ。何がどうしてだかわかんないけど、したくてたまんないの。それにお金もいいし、言うことないな」
 美貴の言うバイト。それは久我が以前ホールの天井裏から眺めおろしていた学校内で行われるパーティーのコンパニオンだ。
 コンパニオンと言えば聞こえはいいが、要は客である金持ち相手の売春行為である。それを学校が主催して行っているとは狂気の沙汰であるといえた。
 素人、しかも高校生を使ったこれだけの大がかりなシステムなら、通常どこからともなく情報は漏れ、すぐにでも事件は露見してしまうものである。
 しかしそれがないのは、システムを作り出し管理している者がソムニアであり、セラからの完全な洗脳作業を実践しているおかげだ。
 特に学校関係者しか訪れないような閉ざされた「スクールセラ」のようなところは、IICR警察局などからも目が届きにくい。そこで、久我のような個人で動いている賞金稼ぎのソムニアの出番というわけである。
 まだ金額すらかけられていない事件ではあるが、これだけ大きな事件だ。うまくものにできれば、当分は遊んで暮らせる金が手に入る。
 東京のある方面の高校でソムニアがらみの大がかりな組織が暗躍しているという噂だけを頼りに、とりあえず入学したこの高校がまさにビンゴだったとは、自分の運もまだまだ捨てたものではないと、事件の存在に感づいた久我はほくそ笑んだものだ。
「その話さ、本当に俺以外にしない方がいいと思うぜ」
「当たり前じゃない。そんな気もないし、……でも貴之にだけは何でだろう、隠さず話しちゃうんだな。やっぱ、好きだからかも」
「ウソつけw」
 美貴が久我に素直に話すのは、セラ内で久我も同じく彼女に対し暗示をかけているせいである。そうでなければ、美貴だけでなく、この事件に関わっている生徒たちは決して一人も口を割ることはないはずだ。
 現実の学校で目を付けられた生徒がスクールセラで呼び出しを受け、生徒指導室に入っていったら最後、現実世界で学校管理化の下、何の疑問も抱かずに売春行為に身をさらすことになる。しかもそのことを誰に語ることもしない。
 スクールセラの生徒指導室で何が行われているのか、黒幕が誰なのか、その二つは一度洗脳を受けた生徒は脳内から消され、完全に忘れてしまっている。
 スクールセラの生徒指導室に入っていった生徒を現実で探し出し、久我はその生徒に近づいて情報を探ってきた。まぁ、もちろんその際に別にこういう行為をする必要はまったくもってないわけだが、その辺りはいただけるところはいただいちゃおうというのが、彼の人生のスタンスなわけである。
 だが彼の身を挺した諜報活動をもってしても、久我はいまだにそれら事件の核心に触れることができないでいた。
 各界の名士たちを招いて行われるその忌まわしいパーティーを何度か覗くことはできたが、そこで場を仕切っているものたちも全て操られている生徒たち自身であり、久我が本当にしとめるべき相手は見えてこないのだ。
 洗脳された生徒たちのうち、何人かは既に睡眠中の病死というかたちで死亡している。彼らは久我のターゲットではなかったが、この「病死」は不都合になった人間を管理側のソムニアがセラで殺した結果であると、ソムニアである久我は推測していた。それ故に、今探りを入れている生徒たちへもあまり深入りすることはできない。
「もー、最中によそ事考えないの!」
「考えてない考えてない。美貴ちゃんのことだけ考えてる」
「ムカツク! 何でいっつもそんなヨユーなわけ」
「余裕じゃない。余裕ぶってるだけだって」
 へらりと笑うと、久我は慣れた調子で美貴の服を脱がせると、古びた合成皮のソファーへ彼女を押し倒していた。
 人生二度目のソムニアである久我は、こういったコトも普通の高校生の比ではなく経験豊富である。しかしいくら経験豊富ではあっても、飽きることはない。つまり、久我は女の子が大好きなのだ。だから今度の作戦は趣味と実益を兼ねてかなりいい出来だと思ったものだが、それもそろそろ切り替えていく必要があるように思えてきた。
 既に洗脳された子をターゲットにするのではなく、洗脳されそうな子を先に見つけ、その子をおとりに潜らせて洗脳される前に情報を聞きだす――。それができればまったく違った新しい情報が手に入るに違いない。
 だが、まだ無関係な女の子を悪魔に差し出すようで、人道的にちょっと気の引ける作戦でもある。
――そこで思い当たったのがアイツだ。
 女の子を差し出すから、胸が痛むのだ。差し出すのが野郎ならきっとそんなに罪悪感を感じることもあるまい。
 久我の脳裏にはある一人の生徒の顔が浮かんでいた。
「成坂――」
――あれは使えそうな逸材だ。
 にやりと悪そうに口の端を上げた久我の頬に、下から伸びてきた細い指先がざりりと食い込んだのはそのときだった。
「っいっでええ!」
「ちょっと! 突っ込んでる時に別の女の名前呼んでんじゃないわよ、バカ男! 今日はここの代金あんた持ちだかんねっ」
 ご立腹の美貴は、ひっかいた久我の頬をさらにムニリと引き伸ばすとバチンとひっぱたいていた。





 授業が終わり、亮は佐薙の舎弟攻撃を避けるようにいったんかばんを持って校舎を出ると、ぐるりと回って非常階段の下へと来ていた。
 教室を出るときの「成坂くん、また明日ねー!」という佐薙のコールと、クラス中のいぶかしんだ視線が未だに脳裏から離れない。この調子でうまく学校生活をやり過ごしていけるんだろうかと、疲れとも不安ともつかないものがよぎる。
 それから午前中シドにとった行動。
 あれを思い返しても、別の種類ではあるが同じく不安に似たものがよぎっていた。
 ここのところまともにシドと話も出来ていない。
 何か言いたいことがあるはずなのに、会うと何を言いたかったのかよくわからなくなり、それからケンカになってしまうのだ。
 今朝の亮の態度も、きっとシドには不快なものだったに違いない。
「一度、ちゃんと謝らなきゃな……」
 シドが仕事で大変なことはよくわかっている。
 その上自分のことでイライラさせているのだとしたら、それはなんだかとてもよくないことのような気がする。
 この間、古本屋に言われて亮はやっと気づいていた。自分がシドに何を話したかったのかを。
 ただ、少しだけでもシドの役に立ちたいんだと、そう言いたかっただけなのだ。
 謝って、それからそのことをシドに話そう。
 今度はいつもみたいに大声を出したり、怒鳴ったり、嫌な言い方をしたりせずに。
 亮は人に姿を見られないように気を配りながら、コンクリート製の非常階段を上っていく。
 特別教室のある階までたどりつくと、そっと扉を開け、靴を脱いで中へと身を滑り込ませていた。
 常に人の目を気にしろと言われている亮は、必要以上にこっそりとLL教室前へと移動し、ドアに手を伸ばす。
 しかしドアには鍵がかかっているらしく、取っ手はカチリと音を立て、亮の手に回されることを拒絶していた。
――いない、のかな。
 中から鍵を掛けていることも考えられる。
 ベランダから覗けば、中にシドがいるのかどうかわかるだろうと思いつき、亮は隣の特別教室のドアをこっそりと開けていた。
 そこはたくさんのパソコンが整然と並ぶパソコン実習室。この時間はひっそりとしており、授業中にははしゃぎまわっている生徒たちの姿もない。
 夕方の傾いた黄色の光が窓の外に見えるが、実習室の中はすっかり陰になり時間が止まってしまったかのようだ。
 二つある入り口のうち後ろの扉を開けた亮は、その静やかな空間へ身を滑り込ませていた。
 向かいにあるベランダから隣のLL教室を覗こうと足を進めた亮は、ふと、教室の前方に電源の入っているパソコンが一台あるのを見つける。
 室内に人影はないのに付けっぱなしの画面に、亮は誰かの消し忘れかと近づいていた。
 画面を覗き込むと、ウィンドウズのスクリーンセーバーがお馴染みのロゴを繰り返し画面上へ流している。
 消し忘れなら終了しておいてあげた方がいいだろうと、亮はパソコンのマウスに手を掛けた。小さな動きですぐに画面は復活し、モニター上に何やら計算式や、問題文のようなものが現れる。
「――これ」
 何だろうと瞬きをした亮の肩が、次の瞬間背後から近づいてきた誰かに、不意に強く掴まれていた。
「何をしている!」
 びくりと振り返った亮の前に、中年の男性教諭がにらみつけるように立っている。少々目立つようになってきた腹回りを除けば、まだまだいけていると自称する濃い顔立ちにきっちりと撫で付けた髪型。亮のクラスの担当ではないが、たしか同じ一年生を受け持つ数学の教諭で、灰谷という名だったと亮は記憶していた。久我が以前話していた所によると、新婚でかなりの愛妻家だと聞いている。
「え、あ、つけっぱなしだったから、消そうと思って――」
 言いかけた亮の言葉を遮るように、灰谷は言葉を重ねる。
「おまえか! 最近試験問題が漏洩しているといううわさがあったが、おまえ……」
「っ!? ちが……、オレはそんなの知らな」
 思わぬ容疑を掛けられ、亮は慌てて首を振っていた。
 しかし灰谷は太い眉を吊り上げたまま、亮の頭から足先まで何度もじろじろと眺め回す。
「一年生だな。何組だ。今度の実力テスト、自信がなかったのか」
「違います! オレ、ホントにただパソコン消そうとしただけで」
 必死の様子で言い募る亮を眺めおろすと、怒りを抑えてでもいるのだろうか、灰谷は震えるように息を吐いていた。
「用もないのに、この時間この教室に近づく生徒はいない。違うか」
 そう言われれば、亮は答えることができない。
 シドに関わりがあると思われることは、絶対に避けろといわれ続けてきたことなのだ。エドワーズ先生に会いに来たなどと口が裂けても言えるわけがない。
 答えに窮し黙り込んでしまった亮をパソコンデスクに追い詰めるように、灰谷は一歩近づいてきた。
「クラスと名前を言え」
「……一Cの成坂、です」
「最近はデータを簡単に持ち帰ることが出来るからな。問題をコピーしたメモリーを今すぐに出せば許してやる」
「ほんとに、オレ、そんなの知らないから――」
「よし。わかった。成坂。そこまで言うなら先生が今からお前の言うことが本当かどうか検証する」
「検証って……、」
 言葉の意味が分からず聞き返した亮に、苛ついた様子で灰谷は大きくため息をついていた。
「私もまだ問題作成途中だ。こんなことは早く終わらせて嫁さんの待つ家に帰りたいんだ。お前にやましいことがないならば異存はないはずだ。そうだろう、成坂」
「……はぃ」
 有無を言わさぬ様子の灰谷にうなずくしかなかった亮は、灰谷に言われるまま手にしたカバンを開けて見せ、さらに制服の上着を渡すとポケットを探らせる。
「ふむ――、見当たらないな」
 亮の学生服を一通り調べ終わった灰谷が、解せない様子で眉をひそめる。
「もう、いいですか?」
 早くこの場から離れたい亮は、ついせっつくようにそう声を上げてしまっていた。それがこの数学教師には気に入らなかったらしい。
「先生も生徒であるお前を疑いたくはないんだ。だが、そんな反抗的な態度や疑わしい行動をとられれば、どうしても確かめざるを得なくなる。――まだズボンのポケットが残ってるだろう」
 制服をそばのパソコンに掛け仰々しく息をつくと、灰谷は無理やり亮に後ろを向かせ、背後から亮のズボンのポケットへするりと両手を滑り込ませていた。
 驚いた亮が反射的に身をよけようとすると、灰谷は強い調子でそれを制す。
「じっとしていろ! これで終わりだ。それともここに何かよくないものでも入っているのか!? ん?」
 そう言われ亮が従順におとなしくすると、灰谷の大きな手が窮屈そうに両のポケットの中をまさぐり始めていた。
 しかしどれだけ探ろうと、当然亮のポケットには何も入ってはいない。狭い空間でそれはすぐにわかったはずだった。
 だがこんな真似までした手前か、灰谷の手はなかなか引き出されようとしない。
「先生……、も、オレ、ホントに知らないから――」
 肩越しに亮が振り向くと、屈みこむように亮の腰へ手を伸ばしたままの灰谷と視線が合う。
 そのとき、灰谷の喉仏がコクリと動いていた。
「まだ、わからん。この奥に隠してるんじゃないのか? そんなに早く調べを終わらせようとする辺りが……、怪しいだろう」
 最後のほうは己につぶやくような小さな声になり、再び灰谷の検証が再開される。
 ポケットの底を探るように指先が動かされ、何度か指の背が亮の中心部に当たる。
 最初は偶然だと思った。しかし、次第に指の背は明らかに亮のそれに当たるように押し付けられ、意思を持って上下に動かされ始めていた。
「あの、先生――」
 逃れようと身をよじるが、呼吸の上がった灰谷は凄まじい膂力でそれを許さない。
「なんだ、一年生。こんなところに何か隠しているんじゃないのか?」
 言いながら灰谷の右手は亮の未成熟なその形を確かめるように、今度ははっきりと指の腹で撫で上げる。
 同時に左手で亮の内ももの感触を楽しむように、さすり始めていた。
――ヤバイ!
 どこからこうなってしまったのかわからなかったが、今のこの状況はどう考えても危険だ。この教師はゲボにあてられてしまっている。
 そう亮にもわかったが、暴れて逃げ出して大きな事件になるのも問題だ。亮は極力目立たないようにしなくてはならないはずなのだ。
――どうしよう。
 どうしよう、どうしよう、どうしよう。そればかりが頭の中を流れ、何度か脱出を試みてはみたが今の灰谷にはその程度の抵抗ではどうにもならない。
 その間も灰谷の指先は次第に大胆になりながら悪戯を繰り返し、今では完全に背後から亮を抱きしめる形になっている。
「ん、も、ホントに許してくださ――」
「許さんぞ、成坂。先生を甘く見るな。ここだろ、ここに隠して――」
 灰谷の太い指先が布越しにぎこちなく亮のそれをつかみ、強くひねり上げていた。
「ぃぅっ!」
 痛みに亮の身体がビクンと跳ね上がり、灰谷は背後からその感触を楽しむように息を荒げて頬を摺り寄せる。
「っ、はぁ、はぁ、はぁ、……まったく、私を甘く見て――、カンニングなど恥ずべき行為だぞ……」
 灰谷の右手が引き出されると亮のベルトにかかり、カチャカチャと音を立てて外しにかかっていた。
 左腕は亮の首に回されがっしりと固めてしまっている。
――どうしよう!
 足を振り上げ机を蹴る。そうすればこんな状況あっという間に打破できる。とりあえず、ここから逃げなくちゃ!
 そう頭ではわかっていた。
 だが、なぜか力が入らない。夢の中のように、力を入れれば入れるほど鉛のように身体が重く、身動きが取れなくなる。
 亮自身も気づいていない傷口から心の闇が溢れ出し、亮の身体を呪縛してしまっているのだ。
――なんで動かねーんだよっ!
 亮が再び重たい足を振り上げようと、真っ青な唇をかみ締めた時だった。