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最近なんだかアイツの様子がおかしい。 今までもあまり教室にはいないタイプだったが、ここ数日は休み時間になると必ず姿を消し、昼休みすら弁当も食べずどこかへ行っている。 どうやってあいつを仲間に引き入れるか案を巡らせている俺としては、やつの情報は全て手元にそろえておきたい。 俺の調査によると、最近あいつは三時間目の休み時間には必ず購買部へと足を向けている。 普段はつけるだけでそこで何をやっているかまでは調べることが出来ずにいた。 それは成坂のやつは異様に勘が鋭く、とても一つ所にとどまったり、ましてや近づいたりはできないからだ。 昼休みに購買部というのは普通の行動パターンだが、三時間目の休みというところが気にかかる。 何とか調べる方法はないものかと思っていた昨日、成坂は珍しく三時間目の休み時間、購買部へと足を運ばなかった。 そのいつもの行動すら取れないほど、成坂は妙に思いつめた顔をしていた気がする。 ただ、昨日は成坂本人をつけて、職員用の下駄箱やら駐輪場やら、意味の分からない場所をふらついただけで終わってしまった。成坂はぐるぐると校内をうろつくだけで、特に誰と会うわけでもなし、何か行動を起こすわけでもなしで、まったく正体がつかめない。 こんなことなら、今のうちに購買部の謎を解いておくべきだったと後悔したのだが、今日も昨日と同じく成坂はいつもの購買部へと向かうことはなかった。 これは俺にとってある意味チャンスだ。 成坂がそばにいなければ、消しゴムでも買いに来た振りをして購買部を覗きにいくことも出来るだろう。 そんなわけで、俺は今、一人必要もない消しゴムを買いに、購買部へとやってきたわけである。 購買部のあるエリアに入ると、ぐるりと見回す。 奥にある商品棚の脇では、購買のおばちゃんが雑誌をめくりながら時々生徒に受け答えて商品を渡したり、おつりを払ったりしている。 特にどうということもない光景だ。 右手にある自販機コーナーも、昼休みでもないこの時間はジュースを買うものもおらず、人気はまばらだ。 成坂は一体こんなところに何をしに来ていたんだろう。 首をひねりながら俺が奥に進もうと歩き始めたとき、不意に背後から声がかかり、俺は驚いて振り返る。 「あれ、キミ、一年C組の生徒さんかな?」 見れば購買部入り口の左手に用意されていたパン販売用の台の内側から何者かが立ち上がるところだった。 和服に白いエプロンという不思議な格好のそのおっさんは、台の後ろ側にしゃがんでいたため、俺の視界に入らなかったらしい。 「え、あ、そうですけど」 俺が不審そうな目でジロジロ見ていることをどう思ったのか、そのおっさんは腑抜けた笑いを浮かべると「僕はパン屋さんなんだけどね」と、聞かれもしないのに自己紹介をした。 「はぁ。何か用スか?」 胡散臭いヤツだ。 パン屋のおっさんはへらへらと気の抜けた笑いを浮かべながら俺を手招きすると、ごそごそと台の下から何やら巾着袋を二つ取り出す。 「一Cなら、成坂くん、知ってるかな」 ――!! まさかのビンゴか! この胡散臭いパン屋が成坂の何らかの取引相手なのだろうか。何の取引かはわからないが。 「知ってますけど、それが何か?」 俺はこの衝撃を顔に出さないように平静を装いながら近づくと、腕を組みさも興味なさ気に斜に構えてみせる。 しかしおっさんは俺のそんな態度も全く気にせず、嬉しそうにうなずくと、手にした袋を俺に手渡してきた。 「これ、亮くんのお弁当。学校お休みしてないんだったら、渡してあげて。もしお休みならキミが食べてくれていいから」 ――!! なんだ、このおっさん! 成坂に弁当だと!? 学校出入りのパン屋とか、関係性が薄すぎるのにこの行動はなんだ!? いい年して男子高校生にストーカー行為か!? 普通おっさんが手作り弁当とか渡さねーだろ! 「亮くん、昨日も来なかったから心配しちゃってね。風邪なんか引いたりしてるのかと思って、今日は消化に良さそうなものばかり詰めてきたんだ」 俺の衝撃を知ってか知らずか、おっさんは照れ笑いを浮かべながら頭をかいた。 「いや、別に休んでるわけじゃないですけど――。あなた誰? 何で成坂に弁当とか渡してるわけ? 学校にこういうのバレたらやばいんじゃないスか?」 「ああ、僕は亮くんの叔父でね。たまたまここの出入り業者だったから、親に色々面倒見てくれと頼まれてるんだ。あはは、怪しまれちゃったかな」 ――叔父!! 「メールで連絡してみたんだけど、あの子けっこう気まぐれなところがあるから、返信が必ずあるわけじゃなくてね。心配して気をもむだけになっちゃってたんだよ。キミ、名前は――久我くん?」 「な、なんで俺の名前を……」 「何でって、名札に書いてあるよ。違う?」 あ、ああ、そうだった。 学校がちゃんとネームプレートつけろってうるさくて、今朝は制服チェックがあったせいでいつもはつけていない名札を真面目につけていたことをすっかり忘れていた。 「あ、いや、そうです」 「亮くん、来てるなら、お願いできないかな。お手間をとらせるけど。僕は店があってあの子の教室まではなかなか行けないんだ。それに、キミたちくらいの年の子って、身内が教室来たりするの嫌がるでしょ?」 確かに、それはある。 ということは、この人は本当に成坂の叔父さんなんだろうか。 ……まぁ、こんなウソをついて何か得があるとも思えないし、一応そう言う形で俺の中に情報を入れておくことにするか。 「わかりました。成坂に渡せばいいんスね」 俺は二つの巾着を受け取ると、気安い感じでうなずいてみせる。 「ありがとう! 助かるよ。――亮、クラスではうまくやってる? あの子無愛想な所があるからちゃんと馴染めてるのか心配なんだ」 「まー確かに無愛想っすね。馴染めてるって感じじゃないけど、別にいじめられてるわけでもなし、本人はそれでよさそうなんでいいんじゃないですか?」 「え! もしかして、あいつ、お友達もできてないのかな――」 亮の叔父さんは俺の言葉に少なからずショックを受けたようだった。 「いや、一応それっぽいのもいますよ。まぁ、一方的にそいつらが成坂を追っかけてる感じっすけどね。無愛想だけど、成坂のこと気にかけてるやつはクラスに結構いますしね。そんな心配するほどじゃないです」 「あ、ああ。そうなんだ。以前はあんな暗い子じゃなかったんだけど、色々あって、今みたいに笑顔を見せない子になってしまったんだ。詳しく話すと亮にしかられてしまうから、これ以上は話せないんだけど――」 ……色々あって? 何があったんだろう。 以前は笑ってたってことは、この間成坂が出かけたときに見せたあの表情が、本来のあいつということなんだろうか。 「だから家族もみんな心配しててね。――良かったらこれからキミが、亮のお友達になってあげてくれないかな。久我くん、いい子だし、きっと亮もキミみたいな友達ができれば、少しずつ前の明るさを取り戻せる気がするんだ」 「は、はい。別に、それは構わないっすけど」 俺がうなずいて見せると、おっさんは心からほっとしたように胸をなでおろすと微笑んでみせる。 なんかこの人、憎めない感じだ。 話しているうちに、ピリピリと張り詰めていた俺の神経が丸められていくのを感じる。 なんというか――悪い人じゃなさそうだ。 「良かった! あ、でも、僕がこんなことキミにお願いしたなんて亮に知られたら大変だ。余計なことするなってへそ曲げられちゃうと思うから、内緒にしてくれるかな」 「ああ、まあ、わかりました」 俺にとってもそんなことで成坂に遠ざけられては困る。 とりあえず弁当渡すだけで、このおっさんと色々しゃべったことは内緒にしたほうが良さそうだ。 「ありがとう、久我くん」 そうだ。 こいつが本当にそんな成坂に近い相手なら、あの日成坂が外で会っていた人物が誰かも知っているかもしれない。 こいつが知っていれば儲けもの。知らなければ、こいつの叔父さん説はすこし怪しいと踏める。 「あの、最後に一つだけ、いいですか?」 「ん? 何かな?」 「こないだ、成坂が外でスーツ来た男の人と会ってるの見たんですけど、あれ、誰だかわかりますかね」 「……こないだっていつかな。日付、覚えてる?」 「えーと、あー、先々週の日曜日です」 おっさんはうーんと考えるそぶりをするともう一度俺に質問をする。 「その男の人は、二十台半ばくらいで、黒髪の、こう……ハンサム。いや、イケメンって今は言うんだっけ? そんな人だった?」 ――! 二十台半ば、黒髪、(俺と同じくらい)イケメン。 確かに俺が見た人物像と一致している。 「そ、そうです。多分その人」 「あー、じゃあ、修司くんかな。こないだの日曜に珍しく休みが取れたって言ってたし……」 「修司……?」 修司という名には見覚えがある。 成坂の名簿を調べたときに、確か保護者の欄にその名前が書いてあった。 しかし俺の見たあの男は、保護者にしては若すぎる。 「成坂 修司くん。亮くんのお兄さんだよ。今は事情があって、彼が亮くんの保護者ということになってるんだ。久しぶりに二人でおでかけでもしたのかな。あそこの兄弟は仲がいいから――」 兄!! そうか、なるほど。 兄貴ならあんな感じに親しくても不思議はない。 どうしてその考えが自分に浮かばなかったのか。 一番は成坂の家庭環境の欄に保護者の記述はあっても、兄弟の記述がなかったからなのだが、それにしてもマヌケな話だ。 とにかくこの人のおかげで、気になっていたことが一つ解決した。 あ。何だか胸の奥がほんわか満たされていく気がする。 俺、そんなにあの兄ちゃんのことが気にかかってたのか。 おっさんにつられて俺もついつい笑顔になってしまうのを抑えられない。 「そっか、兄ちゃんか。いや、たまたま見かけて、成坂にしては珍しく楽しそうだったから、誰なんだろうって思っただけで――」 「ははは。亮のこと、気にしてくれてるんだね、嬉しいなぁ。これからもあの子を支えてやってください」 「は、はい。俺で出来る範囲ですけど。じゃ、これ、渡しときます」 たもとを押さえて手を振る叔父さんに背を向けると、俺は弁当入りの巾着を抱えて、教室へと戻ることにした。 なかなかいい人だった。 しかも有用な情報源だ。 今後何かにつけて、話を聞きだしに行こうかと思う。 そろそろ四時間目が始まる。 俺は小走りになりながら、今日得た情報を何か生かせないかと考えをめぐらせていた。 結局、今日もシドは姿を見せなかった。 いや。それだけではない。 ここ数日、秋人も壬沙子も忙しいようでほとんど亮は見かけない。 いつものように訓練用のセラで決められたカリキュラムをこなしているときすら、シドも壬沙子も現れなかった。 夕食時にちらりと姿を見せた秋人に声をかければ、 「立て込んでてごめんね。あ、でも、発作起きそうな時はちゃんと薬飲んで、緊急コールかけて。ガマンしたら絶対だめだよ?」 そう言われるだけで、忙しそうにまたどこかへ姿を消してしまっていた。 秋人の言うように、ただ忙しいだけなのだろうか。 それとも、何か良くないことが起こっているのだろうか。 問うても得られない答えに、亮は一人考え込み、先ほどから浴びていたシャワーのお湯を止め、頭から水だけをかぶる。 全身を叩き流れ落ちていく冷たい雫で、淀んでいく考えも洗い流せたらと思う。 だが、いくら時間を費やしても、コックをいっぱいまで捻り痛いほどの水粒を受けても、亮の胸の中は濯がれることはない。 気がつけばもう十分近く水をかぶっていたことに気がつき、亮は我ながら苦笑を浮かべると、ようやくシャワーのコックを閉じていた。 亮がTシャツ短パンでシャワールームから髪を拭きながら出ると、一足先に就寝体勢になった久我が、ベッドに寝転がり声をかけてきた。 口にはいつものキャンディーの棒を咥えている。 「おまえどんだけ長風呂だよ。ふやけちまうぞ?」 「……。」 亮はそれに対し言葉を返すことをしないが、久我はかまわず独り言のように会話を継続させる。 亮は自分のベッドへ座り、髪をタオルで逆立てるように無造作に拭きつつ、敢えて久我から視線を逸らすようにぷいっと横を向く。 「そういや、おまえの叔父さん、変わってんな。あの弁当あの人が作ってんのか?」 昼休み。亮がLL準備室から戻ると、久我が手に見慣れた包みを持って待っていた。 そう言えば昨日から古本屋の所へ行っていなかったことが改めて思い出され、はっとする。 「パン屋から頼まれたから」の一言でその包みを渡した久我は、その後何も言わずに席へ戻って行った。 もう休み時間は半分以上終わってしまっていたが、亮はその古本屋の心遣いが嬉しくて、席に座って弁当の蓋を開けていた。 純和風の野菜中心で作られた今日のメニューは、昨日から姿を見せない亮の身体を気遣ってのものなのかもしれなかった。 琥珀色に輝く聖護院大根の煮つけや、すりおろした山芋に海老を混ぜ込み、柚子の香りのあんをとろりと掛けた蒸ししんじょ、ひよこ色のふんわりとした出汁巻き卵。彩り鮮やかな空豆と赤豆のグリル。極めつけは、魔法瓶仕様になった器から現れた白粥である。入れられていたメモには『器はいつでもいいから気にしないで』ときれいな文字でつづられていた。ほどよく塩味の効いたその粥は暖かな湯気をあげ、刺々しかった亮の心まで解かしていく。米の甘みが存分に引き出されたその粥と共に柔らかな蜂蜜漬けの紀州梅を頬張ると、亮は思わず口元を綻ばせていた。デザートは抹茶豆乳プリンだ。更に嬉しいことに、モスグリーンの淡い弾力の底には細かく切られたバナナがたっぷりと沈められている。木づくりのスプーンの上でぷるぷると震えるそれは、お粥で熱くなった体温をほどよく冷ましてくれた。 ここ数日食欲もあまりなかった亮だが、古本屋の弁当はそんな亮のお腹を優しく満たしてくれたのだった。 「パン屋のくせに、めちゃくちゃ凝った料理だったけど、いつもあんなもん食わせてもらってんのか?」 口の中でサイダーのキャンディーを右から左に移動させつつ、久我はため息混じりにそう言った。 暇を体現しているようなキャンディーの棒が、ゆらゆらと久我の口元で揺れていた。 「……見たのかよ。中」 「いや、お前が食ってるのちらっと見ただけだけどさ。あいつ、何者だ? パン屋にしてはカッコも変だしさ」 「別に。ただの古本屋だよ」 昼間の弁当を思い出していた亮は、思わず久我の問いに答えてしまう。 「古本屋!? ますます謎だな。パン屋すら仮の姿かよ」 「お前には関係ないだろ」 再び沈黙の体勢に入ろうとする亮に、久我は間髪入れず次の言葉を繰り出していた。 「おまえの叔父さん、変わってるけど、俺は嫌いじゃない」 「――そ、そっか」 思わぬ久我の言葉に、亮は拍子抜かれたようについ剣のない返事を返してしまう。 そんな亮を寝転がったまま眺めると、久我はにやりと笑った。 「いいなぁ、おまえ。あんな使える叔父さんに愛されてて」 「っ、べ、別にそんなんじゃねーよ。ただの弁当だし」 困ったようにもごもご言う亮は幼く、いつもとはまるで別人だ。 思いもかけなかった好反応。 成坂は意外と褒められることに弱いタイプなのかもしれない。それも彼本人ではなく、彼が好意を寄せているものに対してだ。 久我はそう判断すると、ますます今日の出会いに感謝した。 頑なな成坂亮の心の牙城。それを崩す取っ掛かりを、あのパン屋が与えてくれた気がする。 「じゃあそのただの弁当、今度、俺にも分けてくれよ」 「誰がやるか」 無愛想に言い放ち、亮はばすんとベッドへ横たわる。 しかしその声には冷ややかな空気は混ざっていない。 「久我はえーきゅーに飴だけ食ってろ」 二人の領土を分かつように置かれたカラーボックスの向こう側から聞こえたセリフに、久我は驚いたように目を丸くする。 それは実のところ、亮が始めて久我の名を呼んだ瞬間だった。 |