■ 4-21 ■


 目を覚ませば既に朝の九時を大きく回っていた。
 シドの傍らには目を覚ます気配もなく眠る亮が丸まっている。
 この寝方を見ると本当に子犬みたいだとシドはいつも思う。
 二時間前まで行為を続けていたのだ。しばらくは目を覚まさないだろう。
 最後の方は亮の意識はほとんどなかったかもしれない。
 だが暴走した己をシドは止めることができなかった。
 少し負担を掛けすぎたかと反省はしたが、こうしてまた亮の無防備な寝顔を見れば何か悪戯をしかけたくなり、我ながらいかんと苦笑混じりに己を戒める。
 お気に入りのタオルケットをいつものように抱え込んだ亮にはだけたシーツをかけてやると、シドは一人シャワーを浴び、身支度を調えていた。
 今行っている調査で、シドはあるセラに何度も潜行している。
 そのセラは許可のない者が進入すれば凄まじい勢いで体力を削り取る空間変容形態の特異なセラだ。シドクラスのソムニアですら数分潜行しただけで覚醒後、起き上がることもできなくなるほどの危険な場所である。一般的なソムニアならば潜って一分と持たず死に至るだろう。
 その中で行われている非合法行為の実態を探り、その首謀者および関係者全てを一気に消すというのが彼に課せられた仕事である。
 この一気に――という点が一番のネックとなり、全貌をつかむまでなかなか手が出せずにいるのだ。
 一人も逃がすわけにはいかない今度の案件は、相手に自分の存在を気づかせないうちに全てを終わらせなくてはならない。
 人工的にソムニアを生み出す実験とそれに伴うソムニア薬の開発――。それがこの東京のいくつかの高校で、移動しながら試験を続けられている――。その実験は、皮肉にも本部からの情報で安全だと判断され亮を編入させた学校にも触手を伸ばしており、状況が解ったその場で転校、もしくは退学させようと考えたシドであったが、亮の猛烈な反対にあい仕方なく現在に至っている。確かに高校でそうそう編入を繰り返せばかえって目立つことになるし、危険な学校セラへ入り込みさえしなければ問題はないのだ。一般人ならともかく、ソムニアである亮が気をつけさえすれば、行くつもりのないセラへ入り込むことはあり得ない。またシドや秋人の眼がそばにある分、手の届かないヨソの学校へ行くよりも安心である気もしないではない。
 亮がソムニアである限り、危害はそれほど及ばないと判断し、今回は結局シドが折れたというわけである。
 実際問題、本当に危険な目にあっているのは普通の生徒たちだ。
 直接一般人のアルマを操作するこの実験は、古くから世界で禁じられている行為の一つである。ソムニアの覚醒は本人のアルマが危機にさらされたときに起きるものであり、この実験は故意に人間のアルマを消滅の危機に晒す方法が、常にとられることになるからだ。
 しかも今回はその成功例が出ているらしいという話も聞いている。だからこそ、一人も関係者を逃すわけにはいかないのだ。
 この話が漏れれば世界で似たような事例が頻発することになり、ウィルスが拡散するようにあっという間に新しい犯罪がはびこっていくだろう。
 裁判も受けさせず、秘密裏に抹消するのが最善の方法だとシドも納得している。
 IICRから回されるこういった非合法な案件を処理するのがシドの本来の仕事なのである。
 そんな過酷な案件を背負った状況で、ここ数週間、亮とは会うたびに口論となり、さすがのシドも参っていた。
 学校に教師として潜り込む点については、以前エージェント部に所属していたシドにとって何とはないことだったが、亮のことだけはいつも戸惑いっぱなしである。
 セブンスや滝沢との悲痛な過去を思えば、シドは亮にこういった行為をするなど絶対にできないことだと思っていたし、亮自身もそう考えていたはずだ。
 だからシドはこの案件を抱え込んでいる間、亮を自分の元から遠ざけた。
 もちろん、シドと亮の関係を敵に悟られ亮に危険が及ぶのを避けるということもあるのだが、そもそもシドの立場が敵に悟られればその時点で仕事は失敗なのである。そうすればIICR本部が今度こそ出張ってくることになり、シドはお役ご免だ。
 それ以上に不安に思うこと。それは、アルマと身体の限界に晒され続けている状況で、何かタガのようなものがはずれてしまうのではないかと自分に自信が持てなかったことだ。
 精神的に臨界点に達したとき、亮がこの無防備な顔で近寄ってきたら――。そう想像するとシドは亮を側に置いておけなかった。
 一番恐い相手は自分だ。
 ようやく精神を保てている亮に自分がもしセブンス時代を思い出させるような行動を取れば、今度こそ亮は壊れてしまうと、シドは思った。
 セラで亮を抱いた時――。あれは亮の心がまだ彷徨っている状態であり、あの行為は、何とか本来の自分をたぐり寄せようとする亮にとっての自己回復の一環のようなものだった。
 だからあの時のことを敢えて口にするのをシドは避けていたのだ。
 だが、今日は違った。
 壬沙子のラグーツ能力で体力回復の処方をしてもらう為に帰っていたマンション。そこに、鴨が葱をしょって自ら鍋に入って現れたのだ。
 腹ぺこオオカミの口に自分からキスをしてきた赤ずきんに、オオカミが我慢できるわけもない。
 それでも途中踏みとどまろうかと何度も考えたシドの前で、亮はゲボではない亮そのものを晒していた。
 シドは古くからのゲボたちとのつきあいでよく知っている。
 本当に許した相手には、ゲボは能力を自ら消してしまうということを。
 そこに至ってようやくシドは亮がなぜこの数週間自分につっかかってきたのか、合点がいっていた。自分を引き離そうとするシドの態度に不安を覚えていたのだ。シドが自分を嫌いになったのだとか、シドが自分を必要としなくなっただとか、おそらくそんなことが亮の中で重い澱のようにわだかまっていたに違いない。
 もちろん亮自身も今日に至るまで、そんなことに気づいていた感じではない。だからこそこの状況は変に長引いてしまったと言える。
「――だからガキは嫌いだ」
 濡れたままの髪をタオルで無造作に拭きながら、ギシリとベッドをきしませ眠り続ける亮の顔を眺め下ろす。
 ノックバックの時には眠ったままの亮をシドが風呂へ入れてやるのだが、今日は違う。今日は対等な行為なのだ。敢えてシドはシャワーを使わず、軽くウェットティッシュで身体を清めてやるだけにとどめておいた。
 情事のまま、シーツから覗く亮の艶やかな丸い肩をすわりと撫で、頬に掛かった柔らかな黒髪をよける。
「呑気に眠りこけやがって――」
 シドはぎゅっと亮の愛くるしい鼻をつまんだ。
「――んん……」
 眉を寄せ前足で顔を掻く仕草を見せたまま眠り続ける子犬に、シドは口の端を小さく引き上げ、軽い足取りで部屋を出て行った。






 身体が重い。
 体中が痛い。
 ここは、どこなんだっけ――。
 亮はぼんやりとした頭でタオルケットを引き寄せると、その甘い匂いを吸い込み、ゆっくりと目を開けた。
 顔を巡らせば見慣れた天井が見える。
 そこでようやく、ここが事務所のシドの部屋だということに思い至る。
「――っ、シド?」
 けだるい身体を起こせば、乱されたシーツや部屋中に散乱した衣服が目に映る。
 Tシャツに至ってはどうやってあんな所までと言うほど遠くの窓際に、だらしなく引っかかっていた。
 亮の脳裏に昨夜のことが急激に蘇ってくる。
「・・・。マジ、かよ」
 あれは夢だったんじゃないかといつものように自分で否定してみるが、シーツをめくってみれば自分は素っ裸であり、体中に紅い跡が無数に散っている。
 これがどういうときにできる痣なのか、亮は嫌と言うほど知っていた。
 誰もいない室内で、恥ずかしさに亮の全身が炎を上げて燃え上がっていた。
 夕べの出来事は夢じゃない。
 オレは、シドと、した。
 ノック・バックでもないのに、GMDも飲んでいないのに、あんなエッチなことをしたのだ。
 亮はタオルケットを抱え上げるとそれに顔を埋め、しばらく身動きすら取れず羞恥でうずくまるしかなかった。
 どうやらシドは先に部屋を出たようで、この場にいないことがかえって亮にはありがたいくらいだった。
「マジかよ、ほんと、オレ、マジか!?」
 タオルケットに顔を突っ込んだままバカみたいに同じセリフしか出てこない。
 しかしいつまでこうしていても仕方がない。
 きっと秋人は心配しているに違いないし、無事なことは連絡しておかなくてはいけない。
 シドがそのくらいのこと連絡済みだろうという頭すら今の亮にはなく、慌てたように顔を上げると時計を見る。
 壁に掛けられたシンプルなアナログ時計は、既に三時過ぎを指していた。
「ゃば……」
 急いでベッドを降りるが、瞬間カクンと腰砕けになり床に座り込んでしまう。
 それと同時に生ぬるい感触が腿の間を伝い、ゆっくりと粘性を持って流れ落ちてくるのを感じる。
「ぅぁ……」
 己の秘所からとっぷりと溢れるその感触に、亮はぞくぞくと身をすくませ、昨夜と同じ熱い息を吐いていた。
 震える指先で自らの腿をなぞれば、昨夜の名残の白濁がまとわりつく。
「……、も、サイアク」
 シドは亮の見える部分は綺麗にしてくれていたようだが、ここまでは面倒見なかったらしい。
 セブンスにいた頃は眠っている間にノーヴィスがケアしてくれていたし、滝沢に監禁されていた頃も滝沢は不思議と気絶した亮のそこを綺麗にすることを怠らなかった為、実は亮にとってこういう経験は多くない。
 もちろんシドにそんなことまで面倒見て欲しいとは思っていないが、この生ぬるい滴りが淫靡な不快感を与えることに代わりはない。
 何より夕べ自分がした行為を改めてシドに突きつけられているようで、恥ずかしさに喚きながら部屋中転がりたい気持ちに陥る。
「バカシド、っ、――、バカシドおっ!」
 昨夜声を上げすぎ若干掠れた声で、亮は怒り任せに絶叫していた。
 だが決してその表情は沈んでいるわけではない。
 叫んだすぐそばから、再び昨夜のことがフラッシュバックし、またしても全身真っ赤になりながら、亮は半ば這うようにバスルームへと向かう。
 部屋を片付けて、シーツも洗濯して――、身体を洗っている間中、敢えてそんなことを考えつつどうにか平静を保つ亮なのであった。