■ 4-24 ■


 出場者控え室は既に思い思いに仮装をした生徒達で溢れていた。
 誰もがクラスで選抜されただけのことはあり、どこを向いても美男美女ばかりである。
 初っぱなを勤める1Aの二人もメイドと執事の衣装を華麗に着こなし、舞台袖で待機しているようだ。既にステージ上では司会進行の体育委員がミスコン開幕を高らかに宣言している。
 1Cである亮たちの出番はすぐそこだ。
 嫌も応もなく、部屋の隅に設えられた着替えボックスへ押し込まれた亮は、仕方なく手渡された紙袋の中身を引っ張り出す。が――
「…………な…………なんぢゃこりゃあああぁぁっ!!」
 広げてみた衣装を目の当たりにし、亮は絶叫していた。間髪入れずに隣のボックスにいる久我へ向かい、蹴りを繰り出す。
 薄いボードで作られたしきりが砕け散らんばかりにガンガンとたわんだ。
「てめぇ、久我っ、こんなもん着れるわけねーだろっ! ミスとミスター交代だっ! おまえの衣装貸せっ、オレのと交換しろっ!!」
 亮の手の中にある衣装――それは妖精の服そのものだった。若草色をしたチューブトップのミニワンピはキラキラした透ける素材であり、ご丁寧にブロンドのウィッグまで用意されている。そして極めつけは、ワンピースの背中に燦然と輝く桜色の羽根――。
(こんなの、着れねぇ。死んでも着ねぇっ!)
 しかし――
「アホか。吉野のサイズが俺に合うわけねーだろっ。もちろん俺サマのルックスをもってすれば、妖精さんも全然イケると思うが……物理的にムリだっ」
「オレだってサイズが――」
「ぴったりだろ」
「っ! けど、お、オレは精神的にムリだっ。や、やっぱお前一人ででろよっ!」
「俺一人で出たら、ステージ上でペロッとお前の正体絶叫しちまうかもな」
「…………殺す。てめぇ、絶対、殺す……」
(くそっ、こんなカッコしてステージだなんて、シドに見つかったらオレ殺される……)
 しかしシドがこういったイベントに顔を出すことは有り得ない。
 目立たぬようにちゃっちゃと終わらせれば、なんとかごまかせる……気がする。
 ステージ上から「成坂亮はソムニアでーす!」と絶叫されるよりも何百倍もマシである。
 亮は黙り込むと体操服を脱ぎ捨て、しぶしぶ衣装を身につけていく。
「吉野曰く、コンセプトはピーターパンとティンカーベルだそうだ。妖精のように軽やかに着こなしてくれよ」
「……死ね」
「……会話のキャッチボールになってないよ、成坂くん」
 一分後、ピーターパンとなった久我は颯爽とボックスから出てくるが、いっこうに隣室のカーテンは開く気配をみせない。もう1Bの生徒がステージ上でアピールを始めている時間である。
「往生際が悪いな。多少おかしかろうと、構うな! おまえそこそこ可愛い顔してんだから、女っぽく振る舞ってりゃそんな変じゃねーって!」
「…………」
 ステージから1Cを紹介する司会者の声が聞こえてきた。
「あーもー、行くぞ、こらっ!」
 ついに久我はカーテンを開け、中で背中を向けたまま屈み込んでいたティンカーベルの腕を引っ張ると、強引にステージへと走り出す。
(この祭りには後援会の連中も審査員で来てるからな。うまく成坂が目立ってくれれば、少年好きの変態親父どもから指名が入るかもしれねぇ。おとりになってもらうには絶好の機会。逃すわけには行かねぇんだよっ)
 実のところ、彩名の突然の棄権は久我が仕組んだことである。昨夜セラ内で彩名を捕まえ、必要以上にプレッシャーを与えまくっておいたのだ。いわゆるソムニア能力による洗脳処理、というやつである。もちろん違法で、これがIICRに知られれば処罰対象であるが、こんなシモジモの学校行事にまで捜査の目が及ぶことはほぼ有り得ない。
(多少似合ってなかろうと、露出が多けりゃかまわねぇ。うまくアピールしてくれよ、成坂くん)
「覚悟決めてしゃんとしろっ、男だろーがっ!」
「…………男がこんなかっこ、するかよ……」
 そう言われて、舞台袖で振り返った久我の呼吸が止まる。
 似合う、似合わない、の問題ではない。
 半分涙目で恨みがましく見上げてくる少年は、「少年」でも「少女」でもなく……強いて言うなら「妖精そのもの」であった。
 つかんだ細い手首が微かに震えているのがわかる。
 アップにした黄金の髪の先が細い首筋にしなだれかかり、羞恥のせいで赤らんだ頬や唇が白い肌を強調させている。
 胸の辺りこそボリュームがないが、むしろそれが禁忌のエロスを引き出し、細い腰や影の濃い鎖骨がさらにそれを際だたせる。
 おまけに若草色のドレスから伸びた足は細くしなやかで、気を抜けば勝手に手が伸びていきそうな芸術品だ。
 少し怯えたような怒ったような愛らしい顔は、この場で「押し倒してください」と全力でアピールしているとしか思えない。
「……な……」
(……りさか? だよな、コレ……。)
 本当に生き物なのかと疑いたくなる。天使とか精霊とか、何かヒトと違う存在がそこにいるのではないかという非現実感が久我を襲っていた。
(おまけにエロい……。こんな可愛い顔して、悪魔みたいにエロ過ぎる……)
 頭が真っ白になり立ち尽くす久我に、しかし亮はさらなる一言を浴びせ、腕を振り払ってステージへと歩き出す。
「……ステージで女らしくすれば約束通り、内緒にしてくれるんだよな? 絶対に言うなよ……オレがソムニアだってこと!」
「…………へ?」
「先に言っとくと、プリンはぜってームリだかんな!」
 ……なにを、言ってるんだ、あいつは。
 いや、プリンが……のくだりではない。その前のセリフだ。
「ソムニ……?」
 久我が言った「亮の正体」。それは、亮がコンビニ袋を被って東雲の手下達を手玉に取った「コンビニマスク」だと言うことだ。久我が知っているのはそれだけである。誰も「ソムニア」だなんて一言も言っていない。
 それなのに突然出た亮の一言――。
 ふらふらと夢遊病者のように亮の後に続きながら、久我は今の言葉を脳内で繰り返す。
(あいつ、なに言った?「オレがソムニア」……? オレがソムニア……、オレが。成坂が。成坂がソム…………ぇ。え。え!? ぃえええええええっ!!??)
 ざわついていた会場が一度シンと静まりかえり、突然ワッと沸き返った。
 スポットライトが久我の目を焼き、すぐ前で仁王立ちになっているティンカーベルを照らし出す。
(あ、あ、あ、あ、あいつ、そ、ソムニアなのかよっ!!!!! 嘘だろっ!!???)
 呆然と立ち尽くすピーターパンの眼前で、会場内は未だかつて無い熱気に包まれようとしていた。





(くだらん……)
 大騒ぎする生徒達の群れを眺めながら、審査員席のジョン・エドワーズ非常勤講師は、冷めたコーヒーに口を付けた。
 ミスコンの審査員など引き受けるつもりは毛頭無かったシドが、どうしてここに居るのか――。
「ジョン。楽しんでる?」
 シドの隣に陣取った英語教諭・橋本瑤子が髪をかき上げながらほほえみかける。
「たまにはこんなお祭り騒ぎもいいんじゃない? 生徒達ともっと触れ合うことも教師として大切なことよ」
 情報係としてシドが利用している彼女が、強引なまでに審査員として参加することを勧めたのである。
 数日間、調査のために学校を休んでしまったこともあり、シドとしても何かと利用している彼女の頼みを断るのは得策ではなかったのだ。
 この手の女は扱いやすいが、機嫌を損ねると後々面倒なことになる――。
 シドは長いエージェント生活でその手のことは熟知しているらしい。
(…………会場には……来ていないな)
 瑤子の言葉を適当にあしらいながら、シドはぐるりと会場を眺め見ると、亮の姿がないことによしよしと一人うなずく。
 ゲボの力を振りまきながらこんな人混みに紛れれば、またどんなトラブルを引き起こすかわかったものではない。
 ステージを見れば、一年B組の生徒二人が、アイドルのような衣装を着て、エグザイル風ダンスを披露している最中だ。
 会場の生徒達は大盛り上がりである。
(…………くだらん)
「みんな可愛いわねぇ。女子高生ってそれだけで強いもの。やっぱり若さにはかなわないわぁ」
「彼女たちはまだ子供ですよ」
 つまらなそうにシドがぼやくと、瑤子の瞳がきらりと光り、足下の紙袋を引っ張り上げていた。
「うふふ、そっか。やっぱりジョンをこのイベントに誘っちゃったの、申し訳なかったかな。あなたにはもっと刺激的な何かがないと物足りないでしょうしね」
(……あれだけ強引に誘っておいて、今さら何を言っているんだ、この女は)
 と心の中では苛立つシドだが、それを表に出すことはない。
 いつも通りの無表情で見返したシドに向かい、瑤子は茶目っ気たっぷりにウィンクを返すと
「じゃあちょっと行って来るわね。ふふ……、もうすぐ、きっとジョン好みのステージが開幕すると思うわよ?」
 紙袋をぎゅっと抱え、席を立つ。
「それじゃ、お・た・の・し・み・にv」
 ひらりと手を振りながら、瑤子はステージ控え室へと走り去っていく。
 意味が分からず仏頂面でそれを見送ったシドの耳に、次のクラスの紹介が届いていた。
『えー、次の一年C組は……、女子の具合が悪いとかで、急遽ミスは別の子に変わったようで……』
「マジかよー。じゃ、準ミスってことかぁ!?」「1Cはプリン放棄か」「次の1Dに期待だなぁ」
 会場内がざわつき、ステージへの興味が一気に引けていく雰囲気が漂い始める。
 1Cの面々の顔が強張っていた。
 誰が代役に立ったのか知らないが、クラス断トツの彩名が棄権したということは、一気にプリンの可能性が下がってしまうことになる。
『ミスター1Cは、久我貴之くん。えーと、ミス1Cは……、あれ、名前来てないけど……』
 土壇場の変更でパニックに陥る司会者の横を突っ切って、段取りを完全に無視した二人の生徒が、紹介の終わる前にステージ上に現れる。
 慌ててパッと二つのサーチライトがその姿を捕らえていた。
 その瞬間。
 ざわついていた会場が、前から潮が引くかの如く静まりかえっていく。
 ステージの中央。白い光りのサークルの中に、一匹の妖精がいた。
 黄金の髪、白い肌。若草色のミニドレスから伸びる細い手足。
 彼女の整った顔立ちは作り物のようであり、しかしその中で燃えるように前を見据えた黒い瞳は爛々と輝いている。
 桜色の羽根を光らせた妖精は、仁王立ちで会場を見下ろし、視線で射殺すかの勢いで眼下の生徒達をにらみ据えていた。
 ――ぶっ
 審査員席の片隅で、英会話講師の口からコーヒーが吹き上がる。
「…………あのバカっ」
 咳き込みながら口元を拭うと、シドはステージで展開されている信じられない光景を見上げていた。
 この状況ではもはやシドにどうすることも出来ない。
「ウソ。……あの子が準ミス? 1Cレベル高すぎ……」
「ってか誰だよ。あんな子、うちのクラスにいたか?」
「本日付の……て、転校生とか!? そういう嬉しい展開でわ? むむむしろそうであれ!」
「やだ、ほっそ〜い……、てか、反則だよあんなのぉ〜……」
 静けさの後、ざわざわと声が上がり初め、そして――
『うおぉぉぉおおおおおおおおおっ!』
 歓声が会場全体を揺らした。
「ぴゃー! 妖精ちゃん可愛いぞー! たま゛ら゛ぁぁぁああああん゛!!」
 最前列にいた男子生徒が声を上げ、仁王立ちのティンカーベルは食い殺さんばかりの調子でその生徒にガンを飛ばす。
「……っ、ぅ……」
 妖精のひと睨みに直撃された男子生徒は、しゃがみ込むようにその場にくずおれていく。
 IICRのカラークラウンたちを虜にしてきたゲボ能力に、一般男子高校生たちが逆らえるはずもない。変に亮のテンションが上がってしまっている分、その威力は一種の兵器だ。
「ティンクー! こっち向け、こっちー!!」
「ティンクー! 俺と付き合ってー!」
 至る所から野太い声が上がり、ティンカーベルは苛立ったように足を踏みならすと、一応女らしく
「黙れ、殺すワヨっ!!」
 ……啖呵を切っていた。
 それと同時にガンを飛ばされた生徒たちが次々と沈んでいく。
 と――。
 妖精の視線が一点に据えられていた。
 そこは会場左手に設えられた審査員席の一角――。
「…………? ……っ!!!!!!!!!!」
 その瞬間。何かに怯んだように大きな瞳が見開かれ、そして見る見るその頬が桜色に染まっていく。
 先ほどまでの猛々しさは瞬く間に消え去り、いやいやをするように後ずさると、背後でただ突っ立っていたピーターパンの後ろへと隠れてしまう。
「やーん、ティンクー、かわぃい〜っ!」
「どうしちゃったのー? 恐くないから出ておいで〜!」
「ピーター、邪魔だぞ、どけよっ!」
 会場は一気にまた違った萌えモードへと突入だ。
「……お、おい、成坂?」
 久我は自分の背中にひっこんでしまった亮を振り返ると、戸惑ったように声を掛けた。
 小さな身体が怯えきったように震えているのがわかる。
「……ぉまえの、せい、だからなっ。どう、すんだよ……、どうすんだよっ、バカ久我っ。もう、オレ、もう……きっと……学校にいられなくなるっ」
 ガタガタ震えながら呟くと、亮は弾かれたように走り出していた。
 司会の制止も振り切って、舞台袖へと駆け戻っていく。
「おいっ、待て、学校にいられなくなるって……」
 ティンカーベルは一陣の風を残して消え去り、一人残されたピーターパンにはブーイングの嵐だ。
 会場では期せずして「ティンクコール」が巻き起こっている。
(……どういうことなんだよ……。そりゃ俺が困るじゃねーか……)
『えーと、久我くん、ミス1Cはどこへ? というか、彼女のお名前は?』
 会場の収拾をつけようと、司会が取り繕うように久我へとマイクを向ける。
「…………ぃゃ……」
 戸惑う様子を見せていた久我はしばし黙した後不意に顔を上げると、へらりと口元に笑みを浮かべ、ひらひらと手を振って見せた。
「すんませーん、あれ、俺のカノジョで、他校の生徒なんだけど無理矢理出しちゃいました〜」
『・・・・・・えぇっ!? 他校の生徒!? 1Cの子じゃないのっ!? そ、それは、ちょっとまずいというか……』
「急にミスの子が具合悪くなっちゃったから、シャレのつもりだったんだけど……。いやいや、まいっちゃうなぁ、ちょっとした自慢のつもりだったのに、こんな人気者になっちゃうなんて、俺カレシとして困るので、もうお披露目はおしまいでっすw」
「あぁぁぁああああんっ!?」「なに調子ぶっこいてんだっ!!」
「てめぇっ、ピーター、死ね!」「引っ込め、この野郎!!」「いいからもっかい今の子出せよっ!!」
 しかし会場は収まる気配を見せない。ステージの真下まで押し寄せる群衆に、司会者はなすすべもなくおろおろとする他ない。
(……うひ〜、ナニこの異常な空気。こりゃ確かにバレたら学校に居づらくなるわ……)
 そこで久我は一息大きく腹に吸い込むと、司会者のマイクをぶんどり、とりあえず一声――
「黙れ、非モテども。世の中顔なんだよ。ざまーみろっ!!」
 ケンカを売ることにした。
 しばしの沈黙の後、会場に、予想通りの怒号が巻き起こる。
「・・・・・・てめーこの野郎、降りてこいっ! 殺すっ!」「そ、そりゃ俺はイケメンではないけどもっ。ないけどもだっ!! ……くそぉぉおおおおっ!!」「なんで俺はかぁちゃんとそっくりに生まれついちまったんだあああああっ!!」「神様はなんて不公平なんだっ、宇宙の摂理とはなんだあああああっ!!」「俺もイケメンになれるネバーランドへ連れてってくれ、ピータアアアアアッ!」
 久我の一声で、流れが「ティンカーベルを出せ」から「ピーターパンへの怒り」そして「己への嘆き」に変わっていく。
 阿鼻叫喚の騒ぎの中、それでも生徒達の意識を亮から逸らすことに成功した久我は、うろたえる司会者に片手を挙げて挨拶をすると、そそくさとステージを降りていく。
 そしてそんな異様な盛り上がりの中――
 審査員席から、一人の外国人教諭の姿が消えていたことに気付く者は誰もいなかった。