■ 4-46 ■





「腹が痛いから返る」
 と、言い置いては来たものの、亮は結局学校へと戻ってきていた。
 とりあえず早急に先ほど起きたことを久我に報告しなくてはならない。たとえ色々とばれてしまったことをなじられる羽目になったとしても、それが仲間としての筋という物である。
 そう自分に活を入れて四限目の前になり教室へ戻った亮は、久我の姿を探して辺りを見回す。
 横の席の彩名に「久我見なかった?」と聞いてみれば、現国の自習中、ふらりと出て行ったきり戻ってきていないようだった。
「どーせいつもみたいにどっかでさぼってるだけなんだからほっときなって。それよかこれ見て見て、成坂くん。どお?」
 両手をぱっと開いて自慢する仕上がったばかりのネイルには、甘くおいしそうなクッキーやマカロンのスイーツシールがキラキラ輝くビジューに囲まれ、バランスよくコーディネートされている。
「成坂くん、こういう美味しそうなの好きかなぁと思って」
 亮に話しかけられたことが嬉しいようで、弾む声で笑顔を見せる。
 亮は「うん、まぁ」と曖昧な返事を返しながら、久我の机に視線を落とす。
 どうやらカバンもないようだ。
 作戦決行後は成果の確認のため顔を合わせることになっているはずだというのに、どこにいってしまったのだろうか。
 ふと机に触れた指先に違和感を感じ、亮は目をこらした。
 茶色の薄汚れた机の隅に、黒い染みがこすりつけられたように固まっている。
 持ち上げた亮の指先には、赤黒い欠片がこびりついていた。
 ドキン――と、亮の心臓が鳴る。
 血だ――、と瞬間的にわかった。
 指の跡がくっきりと残る血の跡は、カッターでちょっと切った程度の物でないことはすぐに察しが付く。
 久我は怪我を負っている。
 だから授業中にもかかわらず、席を立ったのだ。
「良かったぁ。彩名ねぇ、本物のおかし作る方も得意なんだよぉ。今度成坂くんにも何か作ってきて……」
「吉野さんこれあげる」
 亮は彩名の言葉を最後まで聞く余裕もなく、手にした雨森の弁当を押付けると、教室を飛び出していた。
「ちょ、成坂くんもさぼり!? ……って、これ、まじでいいの? 成坂くんのお弁当……」
 あっという間に見えなくなった亮の背中に声をかけた彩名だったが、手の中の包みに視線を落とすと頬をほころばせ、「ふへへ」としまりのない笑いを浮かべる。
「もしかしてかなりの進展じゃん」
「そんなの、いらないからくれただけだよ。バカみたいだ……」
 幸せな瞬間に水を差された彩名はむっとした顔で振り返る。
 そこには佐薙が彩名以上に不機嫌な顔でこちらを見上げていた。
「なに佐薙。うらやましいならうらやましいって言いなよ。そしたらおかずの一つでも分けてあげっかって気になるのに」
「ぅ、…………ほんとに?」
 瞬間声のオクターブが上がった佐薙に、彩名はうぇっと舌を突き出す。
「佐薙、きっしょい。男のくせに成坂くんのもの何でも欲しがってホモかっつーの。これは彩名が成坂くんにもらったんだもん、全部彩名のだよ」
 彩名はちょっと意地悪に微笑むと戦利品を掲げながら、女子の一団へ合流していく。
 佐薙は親指の爪をがりりと噛んでいた。




 保健室にはいない。
 いつも暇を潰している屋上にもいない。
 寮の自室に戻ってみてもいない。
 だからもう一度学校へ引き返し、片っ端から心当たりの場所を当たった。
 しかし学校中どこのトイレにもいないし、人気のない特別教室棟や、体育館の放送ルーム、階段下倉庫まで見たがやはり久我の姿はない。
「……どこ、行っちゃったんだよ、あのバカ」
 亮の胸はあれからずっと絞られたかのように痛い。
 心配でいてもたってもいられず、バカみたいに同じ場所をぐるぐる探し回ることしかできない。
 病院にでも行ったのだろうか。
 だが、それならそれで連絡くらいはしてくるだろう。
 とにかく亮には久我がまともに病院に行くとは思えなかった。ソムニアの仕事で傷を負って病院に掛かるということは、久我クラスの弱小個人業者にはけっこう面倒な手続きが必要となるらしい。
 以前久我がブーブー文句を垂れていたことを、亮はよく覚えていた。
 動けるくらいの傷となると、久我は自分でなんとかしようと考えるに違いない。
 だからこそ、余計に亮は心配だった。
「どっかで死んでないだろうな、あいつ」
 冗談交じりに呟いてみるが、それがあながち冗談になり得ない気がしてきて、亮の気持ちはますます急き立てられる。
 早く久我を見付けなくてはならない。
 そこでふと思いつく。
 久我はもしかしたら怪我をしたため場所だけ移動して、またセラに戻ったのかもしれない。
 久我の身体を見付けるのは難しいが、久我の行きそうなセラならいくつか心当たりがある。
 スクールセラを始め、久我が根城にしているいくつかのセラを亮も何度か案内されていたからだ。
 今その座標カードは持っていないが、一度潜ったセラなら亮にだって再潜行できる。
 セラ時間なら捜索も余裕ができるだろう。
 思い立った亮は、すぐさまその場に腰を下ろすと、寝心地の良さそうな壁際に身を預け目を閉じる。
 折りたたみ椅子が詰め込まれた階段下倉庫で、亮はセラへと潜っていった。