■ 5-34 ■




 薄暗い部屋には幾筋かの強烈な光の帯が部屋の中央で交差するように走っている。
 窓はない。
 7メートル四方の狭苦しい部屋の壁は全て剥き出しのコンクリートであり、その壁にはどす黒い染みが重なり合い塗り込められている。
 床にはほんのおざなりに、中央へ小さな白いラグが敷かれていた。
 この陰鬱な部屋には不似合いな毛足の長いそれは、一見してセレブ御用達の高価な品だとわかる優雅な品だ。
 だが暖房設備もない暗澹たる地下施設にあれば、本来の役目である部屋の装飾や暖かさの提供などすべき全てのことを放棄させられ、ただただ異様さを醸す道具にしかなり得ていない。
 何より、純白であるはずのラグには既に点々と赤黒い染みが飛び散り、その価値は単純な汚れを拭き取るための敷布に変じてしまっている。
 暗闇の中、光の帯に照らされて輝く白い島の中央に、一人の男の影が濃く、黒く、揺れていた。
 両腕を背後に回され下着一枚の姿で天井から吊された彼はその体勢から身体をくの字に曲げ、膝をつき、鬱蒼としたアッシュシルバーの前髪を垂らして俯いている。
 癖のある艶やかな髪を濡らし薔薇色に色づいた汗が、ぽたぽたと滴っていた。
 再び空気を引き裂くラップ音が数度鳴り、野太い竹により作られた硬鞭が彼の身体に振り下ろされる。
 鞭というより竹刀に近いそれだが、先端は細く鋭く、力加減なしで振り下ろされた竹のしなりは音速の威力を持って、剥き出しの背や肩の肉を血煙と共に剥ぎ取っていく。
 だが、吊された男は声一つあげることはなく、それ故彼を打つ男は躍起になり何度も何度も同じ箇所を鞭打った挙げ句、革靴の先で彼の腹を三度蹴り上げていた。
 彼の鍛え上げられた腹筋は6時間に及ぶそれらの責め苦に屈することなく、彼自身にやはりうめき声一つあげさせはしない。
「まぁだその気になってくれませんか、ジオット。かれこれもう六時間。俺は飽き飽きしてきたんですがねぇ」
 依れた白シャツと皺の目立つグレーのスラックス、染みだらけの黒いダウンジャケットを羽織った小男は、節くれ立った手でシュラの髪を掴み上げ上を向かせると、手にした硬鞭を片手に担ぎ上げたまま痘痕だらけの顔を息が掛かる位置まで近づけ、ドイツ訛りの強い英語で吐き捨てる。
 閉じていた目をゆっくり開き、シュラは己の担当聴取官の顔を眺めて、改めて呆れたように口の端を引き上げる。ひび割れた唇には乾いた血がこびりついていた。
「それが飽き飽きしたってツラかよ。クリスマスにゲームもらったガキみたいな笑顔しやがって」
「……ィヒヒ……、あんたがまだまだ元気で嬉しいよ。はぁぁ……、まさかあんたみたいな大物が俺の代でここへ落ちてきてくれるとは思いもしなかったからよ」
 男はシュラに顔を近づけたまま異様に黒目がちなぎょろりとした目玉をひん剥いて、ごくりと大きな音を立てて生唾を飲み込んだ。
 平たい顔に不釣り合いなほど突き出した鷲鼻は表面がいちごのように粒だっていて赤く、興奮気味に吹き出される呼気は半開きにされた薄い唇から強い口臭を伴ってシュラの面を打つ。よく見ればその口の中に前歯はなく、妙に赤い舌がゆらゆらと揺れているのが伺える。
 彼の頭髪は見事な金糸だがその数はまばらで、それが興奮による汗でぴったりと頭蓋に張り付いている様は、人ではなくは虫類か何かを連想させてしまう。
 わざと屈んでいるのかと思われるほどの猫背は、ただでさえ小柄な男をさらに矮小化し、肉体年齢が三十歳そこそこであるというのに老人にすら見せてしまうことへ一役買っているとしか思えない。
 今シュラの目の前にいるこの男こそ、絶望を扱う能力ナウトゥヒーツの実力者であり武力局特殊聴取課の第一位聴取官であるヨルク・ドールだ。
 だが生粋のサディストと噂されている彼のことをその名で呼ぶものはいない。
 彼の人となりやその容姿に対し蔑称を込めた意味で、誰もが「イエロー・ドッグ」略して「YD」と呼んでいる。下等な、下劣な、という意味のあるスラングから来た呼び名だが、本人はいたく気に入っているらしく、彼の右肩には世界的に有名な黄色い犬のキャラクターが彫り込まれているという噂だ。
 ソムニアというものは転生を繰り返す度にアルマに引きずられるため肉体の容姿も本来の姿へ近づいていくものなのだが、この男がこのような異体を所持しているのは本人のアルマがそのようであるという証であり、本人の意向が多分に含まれている結果であると思わざるを得ない。
 武力局の廊下で何度かすれ違ったことしかないこの男が己の担当だと知らされた瞬間、シュラは苦々しい溜息と共に天井を仰いでいた。
 おなじ聴取を受けるならドSのバケモノでなく、綺麗なお姉さんがいいと思うのは男の摂理だ。
「カラークラウン……それも、あんたぁ、ジオットだ。……はぁ……、蒼の炎王が空間錠を着けられて目の前で跪き俺の自由になるなんて、信じられるかい?」
 YDは爛々と目を輝かせながら手にした硬鞭の先をシュラの唇へ突きつけると、一気に奥へ潜り込ませていこうとする。
 だがシュラはしなる竹の先を瞬間的にその白い歯でがっちりと咥え、口の端だけで微笑んだまま相手をにらみ据えていた。
「ああぁ、たまらねぇ。冗談抜きで俺はあんたのファンなんだよ、ジオット!」
 YDはぶるりと一度震えると、シュラの顔を間近でじっと見つめたまま鞭をずるりと引き抜き、その僅かに湿った先端に舌を這わせて音を立ててしゃぶりついた。
 心底嫌そうな顔でそれを眺めたシュラは、思わず鼻に皺を寄せ、
「悪いがおまえじゃ起たねぇな」
 と吐き捨てるように言い放っていた。
 YDはそれに下卑た笑いで応えると、しゃぶっていた鞭を床へ放り捨てる。
「久我貴之はどこだ。あれは何者であんたはどこまで深く噛んでる」
 聴取開始以来延々と繰り返される同じ質問を、再びYDは口にしていた。
 だがシュラが答えるのもまた同じ台詞の繰り返しとなる。
「だから言ってるだろ。俺の携帯使って出ねぇってんなら、もう生きてないかもしれねぇってよ。あいつはちょっと運の良い個人業者で、俺はヴェルミリオとのつながりであいつと知り合っただけだ。あいつの訓練請け負ったのもシドに頼まれたからだし……俺なんかよりシドを呼び出して聞いてみちゃどうだ」
「PROC勤務のヴェルミリオが捕まらないとでも思って話を振ってるんだろうが、必要とあれば俺はどこにでも、どんな真似をしても聴取に向かうぜ? あんたとヴェルミリオの友情に亀裂が入るようなことにならなきゃいいが」
「なら今すぐ深層セラに出発したらどうだ。友情だなんだ気味の悪いこと言ってねぇで、さっさとこの吊り輪から降ろしやがれ。そろそろ時間だろうが」
 確かにこの部屋唯一の出入り口上部に着けられた丸いアナログ時計は、ぼんやりとした間接照明に照らされて深夜三時を指し、聴取開始からもうすぐ七時間を迎えようとしていることを彼らに示していた。
 48時間拘束とは言っても、規定では聴取室の連続使用は七時間までと決められている。
 その後同時間以上の休息を取らせた後、別の聴取官により再びの聴取を認める──これが、武力局聴取課におけるカラークラウン拘束時の規定であることは法整備に疎いシュラとて心得ていることだ。
 体中ぼろぼろだが、休息時間には処置室勤務のベルカーノ種により治療が施されるはずで、このあと4、5回同じような聴取を受けようと、どうにか問題なく解放後すぐ仕事へ復帰できるはずだとシュラは踏んでいる。
 後ろ手に吊されっぱなしの腕は既に痺れ感覚もない。
 鞭で抉られた傷よりこちらの方が深刻かもしれないなと考えながら顔を上げ、時計の横に設置された定点カメラを眺めた。
 そのシュラの動きに気づいたYDは、目の下の筋肉を持ち上げニンマリと微笑む。
「ああ、あのカメラちょっと調子が悪くてですね。時々電源が切れることがあるんですよ」
 囁かれた声は、甲高いが優しげにかすれ、シュラの耳元で吐息のように吐き出された。
「他に二台、部屋の隅で回ってるカメラもねぇ、どうもみんな具合が悪いんだ。音声がまずうまく入らなくてね」
 汗で光るカウナーツの王の頬をYDの手がぞろりと撫でていく。
 嫌悪で思わず首を振り、シュラはジロリと直ぐ横の顔を見た。
「聴取中の映像・音声は必ず記録し、聴取は七時間を超えてはならない。休息時間は聴取時間以上を取ることを絶対とし、薬物の使用、性的暴行は厳禁とする」
 聴取課の規約を謳い上げながら、YDはうっとりとした顔で溜息をつく。
「そんな約束、信じてましたかぁ」
 立ち上がった彼は、背を丸めたまま前方に置かれた作業台の前まで歩いていくとツールボックスを広げ、何やらがちゃがちゃと金属音を立て始める。
 すぐに目的のものを見つけたらしく振り返ると、まるで自分にかしずくように頭を垂れるシュラの身体を見下ろし、べろりと己の唇を舐めた。
「……てめぇ」
 睨み上げたシュラの目に映ったのは、アンプルの中身を注射器に吸い取っている小男の姿。
「ここの法律は俺。ここでの神は俺。何もかも俺が全てなんだぜジオット。この部屋に入る前は雲の上の存在だったあんたも、ここに来たからには永遠に俺の下僕だ」
 銀色に光る針の先から透明な滴りが幾粒がこぼれ落ちる。
 シュラの額にじんわりと嫌な汗が浮かんだ。
 あの中身がなんなのかはわからないが、あれを打たれてはいけないことだけは判然としていた。
「っ、のゃろっ」
 立ち上がり、後ろ手に縛られた腕にあらん限りの力を込める。
 ぎりぎりと鎖が軋むがしかし、人間の力でそれを断ち切ることは出来ない。
 ここは現実世界でありカウナーツの力もセラとは比べるべくもない上、こちら側でも空間錠は完全に役目を果たしている。
 今のシュラはただの人間と何ら変わるところがないのだ。
 長時間の拘束でふらつく身体を奮い立たせながらどうにかかわそうとするが、しかし、相手は何の規制もかかっていない優秀なソムニアだ。
「はいはい、じっとして、Shi……、Shi……、大人しくしろよぉ……」
 腕を取られ力任せに引き倒され、こめかみを鉄棒で殴打され、みぞおちを蹴り上げられた瞬間、目の前が黒く沈む。
 まずい──と思ったときにはもう遅かった。
 首筋に痛みが走り、そこから冷たい何かが身体の中へ投入される。
「てめ、……何入れやがった……っ」
 瞬間。心臓が壊れそうなほど走り出す。
 全身から汗が噴き出し、身体がガクガクと震え始めた。
「っ……ふ…………」
 歯を食いしばるがしかし、呼吸は上がり、こめかみの脈動は上がる一方だ。
「大丈夫、死にゃぁしない、一回じゃぁな」
 突然全身の力が抜ける。
 立っていられなくなり、シュラは再び跪き、鎖に腕を預ける形でだらりと頭を垂れていた。
「俺があんたのために用意した最高のブレンドだぜ、効くだろ?」
「…………何を、打ったんだって、……聞いてんだ、ボケカスがっ……」
 俯いたままそう問いただすシュラに対し、YDは驚いたように目を見開き、そうして嬉しそうに諸手を打った。
「ひひひぃ、嘘だろオイ! デビルズソーダ打たれたヤツに逆に尋問されてるってどんな冗談だよっ!」
 デビルズソーダと聞いて、シュラはなるほどと内心うなずいていた。
 二千年代に入って中東方面で使われていた自白剤の一つだ。もちろん国際法で尋問における薬物の使用は禁じられているため、表だって出てくる薬ではないが、その筋の人間では知らぬ者のいない悪名使い一品である。
 使用されたものは極度の酩酊状態に陥り、耳から入る命令全てに唯々諾々と従うようになり、まるで悪魔に魅入られたかのように何の迷いもなく情報を漏洩することからその名が付いたとされている。一回使用するだけでたちまち思考力は奪われ、抵抗力のないものはそのまま廃人と化す危険性を持っているため、正規軍が使用することはほぼないと言われているが戦時中のことは藪の中であり実際どうなのかはわかっていない。
「おっかしぃなぁ。ヘロインの濃度を高めてより中身を壊すように調整してあるんだが……」
 首をひねりながら空になったアンプルを眺めていたYDは歩み寄ってくると、ぐっとシュラの髪を掴み顔を上げさせる。
 されるがまま上を向いたシュラの双眸は半眼に煙り、いつも引き結ばれていた意志の強い口元はゆるりと開かれ、一筋、透明な雫が糸を引いてこぼれ落ちていく。
「あぁぁ、うん、そうだろ、こうだぜ。こうならなくちゃ。これからもっともっと何遍でも打ってやるからよ」
 目を細めぞくぞくと身体を震わせたYDは、そのままシュラの額を力任せに己の膝に叩き付ける。
「がっ……」
 グレーのスラックスに血が迸り、その風合いに満足したように目を細めた彼は再びシュラの顔を持ち上げる。
 中央からにじみ出した鮮血が、ぼんやりと開かれた青眼の中に入り、そこからまた頬を伝って流れ落ちていた。
「蒼の炎王が壊れていく姿、たまらねぇ……」
 誰に言うでもなく呟くと、YDは作業台からハンディカメラを取り出し、起動させる。
「さて。聴取の本題に入らせてもらおうか」
 構えながらシュラの顔を上げさせ撮影を始めると、彼はこう続けた。

「なぜ久我は殺しても死なない」

 ピクリとシュラの身体が揺れる。

「ヴェルミリオは何を集めに行っている」

 ぽたりぽたりと垂れていく血潮が、純白のラグの上に埋もれていく。

「成坂亮とは何なんだ」

 ゆるりとシュラが顔を上げた。
 瞳は煙り、意識は朦朧としてはいるがしかし、その青眼の奥には確かな意志の光がちらついている。
「…………てめぇ、テーヴェの……犬、かよ」
 久我の秘密を知っている人間が身内しかいない現状に於いて、その情報が外部に出回ることはまずない。そんな中、久我が死んでも死なないことを知っているということは、一度は久我を殺したことがあるということだ。
 守護者に張り付いていった久我が戦闘する可能性が最も高いのは当然守護者の人間であり、久我は現在彼らに拘束されていると思うのが正しい見方だろう。
 つまりその情報を持つこの男こそ、テロ集団・環流の守護者の構成員であり、IICRに入り込んだスパイということになる。
 正当なカラークラウンにスパイ容疑を掛けて、本物の敵方スパイに尋問させるとは、インカはとんでもない失態をやらかしてくれたもんだとシュラは泣きたい気持ちになった。
「今の質問だけでそんな推理をたてるたぁ、やっぱり全然薬が足りてねぇみてぇだな」
「十分……足りてるさ。いくら殴られても、痛かねぇ……」
 にやりと笑うシュラの腹を革靴が何度も蹴り上げる。その度に吊された鎖はガシャガシャとやかましく鳴り、力を無くしたシュラの身体は跳ね上がった。
 ごぼりと生々しい音を立て、大量の血がシュラの口から吐き出される。
「なるほど、それなら俺も罪悪感なくあんたを切り刻めるし、Win−Winだな」
「うるせぇ、あとでてめぇは消し炭だ、クソ野郎」
 何度も飛びそうになる意識を怒りでつなぎ止め、シュラはそう吐き捨てる。
 その視界にラグを踏んで近づいてくる革靴が映り込んだ。
 逃げなくてはと思ったときにはすでに、シュラの首筋に二度目の針が撃ち込まれていた。
「……ぁ……ぐ…………」
 ジュッと音が聞こえた気がした。
 冷えた液体が身体に入り込んだと感じた瞬間、全身の細胞がぶるぶると震え、喉の奥から意味のない呻きが迸っていた。


 何も音が聞こえなくなり、ただ目の前の灯りの中、桃色の何かがひらひらと無数に落ちていくのだけが見える。
 ああ、これはあの日見た桜だとシュラは腑に落ちる。
 冬のまだ寒い時期。どうしても花見に行きたいという亮と共に、一年中桜の咲くセラへ、シドには内緒で遊びに行ったのだ。
 屋台が出ているわけでもなく、祭りが行われているわけでもない。
 ただ延々と桜並木の下を、二人だけで歩いた。
 風が吹くと無数の花びらが舞い上がり、亮は何がそんなに楽しいのだか、それを追いかけつかまえようとはね回っていた。
 それを見ながらシュラは笑い、振り返って駆けてくる亮を抱き留めてぐるんと一度回してやると、亮は少しだけ悔しそうに言ったのだ。
「ホントは日本の桜をシュラに見せたかったんだけど、こんなすげぇとこ見せられたらなんか負けた気がする」
「日本の桜なら春にならねぇと無理だろうが」
「だから春になったら行こう!って言おうと思ったのに、シュラが今から行くか?って言うから、そしたら行く!って言うだろ、普通!」
 よくわからない理論だったが勢いに押されて「そうだな」とシュラがうなずけば、亮は得意げに「だろ?」と眉を高くし顎をくいっと上げてみせる。
「だから今日の花見とは別に、今度は飛行機で東京に来て、オレの方の花見も開催しますっ」
「決定事項かよ!」
 困ったようにシュラが笑ってみせれば、亮はますます偉そうに胸を反らせて「決定だ!」と繰り返した。
 そうしてまた桜の花びらを追って走り出す。
 だからシュラは思ったのだ。
 おまえがどこに走っていこうと、誰と歩んで行こうと。
 俺はその背を見守りながら、この道を歩いていこうと。
 いつでもおまえが必要なとき抱き留めてやれるように――。
 顔を上げればそんなシュラに気づき亮も振り返る。
 手を振りながら嬉しそうに何か叫んでいるが、風が強くて聞き取れない。
 桜の花びらは息も出来ないほどに舞い上がり、その中に立つ亮は幸せそうに笑っていた。

「…………とぉる」
 呟いた声は干涸らび、消え入りそうな弱々しさだったがなぜか幸せな響きを持っていた。
 足下に転がるアンプルの瓶は既に4つに増えている。
 その隆隆とした肩や胸、背筋やふくらはぎ、大腿部──あらゆる箇所の肉片がそぎ落とされ、赤黒く染まったラグの上に点々と落ちていた。
「そうだ、亮。成坂亮。おまえが横恋慕するヴェルミリオの愛妾のことをもっと教えてくれよ。可愛い亮くんは何者なんだ?」
 うっとりとした声音で語りかけるYDは、シュラの耳元でそう囁きながら、手にしたナイフを彼の胸筋の一部に差し込み、えぐり取るように肉片を切除していく。
 デビルズソーダで麻痺した身体も、その痛みで一瞬震え、僅かな知性を取り戻し指示された通りの言葉を口の端に上らせるのだ。
「とぉる……は、俺の、宝、もの、だ……」
「そうかそうか、宝ものか。で? ただのゲボでも鬼子でもないんだろ?」
「…………」
「ジオット? もう一本入れようか。な? そうしよう」
 シュラが口をつぐめばすぐさま、YDは再びポケットからアンプルを取り出し、足下に転がる注射器に中身を移していく。
 その呼気は荒く、スラックスの中で彼自身は完全に起ち上がってしまっている。
 シュラの首筋に破壊の針を刺す度に、彼は何度も射精し、シュラの呻きを聞く度に恍惚として一人腰を揺らした。
 あの蒼の炎王を内側から破壊し、生物的な呻きを聞くという行為が、彼の中の性的興奮を極限まで惹起させ、情報を集めるという本来の目的を見失うまでにさせてしまったのだ。
 5本目のアンプルを打てば確実に死に至るということは、わかっている。
 情報源がたたれてしまい己の立場すら危うくなるというこの状況でしかし、彼はそれを己で止めることはできなくなっていた。
 興奮に目を血走らせ、震える手でシュラの首筋に針を差し込む。
「ぁぁぁぁぁあああああっ、ジオットが壊れてしまう。壊れちゃうよ。俺が、俺が、俺が壊してしまうんだぁぁぁぁぁあっ!」
 その瞬間。
 バツンというゴムでも切れたかのような音が轟き、YDの身体がゴトリと横たわっていた。
 次に天井から吊された鎖が切られ、シュラの身体が真紅のラグへ崩れ落ちる。
「まったく、何をしている」
 呆れたように息をついたのは白の長衣に身を包んだ黒き長。
 ぴくりとも動かないシュラの身体を軽々と抱え上げると長衣を波打たせ歩き出す。
 慌てたように駆け込んできたインカに対し、床に転がる男を拘束するように指示を出すと、ビアンコは手にしたハンディカメラに一瞬視線を落とし、それをそのまま床へ放り捨てていた。
 YDが嬉々として構えていたそのハンディカムからは黒く煙が上がっていた。