■ 1-7 ■


 熱い。
 熱い。
 心臓がバカみたいに脈打って、目の前がゆらゆら波打つ。
 苦しい。
 哀しい。
 今オレは何をしてる?
 そうだ、いつもと同じだ。
 目の前に誰かいる。
 オレの身体に触れて、オレの身体を抱きしめる、これは誰だ?
 さっきまで、わかってたはずなのに、今はもうわからない。
 思い出せない。
 思い出したくなんかない。
 ただ、この苦しさを。
 ただ、この熱を。
 どっかにやってくれるなら、それだけでいいんだ。
 ああ。
 なんだろう。
 触れる手が冷たい。
 それがとっても気持ちいい。
 外は、雪なんだろうか……

「た…きざゎぁ。早く、いつもみたいに…てください」
 亮は相手の首にしがみついたまま、震える声で言った。
 ちゃんとお願いしなくては、また意地悪をされるに違いない。
 しかし相手は亮の懇願に言葉を返すことをしない。
 お願いの仕方が間違っていたのだろうか。
 亮の目に肩越しの赤い髪が映っている。
――きれいな色。
 この色は誰の色だっけ。
「オレ、いい子にする。もう逃げ、出さない…ら、くすりも、ちゃん、と、のむ、から…早く、たきざ…」
 相手の大きな手が亮の頭を支えると、ぐっと身体を引き離す。
 焦点の合わぬ亮の黒い瞳に相手の顔が映った。
 白く透き通るような肌とアングロサクソン系の端正な顔立ち。
 見据えられただけで凍り付きそうな琥珀の瞳。
 燃えるような赤い髪。
 これは、滝沢じゃない。
 これは――
「俺を見ろ、亮」
「――シ…ド」
 亮の蕩けた瞳がその瞬間、微かに正気を取り戻す。
 しかしその意識の光は瞬く間に溶けて霧散していく。
「俺の名だけ呼んでいろ。そうすればすぐに終わる」
 心地の良いそのバリトンの声音に、亮はうっとりと目を細めると、ねだるように自分から口づけた。
 教えられたとおり、そろりと唇に舌を滑り込ませ、相手の舌に絡ませる。
 シドはそれに応えてやりながら、下着をつけていない亮の下肢へ手を伸ばしていく。
 ひんやりとした長い指に敏感な部分を絡められ、亮の身体がひくんと硬直した。
「ん…ふぁっ、あっ…シド…つめたいの、き…ちぃぃ…」
 亮の無邪気な反応に、シドの目がわずかに細められる。
「とおるに、はや、く、シドの、くだ…さい」
 途切れ途切れの苦しい息の元紡がれる言葉が、潤んだ瞳で見上げる亮の唇からこぼれた。
 ほんの二週間前まで、こいつはキスすら知らなかったに違いないのだ。
 そんな子供が、男を誘う仕草で、男が望むような言葉を吐く。
 無邪気さと幼さをまとったまま、自ら開かれる肢体の淫靡さは目眩がするほどだ。
 それだけに、シドの後悔は深い。
 ゲボには生贄という性質上その能力の副次的なものとして、性的吸引力というものがある。今までシドはそれに関してさして気にとめたことはなかった。
 現在存在しているゲボたちは、全てIICR管轄の元におかれているし、覚醒後何度目かの転生を終えている彼らには、その力の自分なりの制御も自然と身につけている。
 だからこういった事故はあまり聞かない。
 しかし、亮は違う。
 目覚めてまだ一ヶ月。
 能力の制御どころか、使い方すらよくわかっていない。自分の能力に関しての情報にすら疎い。
 何度か秋人が説明していたようだが、何より実践の亮には、理論や解説は馬耳東風だったようである。
 もっと厳しく教え込むべきだったのではないかと思う。
 いや、シド自身もこれほどの事態になるとは考えもしていなかったのは確かだ。
 セラ内で亮は『命を扱う者』を呼び出した経験がある。その能力の高さは推して知るべしである。
 だからこそ、副次的な能力の方にも気を配るべきだったのだと今になって思う。
 何より、あの滝沢という男が亮に良くない感情を持っていることは、何となくわかっていた。
 たかがバイトのガキの私事に首を突っ込む趣味もないと、セラ内以外での仕事内容には興味も持たなかった事が、こんな事態を引き起こしたのである。
 どこをとっても、自分の手落ちでしかない。
 ましてやGMDを使われるなど、ゲボにとってあってはならない事なのだ。
「とぉるは、わ…るい、子、です…、ヤらしぃ…コト、され…の、好き…、あっ、んっ、だ…ら、お…しおき、し、てくだ、さい…、」
 シドの指の動きに、切ない息づかいで腰を揺らす亮が、今目の前にいる。
 先ほどまで泣きながら、寄るな触るなと暴れていた亮とは別人だった。
 胸が痛い。
「亮、力を抜け」
 ベッドの上に亮の身体を押し倒すと、秋人から処方された抗生剤入りのジェルを指先に乗せ、亮の後腔にゆっくりと挿入させる。
 亮は当たり前のように足を上げ、息を吐いて力を抜いていた。
 それでもシドの長い指が数本、何度も出し入れを始めると、
苦しげに喘ぎ始める。
「っ、はっ、シ…、きもちぃ、あっ、あっ…んぁっ、」
 シドは亮の左足を肩に担ぎ上げ、抱きしめるように頬を寄せながら、亮の声の高くなる部分を何度も擦り上げてやった。
 ぐちゅぐちゅという卑猥な音が室内を彩り、次第に亮は追い詰められていく。
「ォレ、あっ、つめた…よ…、オレん中、シドの指、つめた…あっ、あっ、ふぁっ、」
 亮の頬を涙がこぼれ落ちる。
 焦点のまるで合わない瞳からこぼれる涙はシドの胸をしめつけ、シドはそれを唇でぬぐってやった。
 腰をゆらし続ける亮の未成熟なそれは、触れられてもいないのにつらいほどに張り詰め、着せられたシャツの裾を濡らし、透かしている。
「痛くはないか?」
 薬の効いている間にこれは愚問だと思いながらも、シドは聞かずにはいられなかった。
 亮の内部はかなり酷く傷つけられており、このジェルも治療を兼ねてのものである。
 傷ついた部分をよけるように刺激しようとしているのだが、亮が嬌声を上げる部分は特に大きな傷が走っているらしいのだ。
「き…ち、いぃよぉ、シィ…、ォレ、あっ、っちゃう、ぃちゃう…、」
 指を突き上げる度亮の身体が跳ね上がる。
「いけるならいっていいぞ、亮」
 シドを知る誰もが耳を疑うほどの優しい声音で、シドは亮の耳元で囁いた。
 その声に、亮は必死にシドの首にしがみつくと、身体を震わせる。
「っ、ん、はっ、は…ふぁああああああっ!」
 部屋の外まで聞こえるほどの嬌声を上げ、亮はシャツの中で欲望の滴を吹き上げる。
 反り返ろうとする小さな身体を抱きしめて、なだめるようにシドは髪を撫でてやった。

 亮が眠りにつくまで、シドは何度も何度もそれを繰り返し、ただひたすら優しく慰める。
 一時間後。
 意識のない亮をシャワーで清めてやり、クリーニングから返ってきたばかりの自分のシャツを着せる。
 下着は急なことでまだ用意はしていないが、今日にでも秋人に買いに行かせばいいだろう。
 汚れたシーツもついでに取り替え、そこでようやく亮を寝かすことができる。
「秋人。終わった。足の包帯、取り替えに来い」
 ダッシュボードの上に置かれた内線電話にそう告げると、シドは亮の横にやっと腰を下ろした。
 いつもの煙草を咥えると、安らかな寝息を立てている少年の顔を見下ろす。
 これからしばらくはこの治療とは呼べないような治療を続けなくてはならない。
 なるべく亮の身体に負担をかけない方法を取るつもりだ。
 だが、問題はもっと違うところにあると、シドにはわかっていた。
 亮の精神が、持ってくれることを願うしかなかった。













「亮くんの具合はどう?」
 事務所に顔を出した壬沙子の第一声はそれだった。
 デスクで今後の予定に頭を悩ませていた秋人は、顔を上げると珍しく深刻な表情で首を振る。
「第一回目のGMD投与は何とか終わったんだけど……今後の事を考えると、正直つらすぎるよ」
 壬沙子は濡れたコートを脱ぐと、手にした通帳を秋人のデスクへ置いていた。
 外は夏らしい土砂降りの雨が降っているようだ。
「GMD、一キロ。社員割引で三千五百万円。ちゃんと振り込んでおいたから」
 返された通帳の残高を見て、秋人がますます哀しい顔になる。
「壬沙子さんいなかったら、うちの貯金じゃぜんぜん足りなかったよね」
「Gebo's moonstruck drip。あれはゲボの血を使って精製されてる薬品だもの。普通に裏で買えばこの五倍は取られるわね」
「――普通に裏って日本語へんじゃない?」
「どうするの? こんな事になって、まだIICRに亮くんの存在を隠しておくつもり?」
 コートを掛けながら問う壬沙子の声は、決して明るくない。
「やっぱり覚醒したゲボは本部で保護してもらうのも、一つの手だと思うわよ? 今回のことで、ゲボを狙うのはなにもソムニアに限った事じゃないってわかったんだし」
「その上、現存するゲボは亮を入れてたった八名。全人口から考えれば、七億五千万分の一の希少種だ。それを保護する為なら、例え飼い殺しだとしても、あの家畜小屋に放り込んだ方がいいとでも言うのか」
 事務所の扉が開き、シドが入ってくる。
 事務所内の空気が文字通り一気に温度を下げ、緊張感が張り詰めた。
 その緊張をほぐすかのように、秋人があえて脳天気な声をかける。
「お、シド。どうだった? 亮くん、僕の特製おかゆ食べてくれた?」
「だめだ。口にした固形物はすぐに上げてしまう」
「そっかぁ。しばらくは点滴で栄養補給ってことになりそうだね。こんな状態じゃすぐ脱水症状に陥りそうだし」
「クライヴ。私の提案が気に入らないのはわかるわ。あなたがIICRからとばされたのだって、元はといえばゲボ関係のトラブルだったんですもの。でも、現実的に考えてどうなの? あなた、GMD中毒の治療を続けていけるの? 一日二日のことじゃないのよ? これから一年、二年――三年かかるかもしれない。後遺症の心配だってあるわよ。敢えてゲボのいるセブンスに出入りしなかったあなたが、それを続けていける?」
 いつになく壬沙子の口調は厳しい。
 はらはらする秋人をよそに、彼女は鋭い視線でドアの前のシドを見据える。
「もう決めたことだ」
「――それが、亮くんの為だと本気で思ってる? あなたの意地のためじゃないでしょうね」
「そんなものはとっくに捨てた。――おまえはわかっていると思っていたがな」
 シドの無表情な言葉に、数秒の沈黙が流れる。
 しかし壬沙子はふっと息を吐くと肩をすくめて見せた。
 急に空気がゆるむ。
「わかったわ。あなたがそこまで言うのなら、私もこの件は本部には伏せておく。だけどもし、あなたが途中で亮くんを放り出すような事があれば、遠慮なく本部へいただいていくから。そのつもりで」
「――そんな心配は無用だ」
 シドは手にしたお椀を給湯室に運びながら、ぶっきらぼうにそう言った。
「あいつを拾ってきたのは俺だ。師匠のように、諒子のように、組織すら手の出ないゲボにあいつを育ててやる」
「大きく出たわね」
 壬沙子はそこで初めて表情を緩めた。
「お手並み拝見させてもらうわ、お父さん」
「――とりあえず、養育費分は稼いでもらわないとな、お父さんには」
 秋人はそう言うと、シドに向かい、今後の予定表で作られた紙飛行機を飛ばしていた。