■ 2-30 ■



「頼む! 緊急事態なんだ。ヤザタスの連中なら誰でもいい、居場所を教えてくれっ」
 シュラはビアンコ専用の秘書室に飛び込むなり、一人部屋に残り、管理記録に目を通していた秘書室長のデスクを派手に叩いていた。
 秘書室長である五十代の中東系女性は、あきれ顔でこの不作法な乱入者を見上げる。
「なんですか、ジオット。入って来るなり訳のわからないことを。ヤザタスの居場所など教えられるわけがないでしょう!」
 『ヤザタス』。それはIICRトップであるビアンコ直属の内部諜報機関のことだ。
 ヤザタスの構成員は全て『ダガーツ種』であり、彼らはその名の意味するとおり『照らし出す者・昼を司る者』として他人の心を読み取るテレパス能力者である。
 だが高度な力を持つダガーツは、それ以外に、アルマの持つ能力や属性などを見通す賦与能力を有していると言われている。
 ヤザタスに属しているダガーツは、全てがその基準値を超える者たちであり、彼らは己がヤザタスの構成員であることを隠して各部署に散らされているのだ。
 もちろん、ダガーツであるということも隠しており、ビアンコによって与えられた小規模な他の能力を使い、カモフラージュしていると言われている。
 つまり、ヤザタスの構成員であるダガーツの居場所を教えることどころか、誰がその一員であるかを教えることすら組織内では許されていないのだ。
「冗談を言いに来るほど、獄卒対策部がヒマだとは思えませんけどね」
 秘書室長が嫌みたっぷりにデスク向こうのシュラを眺めると、パタンとノートパソコンの画面を閉じる。
「それとも、ビアンコか理事会の承認書をお持ちですか? それならば必要な手続きを踏んで、明日にも迅速な対応を……」
「迅速!? 明日や明後日じゃ遅い。今すぐだ。たった今、ダガーツの目が必要なんだ」
「また無茶なことを。各セラに散っている彼らに連絡をつけるのも大変だというのに、今すぐなどと――」
「連絡つかねーってなら、俺が直接行って引っ張ってくる」
「そ、そもそも、彼らの正体を他のソムニアに知らせるわけにはいかないんですよ! わかっているでしょう?」
「あいつらが誰だろうと、今後誰にも絶対喋らねぇ。だから頼む。誰か一人でいい、居場所を教えてくれ!」
 凄まじい形相で詰め寄るシュラの勢いに、秘書室長は気圧されながらも首を縦に振ろうとしない。
 常識的に考えてもこんな風に手続きも踏まず、勝手に室長が許可して良い問題ではないのだ。
 デスクに着けられたシュラの手から、幾筋も細い煙が上がり、合成樹脂の焼ける嫌な匂いが立ちこめ始めていた。
「り、理由はなんですか? ヤザタスにカラークラウンから依頼が来るなど異例のことです。理由をお聞かせ下さい」
「――それは、・・・今は言えねぇ」
 熱気を帯びるまでに興奮気味だったシュラが、苦しげに視線を落とした。
 もし今シュラの考えていることがスティールの耳に入れば、その場でスティールは究極の選択を取るだろう。
 その選択を為されてしまえば、スティールはまんまとこの場から逃げおおせ、亮を今世で救うことは不可能となってしまう。
 だから極力、シュラはスティールの名も、今セブンスで何が起こっているのかも、語ることを控えたいのだ。
 焼け始めていたデスクに気づき手を離すと、シュラは拳を作り、再び室長の顔を見つめる。
「言えねぇが、頼む。ヤザタスに連絡を取らせてくれ。カラークラウンからの依頼がまずいっていうなら、俺はクラウンを降りてもいい。必要なら――機構を抜けても構わん。だから――」
「ちょ、ちょっと、ジオット! あなた、自分が何を言っているのかわかっているんですか!?」
 秘書室長が慌てたようにシュラの言葉を止めていた。
 カラークラウンを辞すだの、機構を抜けるだの、常軌を逸した言葉が飛び出し、さすがの彼女もシュラの決意が伊達や酔狂でないということを感じ取る。
「あなたの覚悟はわかりました。しかし、やはりヤザタスに触れさせるわけにはいきません。そもそも、こういった申し出をすること自体罪になるんですよ、ジオット」
「っ――」
「このことは、現在『3B244G-クリナーク』で異端ソラスの調査を行っている、ビアンコへ報告しておきます。処分は追ってなされるでしょう。――わかったらもう行ってください。私も仕事がありますから」
 秘書室長は言い終わると、もうシュラへ視線を合わせることもなく、再びパソコンの画面を立ち上げていた。
 シュラの口元が微かに引き上がる。
「・・・。今度、秘書室にビールでも差し入れするわ」
 その言葉が聞こえたときには既に、シュラの体は廊下へと飛び出していた。
 派手な音をたて、ばたんと扉が閉じられる。
 秘書室長は渋い顔で深々とため息をつくと、焼けこげたマイデスクの表面を爪でガリガリと削る。
「ちゃんと沸騰してないビールでしょうねぇ?」
 シュラを送り出した扉の取っ手が、くっきりと手の形に赤く輝き、徐々に鈍色を取り戻していった。




 
――クリナーク? どこだよ。そんなセラ、聞いたことねぇ。
 シュラは獄卒対策部専用のシールドルームに入ると、自ら内部端末を使い、座標を3B244Gへと合わせる。
 ベッドで上半身を起こしたまま、サイドからアームで支えられた端末に数値を打ち込んでいると、部屋の上部に着けられた内線モニターに部下のユーリの顔が映されていた。
「ジオット、お休みなのに見回りですか? 座標入力ならこちらから私が――」
「ああ、いいんだ。プライベートだからな。留守中はレイドに全権を任せてある。何かあったらあいつに報告しろ」
「え!? どういうことです? またどっか危ないセラに遊びに行くつもりですか!? いい加減にしてくださいよ、部長。いつまで平部員感覚なんですか」
 呆れたような部下の言葉に、シュラは自嘲気味に笑った。
――まぁ、あの人が出かけるようなセラだ。お花畑みたいなトコじゃないことは確かだな・・・。
 ビアンコの持つ『オートゥハラ種』の能力は、己で狩ったソラスの能力をそのまま吸収し、己のものにできる特殊なものである。
 そんな彼の欲しがるソラスが治めるセラなど、物騒なところに間違いはないのだ。
 つまり、秘密裏に単独でビアンコが赴くセラは、当然のことながら特A級に危険なセラばかりということである。
 しかしだからと言って部下を連れて行くことも、行き先を告げることも出来ない。
 己の得た能力を他者に知らせない為、ソラス狩りに出かけているビアンコの行き先は常に極秘事項に指定されている。
 それを教えてもらえただけで、シュラとしては御の字なのだ。これ以上の迷惑をあの秘書室長にかけるわけにはいかない。
 もしビアンコを見つけられず、そのセラで窮地に陥れば、人知れず死亡ということも考えられなくはない。
 セラの特質も状況もわからない状態で潜ることは、かなり危険な行為であるといえたが、それでもシュラは入獄をやめる気など毛頭なかった。
 ビアンコに会って事情を話し、承認書さえ手に入れれば、ダガーツを亮の元へ連れて行ける。
「すぐに戻ってくる。俺が戻らないと話にならんからな。おまえらも、俺の休暇中しっかり働いとけよ」
 まだ文句を言いたげなユーリの顔を手元のリモコンで消し去ると、シュラは体を横たえながら端末のエンターキーを叩く。
 ベッド上部に設えられた誘導レーザーが菫色の輝きを放ち、まるでシュラの全身をスキャンするように、頭のてっぺんから足の先まで舐めていく。
 シュラが目を閉じると、次に、菫の光は幾何学的な文様を彼の全身に描き出していた。
 それは、額、のど元、胸、腹、腕、足へ、次々と凝縮し、シュラの肉体にくっきりとその入り組んだ記号を刻み込んでいく。
 部屋の中央。天井と床をつなぐように作られた、細いガラス管の中を、水銀時計の雫が滴り始めていた。
 数秒後。
 菫の文様がシュラの全身から消え去ると、ガラス管の中の水銀が、黄金色に輝き始める。
 モニターには『3B244G IN』の文字が点滅していた。






 ダガーツを探しに行くとシュラは言った。
 それの意味することを、レオンは信じられない気持ちで思い返す。
――亮はスティールに、名を奪われているかもしれない――
 口には出さなかったが、ダガーツに亮のアルマをセラ内で検分させると言うことは、こういうことなのだろう。
「いくら何でも、まさかそんな真似するなんて……」
 亮の居る病室へ戻りながら、我知らずレオンは呟いていた。
 ソムニアが他のソムニアの名を奪うという行為は、殺人の比ではないほど罪が重い。
 名を奪われた者は転生を繰り返してなお、奪った相手の下につくことになるからだ。
 この行為は、相手が正規リスト外のはぐれソムニアである場合や、キルリストに載るような者の場合は問題視されはしない。
 だが、亮は現在IICRに所属する正規のソムニアである。
 しかもゲボという特殊な種であり、機構の完全な保護下にある存在だ。
 その亮の真実の名を、事もあろうにカラークラウンを持つ人間が奪ったのだとしたら。
――蒸散刑、か。
 レオンは己の体を抱くように二の腕をつかむと、ぶるりと一度身震いした。
 実質上の死刑に当たるのが『転生刑』と呼ばれるもので、受刑者は電気椅子か薬物かを選び、その方法を使って肉体の命を絶たれる。
 しかし、ソムニアである以上、一定の周期の後再び転生し、記憶を有したまま地上に生まれ落ちることが出来る。
 しかし、『蒸散刑』はそれすら許されない。
 人外のものである獄卒を抹消するのと同じ方法で、アルマを瞬時に無に消し去るのだ。
 アルマは原子に分解され、セラを構築している材料と同じ成分の粒子となり消えていく。
 名を奪った者のアルマが無に帰す事で、名を奪われた相手は初めて解放されることになる。
 よって、蒸散刑は『加害者に対する罰』であるのと同時に、『被害者に対する救済』でもあるのだ。
 魂の流転を知るソムニアにとってこの刑の抑止力は圧倒的で、IICRが始まって以来、組織内で名を奪う行為が行われたことは一度もなかった。
 それが、まさかこんな身近で起ころうとは――。
「あれ、どうしたの? ノーヴィス」
 病室近くに戻ったレオンは、部屋の扉の外で立ちつくすノーヴィスの姿を見つけ、声を掛けていた。
 ノーヴィスは青い顔で何かに耐えるように俯いていたが、レオンの声に顔を上げる。
「亮くんにちょっと話があるんだけど――」
「あ、ドクター今は・・・」
 病室の扉に手をかけたレオンを、ノーヴィスが焦ったように制止する。
 その様子と、中から漏れ聞こえる亮の声に、中で何が行われているのか、レオンにはすぐにピンと来ていた。
 しかしノーヴィスの制止をあっさり振り切り、レオンは病室の扉を開ける。
「亮くーん、ごめんね。ちょっといいかな――」
 ベッドの端に浅く腰掛けたスティールの膝上に、こちらを向き座らされた亮の姿が真っ先に目に入った。
 大きく足を広げられた格好で、浴衣の裾が乱されている。
 肝心の部分は隠されているが、裾の切れ目からちらちらと亮の白い腿が覗き、中で何が行われているのか想像するに易い光景であった。
 そしてそれは隠されているからこそ、匂い立つような淫靡さを醸し出している。
「――っ、ぁっ、ふぁっ、」
 スティールの手が、亮の胸元へと忍び入り、執拗に悪戯を繰り返しているのがその動きで見て取れる。
「なんですか? ドクター・クルース」
 スティールはゆるゆると亮の胸元の手を動かしながら、涼しい顔でレオンを見返してきた。
 体を震わせ、ずり落ちそうになる亮の身を、片手の力と腰の反動で抱え直すと、その衝撃に亮は甘い悲鳴を上げ、両手で背後のスティールにすがりつく。
 亮の瞳は真正面のレオンに向けられていたが、そこには明らかにレオンの姿は映されていない。
 亮の中には今、背後で自分を貫いている主の存在しかないのだろう。
「せっかく検査するんだから、使い魔の形態やタイプなんかも見られればと思ってね」
 しかしレオンは何事もないかのような調子で、話を続けていた。
 背後では苦渋に満ちた表情のノーヴィスが、その様子を見守っている。
「それは嬉しい提案ですね。私も早く可愛いファミリアをこの目で確認したいですから。――そうですね、亮?」
 背後から亮の髪に口づけをし、そのまま唇の動きで亮に返事を促す。
 亮はスティールの吐息にひくりと身体を強ばらせると、小さく頷いていた。
「――はぃ、リュナ……様、」
『名を奪われている』というシュラの憶測を通して見たこの光景は、淫靡というより、哀絶に満ちている。
 亮は身体だけでなく、その心すら完全に囚われの身となっているのか――。
「で、今技師の者にインセラで検査装置のセッティングしてもらってるから、もう少し待っててもらえるかな。何しろ対ゲボ用のデータが少なくてね。時間がかかりそうなんだ。――スティールはどうします? 研究部の方はいいんですか?」
「ああ、今日は一日お休みをいただいてきてますから、ご心配なく。ずっと側についていますよ。――セブンスの外に出た私の亮に、またいつ良からぬ者がちょっかいをかけに来るとも限りませんからね」
 先ほど亮の側にシュラが居たことがよほど気に障ったらしい。
 自分以外の者に亮が懐くということが、許せないのだろう。
「ですが、あまり時間をかけることはあなた方の無能を表すことになりますよ?」
 スティールの手が胸元から抜かれ、今度は広げられた浴衣の裾の中に滑り込む。
 隠すこともなく湿った音が漏れ始めるが、スティールは涼しい顔で話を続けていた。
「亮はとても疲れています。できれば早めに亮を部屋へ連れ帰ってあげたい」
「っ――、ふぁっ、ぁっ、りゅ…さ…、ぁっ、ぁっ、」
 他人の目の前で身体を弄られながらも、嫌がることなく熱い吐息を漏らしている亮に、レオンは胸が潰されそうな思いがする。
 今すぐ亮からこの忌むべき男を引きはがし、医療棟からたたき出してやりたい。
 しかしレオンは平静に対処しなくてはならないということを、自分自身わかっていた。
 感情的になり、亮の名の事を疑っていると知られてしまえば、全ては水泡に帰す。
 もし本当にスティールが亮の名を奪っているのだとすれば、疑われているとばれた瞬間、恐らくこの男はその場で亮を殺し、なおかつ自分も死を選択するだろうからだ。
 そうすれば、また何十年後かに転生を行え、再び亮を支配下に置くことが出来る。
 転生してしまえばIICRに居場所を知られることもない。
 完全に逃げおおせることが出来るのだ。
 罪が露見すれば蒸散刑に処されることがわかっている者にとって、これは容易に行える最善の方法だと言える。
 何度も死を経験しているソムニアにとって、死など大した恐怖ではないのだ。
 だから、セラ内で亮のアルマをダガーツに検分させるという行為は、あくまで迅速に秘密裏に、スティールに感づかせることなく行われなくてはならない。
「わかってますよ。セッティングは急がせています。亮くんはまだまだ病み上がりですからね。――ですから、スティールも与食行為はほどほどに。毎日は必要ないんですから」
「ふふ……、そうですね。気をつけます」
 柔らかに微笑んで見せたスティールがゴソリと手を動かすと、亮は喉を引きつらせ、身体を弓なりに反らせていた。
 「ひんっ」という小さな泣き声が漏れ、びくんびくんと何度か爪先が痙攣する。
 亮の身体が小さな痙攣を繰り返しながら、力尽きたようにスティールの胸に崩れ落ちる。
「――怒られてしまいましたね、亮」
 柔らかな髪の中に言葉を埋めながら、研究部トップのこの男は苦笑して見せた。
 しかしそれでもゆるゆると彼の手は動き続け、先ほどよりも大きな水音を、くちゅり、くちゅり、と響かせ続けている。
 ぼんやりとレオンを眺める亮の口元には、一筋、透明な唾液の糸が滴り落ちていた。