■ 2-31 後編 ■



 浴室の大きな洗面台の前に亮を降ろすと、かがみ込みながらシュラは再びキスを落としていく。
「っ、ん……」
 熱いシュラの唇が亮のそれを覆うと、少年は目を閉じ、すがりつくようにシュラのシャツを握りしめていた。
 シュラは呼吸も許さないほどに激しく亮の唇を貪り、エプロンのリボンをほどき始める。
 綿の焼ける微かな匂いが上がり、亮の身体を覆っていた純白のエプロンはシュラの指の赴くまま、褐色の後を刻み出んでいく。
 キスに興じながら亮の肩からクロスされた帯を抜くと、シュラは無造作にそれを放り捨てた。
「は…、っ、シュラ…、ユニ、焼けちゃうよ――」
「――また買ってやる」
 服の裾をたくし上げながら、亮の首筋に己の赤い印を着けていく。
 亮の肌が白い分、シュラの跡は赤く鮮やかに浮かび上がり、シュラはその花弁を愛しげに舐め上げた。
 これこそ亮が己のものになった刻印のように思え、セブンス時代に押さえ込んでいた亮への独占欲が、甘く激しくシュラの中に満たされていく。
「ん、っ、ぁっ、」
 その熱い舌先に、亮の身体が敏感に反応する。
 シュラのシャツをつかんだ手が、より強く、きゅっと握りしめられた。
 シュラの右手がたくし上げた亮のシャツの中に潜り込み、滑るように素肌の背に回されていく。
 しかし化繊で出来たユニフォームは綿以上にもろく、シュラの手が僅かに触れただけで解け落ちてしまう。
 化繊の焼ける独特の臭気に眉をしかめ、シュラは――次から亮の服も耐熱仕様の特注品を頼まなくては――などと、良からぬ計画を思い描いていた。
「平気か? 熱くねぇか?」
「…、ん、だいじょぶ、どってことない、」
 綿とは違い、化繊は溶ければ肌に張り付いてしまう。
 亮にそれをさせないため、シュラは見る影もなくなったレプリカユニを熱と力で一気に引き裂き、腕だけ亮に抜かせると、セラミック張りの床へ投げ捨てていた。
「ほら、ズボンも脱がねぇと――」
 前面のボタンに手をかけられ、亮が少し怯んだように腰を引く。
 シュラの手が戸惑ったようにそこで止まった。
「しゅ、シュラも脱いでよ。オレばっか、フコーヘーだよっ」
「んあ? ああ、なに。俺の肉体美が見たいか?」
 思わぬ亮の言葉に、シュラの口元に笑みが浮かぶ。
 亮の抵抗が、自分を拒絶する類のものでない事が嬉しかった。
「ば、ばっかじゃねーの!? そんなんじゃねーよっ!」
 真っ赤になって否定する亮が可愛くて、シュラは膝を折るとその薄い腹筋へ口づけをした。
「――っ・・・。」
 その予想外の行動に、亮は頬を更に紅潮させ、シュラの顔を見下ろす。
「俺が脱ぐと耐熱繊維のガードがなくなって危ねぇからな。もう何百年も着たままエッチだ。おまえにも火傷させるわけにはいかねぇし――」
「――っ、へ、平気だって言ったろ!? オレ、ゲボだよ? シュラがいくら熱くしても、オレ、火傷したりしないよ……」
 亮の手がそろそろと、戸惑いがちにシュラの髪を撫でる。
 少年にとって考えも及ばなかったシュラの答えは、彼の小さな胸をせつなさでじんと痺れさせてしまったようだった。
 何百年もずっと、好きな人とちゃんと触れ合えないだなんて、哀しすぎると──少年の瞳はそう語っていた。
「オレ、今ちょっとだけ、ゲボで良かったかもって、思った」
「――亮・・・。」
 シュラの腕が伸びると亮の頬に触れ、下からゆっくりと口づける。
「ん……、」
 ちゅっと音をたて何度もキスを繰り返しながら、シュラの右手は亮のハーフパンツを脱がしにかかっていた。
 ゲボである亮にとって、燃えてしまう可能性のある衣服は危険なだけだ。
 たとえ今から自分が脱ぐのだとしても、まずは亮の衣服を全て脱がせてからでなくてはならない。
 手元を確認することもなく慣れた手つきでボタンを外しファスナーを降ろすと、できるだけ平静を保ちながら下着ごと手をかけ、下に引き落とす。
 シルク製のハーフパンツとトランクスは、拍子抜けするほど容易く、するすると亮のしなやかな足を滑り降りていった。
 シュラの与えるキスに夢中になっている亮は、遂に自分が全ての衣服を取り払われてしまったことに気づいていない。
 ついばむような優しい口づけの熱に呼吸を荒げながら、両手をシュラの肩に置き、膝から崩れてしまわないよう必死に身体を支えていた。
「は…、はぁ…、しゅ…、んぁ…、っ、…、」
 唇を離すと、追いかけるように伸ばされた小さな舌が宙を泳ぎ、少年は得も言われぬ淫靡な表情になる。
――う。やべぇ。これだけで、どんぶり三杯コメが食えそうだ。
 亮が来てから和食の増えたシュラの心のコメントは、レオン並みにベタなものだ。
「ちょっと待ってろな――」
 囁いて亮の身体を抱え上げ広い鏡台の前に座らせると、ジャケットを脱ぎ、Tシャツも脱ぎ、ついに仕事着である黒い耐熱用のアンダーシャツをも脱ぎ捨てる。
 現れたその身体は隆とした筋肉で覆われているが、シャツを放るその動作で、それが決して固いだけの作りものではなく、実戦で鍛え上げられたしなやかさを持つものだということがよくわかる。
 日に焼けた肌は銀の髪とは対照的な艶やかさを持ち、動きの一つ一つに視線を外させない引力がある。
 亮は一瞬、どうしてだか頬を赤らめて「わぁ……」と、感嘆の声を上げていた。
「どうした?」
 不思議そうに声を掛けると、己のジーンズのボタンに手をかけたまま、シュラが亮の顔をのぞき込む。
「え、あ……、別に――。ただ、なんか、すごいシュラ、かっこいいから、オレ、びっくりしちゃって……」
 ストレートな亮の発言に、今度はシュラが赤面する。
「お……、おまえなぁ、そういうことをサラッと言うなよ!」
「だったら、どう言えばいいんだよ! こんなの、オレ、初めてだし、しゅう兄とは全然違うし、――外人ってみんなシュラみたいなのか?」
「なんでそういう括りなんだ――」
「だって、しゅう兄以外の大人の裸なんて、オレ知らないもん。父さんとは風呂に入ったこともないし、銭湯とか温泉とかもあんま行ったことないし」
 自分の発言がまずかったのかと、しょぼんと俯いてしまった亮の身体を抱き寄せ、シュラは髪を撫でてやる。
 亮の様子を見れば、セブンスに来る連中は恐らく着衣のまま亮を犯していたのだろうとわかる。
 亮さえ脱がしてしまえば、自分が何も面倒な真似をすることもない。
 受け手のみ脱がせる行為は、攻め手に圧倒的な優位を感じさせ、さらなる征服感を感じさせてくれることもある。
 亮がシュラにも脱衣を要求したのは、シュラがセブンスのゲストとは違うということを、己で感じたかったからなのかもしれない。
「そうか。俺はあんまり褒められることに慣れてないからな。照れ隠しでキツイしゃべりになっちまってたか。ごめんな――」
 柔らかな髪にキスをすると顔を上げさせ、頬を撫でてやる。
「言っとくが、俺のナイスバディーは特別製だ。その他大勢の外人と一緒にするなよ?」
「へへ――、シュラ、変だよ」
 亮は楽しそうに笑うと、ふと手を伸ばし、目の前にあるシュラの胸元に触れていた。
「――これ、どうしたんだ?」
 そこには他の肌より若干色の薄い、引きつった跡のようなものが、大きく横一線走っている。
 よく見れば、腕にも腰の辺りにも、いくつも似たような跡が付いていた。
 中には明らかに巨大な歯形のようなものまで見て取れる。
「ああ、まぁ、仕事柄、年中怪我ばっかしてるからな。うちには優秀な医療スタッフが居るからすぐに傷は塞がるが、どうしても跡は残っちまう」
「痛くないのか? もう、平気なのか?」
 上げられた亮の瞳が揺れ、その眉が苦しそうに寄せられている。
 どきん、とシュラの胸が一つ大きく鼓動した。
「――もう痛くねぇよ。大丈夫だ。・・・だからそんな顔するな」
 もう何度目かもわからないキスを落とすと、シュラは亮の身体を強く抱きしめる。
 百近い傷はどれもただの跡でしかない。
 だが、少し力を入れれば壊れてしまいそうな亮の華奢さが、胸に痛かった。
 自分は今から最低のことをしようとしている。
 それを少年に全身で突きつけられている気がした。
 柔らかな頬に頬をすり寄せ髪の中に手を差し入れると、亮が身を捩りながら笑い声をたてる。
「ちょ、シュラ、ひげくすぐったいって――」

――愛しくて愛しくて切なくて、狂いそうだ。

「亮――。なぁ、いいのか? 俺は本当にこのままおまえを抱いちまっていいのか?」
 出した声はかすれていた。
 さっきまで「泣いてもやめてやらない」などとうそぶいていた自分の方が、今にも泣き出してしまいそうだ。
 こんなに苦しいのはなぜだろう。
 これは亮が望んでくれたことのはずだ。
 それなのに、シュラは震えが止まらない。
「シュラ?」
 腕に抱く亮の僅かな動きにさえ、シュラの身体は熱く反応を示している。
 今すぐにでも亮の小さな身体を押し倒し、貪り、貫いてやりたい。
 快楽の甘い声を上げさせ、己の身体にしがみつかせたい。
 だがその肉体の暴走を、胸の痛みが凌駕していた。

「亮。やっぱおまえは、シドんとこ、帰れ。ここにいちゃ、ダメだ」

 本当に小さな声だった。
 まるで吐息に淡い色が付いた程度のその声は、それでもシュラにとって精一杯絞り出したものだった。
 そうなのだ。
 亮はシドを想っている。
 それを自分はどうして思い出さなかったのか。
 亮にとって帰るべき場所はここじゃない。
 亮には必死に守った場所がある。
 そこへ亮を帰してやることこそが、自分のすべきことだったはずだ。
「――どうして? シュラはオレのこと、嫌い?」
 不安げな様子で亮が聞き返す。
 声がかすかに震えているのがわかった。
「そうじゃない。だがな、亮。――おまえの一番は俺じゃないだろ?」
 頬を離すと亮の顔を見下ろす。
 まっすぐに見返してくる亮の黒い瞳に言葉がせき止められそうになるのを、シュラはぐっと押し返していた。
「東京へ――、シドの元へ帰る為に、亮はがんばってきたんだろ?」
「――っ、知らない。・・・、そんなのオレ、知らないっ。シドなんて人、オレ、知らない! 知らない! 知らない! 一番はシュラだ。オレが好きなの、シュラだけだよっ!!!」
 亮はぶんぶんと首を振ると、駄々をこねる子供のように手足を振り回す。
 鏡台にぶつけて痛めそうになる腕を押さえつけ、シュラは亮の身体をもう一度抱きしめていた。
「やだよっ、オレ、シュラと一緒がいい! どこにも行きたくないっ。シュラのそば、居させて? 何でもする。――オレ、何でも言うこと聞く。だから、お願いだからっ・・・」
 ぼろぼろと壊れた水道みたいに涙が流れ落ち、シュラの胸を濡らしていく。
 亮の言葉も、涙も、すがりつく手も――、何もかもが、シュラの一番もろく柔らかい場所をつかみ、締め上げ、潰そうとする。
 腕の中で泣きじゃくる少年にキスの雨を降らせ、その涙を止めてやりたい。
 「やっぱりずっと一緒に居よう」と、「さっきのは冗談だ」と、照れ笑いを浮かべながら謝りたい。

 だが、シュラは気づいてしまっていた。
 ここが、自分のマンションでないことに。
 現実の世界でないことに。
 記憶が戻らないままの亮が、自分と共に生活を始める世界は完全ではない。
 それは、シュラにとっての完全な世界であって、決して亮にとってのパーフェクトではないのだ。
 そんな状況で自分が「全て事件はうまく解決した――」などと思うわけがない。

「亮――。俺はおまえを助けるために来たんだ。だからここでおまえと暮らすわけにはいかない。・・・ごめんな」

 一瞬にして光が差した。
 腕にかき抱いていた柔らかな質量もぬくもりも消え、シュラはただ一面の白い世界へ放り出される。
 まるで広大な画用紙の上にたたずんでいるような光景に、シュラは何度か瞬きをし、下を向くと広げた腕をさすってみた。
――ひでぇ夢だった。
 まだ亮の滑らかな肌や華奢な骨格の感触が、この腕に残っている。
 サイコ系のセラにも何度か出入りした経験はあるが、今回ほどリアルで至れり尽くせりな場所は知らない。
「なんであんなシチュエーションなんだよ、まったく」
 結果的に抜け出せたからいいようなものの、最後の解決の糸口すら完全にセラの毒気にあてられたものだった。
「どんな夢を見たんだ? ジオット。ずいぶん涼しそうな格好だな」
 ガシガシと頭を掻くシュラの後ろから、不意に声が掛けられる。
 思わず身をすくませると、シュラは焦ったように振り返っていた。
 そこにはいつものローブを羽織ったIICRトップの姿。
 ただいつもと違うのは、その面にありありと苦笑を浮かべていることだ。
 シュラはそこで初めて、自分が半ストリップ状態であることに気がつく。
「っ――、いや、これは、まぁ、大したことじゃないです」
 ビアンコの目の前で、脱ぎ捨てられたアンダーシャツやTシャツを着込みながら、シュラはばつが悪そうに口をゆがめるしかない。
 もちろん下ろしかけていたジーンズのファスナーも、しっかりと上まであげる。
「よく抜け出せたな。ここのソラスはかなり凶悪で、訪れる住人全てを己の中に封じ込めてしまっていたほどだ。――だからここには何もないだろう」
 確かにビアンコの言うとおり、これほど何もないセラは見たことがない。
 全てがこの画用紙のような大地の中なのだろうか。
「どうやら二次元的な空間に捕らわれてしまうらしい。一歩間違えば、おまえもコミックの一ページに収められていたはずだ」
――シャレにならねぇ。いろんな意味で。
 シュラが情けなく眉尻を下げる。
「まったく、最低な夢見せられましたよ。もう、なんていうか――」
「――このまま時間が止まればいいような……か? 衣服まで脱いでしまう夢とはおまえらしいな、ジオット」
「か、からかわないで下さいよ! けっこう恥じらってんですから、俺としても」
「いや、からかってなどいない。ここのソラスは元々そういう力を持った者なのだからな」
「そういう力?」
「見通す力――、だよ。見せる力など大したものじゃない。サイコ系ソラスにはよくあるものだ。だが、人の本質を見抜く力はなかなかない。ここの精度はそれが恐ろしく高いのだ」
「――!! それはもしかしたら、その……」
「ダガーツ能力に近いな。――おまえはそれが必要で、こんなわけのわからんセラまで足を運んだのだろう?」
 シュラは言葉を失っていた。
 完全に思う先が読まれている。
 既にビアンコはここのソラスを狩った後なのだ。
 シュラが抜け出せたのも、もしかしたら自分の力ではなく、ビアンコの狩りと被っただけの結果かもしれない。
「では行こうか」
 力のあるダガーツとは対峙した経験がないシュラにとって、ビアンコの今の言動は背筋が凍り付く恐怖を感じさせる。
 しかし、これこそシュラには奇跡的な好機とも言えた。
 ヤザタスを使用するのは不可能に近いが、ビアンコならば直接動いてくれる気がする。
 ここのソラスの能力を知っていて、あの秘書室長はシュラにこのセラを教えてくれたのかもしれない。
「ビアンコが直接見てくださるんですか?」
 シュラがビアンコの顔を見返すと、無言で賢者は頷いていた。
 ほっとシュラが安堵の息をつく。
「だがジオット。私が出来るのは事件の表面を解決することだけだ。――本質的な問題は、おまえたち三人でどうにかしなくてはな」
 姿を消しながら残されたその言葉に、同じく身体を宙に溶けさせながらシュラが目を見開く。
「――っ、ちょっと、ビアンコ! 何言ってるんですかっ。別に俺は――」
 シュラの声は全てを言い切る前にかき消え、次の瞬間、盛大な寝言を叫びながら、シュラの肉体はシールドルームで起き上がっていた。