■ 2-33 ■



 大きさにして三メートル四方はあるだろうか。
 オフホワイトに塗装された巨大な鋼鉄の検査機械は、部屋の中央に仰々しく鎮座している。
 横に寝かされた円筒形のフォルムと、その側面中央に大きく口を開けられた丸い穴で、横から見ればまるでホワイトチョコレートのかけられたドーナツのようだ。
 ドーナツの中心部から尽きだした白い天板には、患者を寝かせるためのテーブルが乗っており、スライドすることによって、寝かされた人間を機械中央に送り込むシステムになっている。
 現実世界におけるMRIやCTにも似た形は、セラで機械を具現化する折、制作者がもっともイメージしやすい形を踏襲したものと思われた。
「ごめんねー、亮くん、ちょっとひんやりするけど我慢してねー」
 レオンは完全に眠ったままの亮を金属製のテーブルに寝かせながら、そう声を掛ける。
 受胎した亮は側にスティールがいない限り、セラ内においても眠り続けてしまうようだ。
「ドクター、それじゃ検査始めていいですか?」
 大きなガラス窓で仕切られたモニタールームから、検査技師のリッチーが声を掛ける。
「ああ、――そうだね。始めようか」
 気は進まなかったが、これ以上時間を押させるわけにはいかない。セラ内では時間の流れが変わるとはいえ、あまりのんびりと構えては居られないほど、ぎりぎりの時間になっていた。
 何より検査室の外では待合い用ソファーに座り、スティールが検査結果と撮影された使い魔の写真を今か今かと待ちわびている。
 もしシュラが間に合わず、このまま検査終了になることになっても、スティールにレオンたちの行動を不審がらせるわけにはいかない。
 しかし先ほど、モニタールームにまで入ってこようとしたスティールを、レオンが「規則だから」と何とか止めたのはかなり強引な行動ではあった。
 ソムニア同士で使い魔を作った場合、受胎主であるイェーラをモニタールームに入れないという事は、通常ありえない。
 しかし今回は「まだ受胎が確定しているとは言えないから」という事を理由に、どうにか切り抜けていた。
 もしシュラが戻ってきたとしても、近くにスティールの居る状態はうまくない。
 スティールの目の前でダガーツに亮を見せるわけにはいかないのだ。
 医療棟のセラは入り口が完全に決まっており、検査室へ来るにも直接ここに現れることは出来ず、スティールの待つ廊下の前を通らなくてはならない。そこへシュラやわけのわからない人物が現れて、検査室に入っていったとしたらスティールは間違いなく止めにはいるだろう。そこのところをシュラがどうするつもりなのかはわからなかったが、それでもスティールが検査ルーム内にいるよりは随分ましだと思えた。
 レオンが一歩機械から離れると、微かなモーター音をたててテーブルが滑り込んでいく。
 亮がドーナツの中心部へ収められるのを確認すると、レオンはステンレス製の扉を開け、モニタールームへと戻っていた。
 リッチーがマウスとキー操作で機械を動かすと、二十一インチの小型ディスプレーに、亮のアルマの輪郭が滲み出す。
「ドクター・クルース。どうしてイェーラ・スティールをここへお通ししなかったんです?」
 隣で同じ画面に視線を注ぐレオンへ、まだ大学生にも見える検査技師のリッチーが疑問を投げかける。
 レオンは全く浮かない表情のまま、片方の口の端だけつり上げて見せた。
「言ったでしょう? 受胎が確定しない内から関係ない人間を同道させるわけにはいかない」
「はぁ・・・。まぁ理屈は通ってますけど、この子の受胎は前段階の診察でほぼ確定でしょう。いつものあなたなら、規則だの規定だのはお構いなしで、患者のいいように取りはからうじゃないですか」
「私はそんなに無法医者か? 滅多なことは言わないでくれよ」
 さして気分を害した様子もなく、レオンが口を尖らせる。
「――まぁ、本音を言えば、私はあいつが嫌いなんだよ」
「あいつ? イェーラ・スティールのことですか?」
「他に誰がいるんだ!? なぁにが、リュナス様だ。イヤらしい。私の可愛い亮くんに勝手に本名呼ばせやがって。あいつなんか、キモス様で十分だ。――彼はリュナスですか? いいえ、彼はキモスです。――新しい英語の教科書の例文にしてやりたい!」
 わけのわからない怒り方を始めた医師に困ったように眉を寄せながら、リッチーはさらに検査を進めていく。
 画面上に新たな画像が滲み出す。
 ライムグリーンに縁取られた亮のアルマの中央に、巨大な影が黒々とわだかまっていた。
 レオンの翠眼が苦しげに凝らされる。
「これは――、そうとうデカいですよ。宿主アルマの四分の一を占めている……。密度も……、5250 Api――。現段階で排出後の使い魔の濃さを超えてます。・・・この子、まだセブンスに入って三ヶ月経っていないですよね。受胎日はいつなんですか?」
「一昨日だ」
「――は?」
「だから、昨日の昨日。まだ三日目だよ」
「!? 何の冗談です、それ! だって、この調子で力を吸い上げられれば、半月で宿主のアルマが瓦解しますよ!?」
「宿主のアルマ密度、見てみなよ。多分答えがわかるから」
 口元に手をやり画面を見据えるレオンの指示通り、リッチーが画像をズームアウトさせると、亮本人を中心とした測定の結果が打ち出される。
 ベテラン検査技師である彼はそこに現れた数値の大きさに瞠目した。
 今まで数多くのアルマを診てきたが、こんな数値はまず知らない。
 たとえカラークラウンであっても、なかなかこの域の者は現れないのだ。
「マジですか・・・? この子、まだ覚醒初回ですよね。有り得ないっすよ。――って、でも実際数字出てるもんなぁ。こんなアルマもあるんですね。感動だ・・・」
「最初の血液検診の時、簡単ではあるが数値は出てたからね。一応わかってはいたんだけど、改めてみるとやっぱりすごいね。これなら――ファミリアの大きさが理解できるだろ?」
「なるほど。そうですね。――こりゃ、イェーラ・スティールが夢中になるわけだ」
 レオンがジロリと横目でにらみ据える。
 それに気づくと、リッチーは焦ったように画面を元へ戻していた。
「かっ、形はあんまり見かけない感じですね。なんでしょう、丸い影が出てるけど――」
「通常なら既存の動物や、ホムンクルス型が多いんだが・・・」
 言いかけてレオンは言葉を失っていた。
 画面に映る黒い影が、ずるりと、まさに音を出しそうな様子で動き始めていたのだ。
 丸いように見えていたそのファミリアは、外周から細くリボンのように分かれ、亮のアルマの外郭をなぞるように長大な身体をくねらせる。
「もう動いてますよ、こいつ。信じられない――」
「蛇? いや、それにしては随分いかついな」
 レオンの指摘通り、とぐろを巻いていたその使い魔の様子は、蛇のようでもあるが全体的に固い鱗をまとった感じでささくれて見える。
「クロコダイル、ですかね?」
「いや――、それにしては動きが――・・・、ドラゴンか?」
「ええ!? ちょっとイメージ違いますよ。翼もないし」
「東洋系のドラゴンには翼はない。『龍』と言った方がいいか? キミは日本の聖典、ドラゴンボオル読んだことがないのか!? あれだよ、あれ!」
「ああ! なるほどぉ! ……って、え? でもそんな架空の生物のファミリアなんかあるんですか!? 僕、今まで生きてきた百八十年で見たことないですよ!?」
「亮くんはゲボだからね。しかも東洋系の古神を召還するタイプだ。アルマに宿された使い魔が、影響を受けてもおかしくはない」
「そっか、なるほど、そうですね。――今までゲボの排出したファミリアなんか見たことなかったもので・・・。いやぁ、すごいなぁ。技師冥利に尽きますわ」
 再びレオンにジロリとされ、しまったというように首をすくめると画面に向き直る。
「と、とにかく、写真撮って終わりましょうか。後が込んでることですし、患者も早く部屋に帰してあげたいでしょう?」
『そうだな、そうしよう』という言葉を予想していたリッチーの耳には、しかしなかなかレオンの返事が聞こえてこない。
 そろりと隣の様子をうかがうと、レオンは難しい顔で画面を見たまま凍り付いたように動きを止めていた。
「ドクター・クルース?」
「もう少し」
「え?」
「もう少し、検査を進めよう。ファミリアの内部にまでエコーを送れないか?」
「えっ、更に深くですか!? 無理ですよ。このマシンの性能はご存じでしょう? アルマの殻を二段階以上通すことはできません。それに時間も――」
 リッチーは壁に掛けられた丸時計に目をやると、小さく首を横に振る。
 その長針は、次の検査の時刻を一時間近くオーバーしていた。
「インセラなんだ、ケチケチするなよ!」
 リアルでの一秒がセラ内での三十一秒であるため、単純計算すれば、リアルではたかだか二、三分程度の遅れである。
 しかし待たされることを極端に嫌う武力局の連中が相手なのだ。開始時間が元々三十分近く遅れた状況で、さらに引き延ばされるとなると、きっと外では事務長がイカツイ野郎どもに文句を言われ放題なことだろう。
「どうしてですか。これ以上必要なことなんかないでしょう? 妙な我が儘もいい加減にしてください、ドクター。我々も事務方もヒマでもなければ怒られたくもないんです!」
「――それはわかっているんだが、もう少し。頼む。あと一時間。頼むよ!」
「なんでですか? いつものあなたらしくないですよ。こんなわけのわからない振り回し方する人じゃないでしょう。理由を言って下さい。理由を! 納得できれば僕だって――」
 珍しく上から目線で強硬に出たリッチーのセリフがそこで止まる。
 検査室の分厚い扉を開け、一人の人物がモニタールームに入ってきたからだ。
 内側からロックがかけられているはずのその扉を、当たり前のように開け当たり前のように閉じたその男は、再びロックをかけ直し、目を皿のように丸くしたレオンとリッチーの元へ歩み寄ってきた。
 二人の前にようやく『待ちわびていた理由』現れたのだ。
「亮の様子はどうだ? 落ち着いているか?」
「――あ、ぁ、あ、はい、あ、あれ? なんで? ビアンコが直接!?」
 レオンは思い描いていた以上の大物の出現に、状況がつかめていないようだ。
 リッチーにいたっては弾かれたように椅子から立ち上がると、直立不動でパクパクと口を動かすしかない。
「表でスティールに会ったが、怪しまれることはなかったよ。こういうときにトップという立場は使えるものだな」
 ビアンコはそう言って笑うと、おもむろに左手を水平に振り上げ、トレードマークの白いローブをバサリと掲げて見せた。
 驚いたことにそのローブの内側に、医療棟インセラのロビーが映されている。革張りのソファーが整然と置かれた広い空間には、まだ人気はまるでない。しかしただ一人、そのローブの窓から顔を覗かせた男が居た。
「――うおっ、なんじゃ、こりゃ。あれ、レオン!?」
 言いながらそこからまず長く太い足が伸び、続いて良く見知ったカウナーツのカラークラウンが身体をくぐらせて現れる。
 モニタールームに完全に入り込んだシュラは、狐につままれたような顔でぐるりと辺りを見回し、最後にビアンコの顔を見ると不服そうに眉尻を下げていた。
「こういうことですか。それなら先に言っといてくださいよ。びっくりするじゃないですか」
「そう文句を言うな。こういうことは説明するより実践した方がわかりいい。――それよりすぐに始めなくてはならんだろう」
 ビアンコにそう言われ、シュラは表情を引き締め頷く。
「な、なんです? 何が始まるんです?」
 うろたえるリッチーを尻目に、ビアンコとシュラがガラス張りの向こう側へ扉を開け入っていく。
 レオンはそれを確認しながら、モニタールームでキー操作をし、亮の横たわるテーブルをドーナツの中から引き出していた。
「ちょ、ちょっと、ドクター・クルース! まだ写真も撮ってないし、データの保存も――」
 それを慌てて制止させようとするリッチーに、レオンは片手を上げた。
「いや、いいんだ。あんな検査結果どうだっていい。それより、見てごらん。キミが知りたがっていた理由が今から始まるよ」
 リッチーが視線をガラスの向こうに寄せると、棺に入れられた白雪姫の如く眠り続ける亮の横に、ビアンコとシュラが立った所だった。
 ビアンコの右手がふわりと上がると、そっと亮の額に添えられる。その動きだけで亮の全身が淡く白く発光し始めていた。
 舐めるような動きで黒く分厚い手が引かれると、隠されていた額の部分が現れる。
 そしてその姿に、ビアンコを除く一同の呼吸が止められていた。
 シュラもレオンも言葉が出ない。
 予想していたことだし、そうでなくては先に進めない事実である。
 だがそれでも、実際現実にそれを目の当たりにしてしまえば、その衝撃に次の行動が打てなくなる。
「――っ!!!! これ。この、黒いクロスは・・・、まさか・・・」
 リッチーがひからびた声でそれだけ言った。
 ぼんやりと発光する亮のアルマの中で、一部分だけ暗く沈んだ場所がある。
 それは亮の額の中心。
 深く食い込むように穿たれ、黒く姿を現した忌まわしい十字は、亮から発せられる輝きを飲み込むように凶悪に闇を渦巻かせていた。
「スレイヴクロス――。これほど禍々しい色をしたモノは珍しいが、間違いはないな」
 ビアンコの呟きに、呪縛が解けたようにシュラもレオンも震える息を吐く。
 名を奪われた者は主のアルマの一部を己の額へ埋め込まれる。だがそれは極小で、密度も淡い微かなものであるため、検査機器などでは見つけることができない。
 しかしこんなささやかな刻印で、名を奪われた者は常に主とつながり、主の思うまま、命じるまま、永遠に従うことになるのだ。
 IICRでもほとんどお目にかかれない映像に、リッチーはバカみたいに目を見開き瞬きを繰り返している。
「リッチー、撮影とクロスの解析を頼むよ。それが終われば今度こそ検査は終了だ」
「は、はいっ!」
 レオンの指示でリッチーはモニターに飛びつくと、亮の眠るテーブルを再び機械へと滑り込ませ、凄まじい勢いで仕事を開始する。
 シュラはそれを眺めることもなく、肩に提げられたホルスターからずっしりと重いデザートイーグルを引き抜き、弾倉を確認すると再びホルスターへ滑り込ませていた。
 仕事着であるジャケットのポケットから黒い革製の手袋を取り出すと、左手に装着する。
 手の甲の部分に固い盛り上がりのあるその手袋は、重要な彼の仕事道具の一つである。
 その様子をビアンコの青い瞳が見据えている。
「――ジオット」
「何も言わんで下さい。もう一秒だって待てねぇ。あんな気色の悪いもんを亮にくっつけておくわけにはいかないんだ。――問題があるようなら、後からいくらでも処分してもらってかまわんですよ。なんなら、シドの時と同じように放り出してください。俺も外の方が肌に合うかもしれませんしね」
 高ぶった感情にガラにもなく剣のある言い方をすると、シュラはビアンコに指示をさせず、ガラスの部屋を抜け分厚い金属の扉を開けて検査室から出て行った。
 通り過ぎた後に起こる風は熱風だ。
 外にはあの男が待っている。
――イェーラ・スティール
 レオンは友人の後ろ姿と閉じられていく扉を見送り、祈るように目を閉じていた。