■ 2-8 ■



『へぇ。この子が新しいゲボ? 東洋系なんて珍しいよね』
『ね、ノーヴィス、どんな服着せるの? やっぱりキモノ? あたしも着たい〜』
『ジュリア様もララ様も、そろそろお部屋に戻られないと、ライス執事長にお小言を言われますよ?』
『え〜、いいもん、別に。今日は採血もないし、ゲストはぜーんぶキャンセルしてやったし』
『やだ、あんた、勇気ある! ガーネットの執務室にまた呼び出し食らうよ?』
『だって、イェーラ・スティールとかフェフ・ライラックとかだよ? 絶対いやー。あたしはシたい人としかシないの』
『げー、あいつらかぁ。スティールは、顔はいいんだけどねぇ。醸し出すオーラが私もパスだわ。つーか、あいつらキモさで言ったらセラにわいてる虫並みじゃん? 私もここ五年、お茶だけ飲ませて三十分で追い出してる。シャルルなんてゲストリザーブ入れることすら許してないよ。しかも転生後一度も』
『さすがだわ。あ〜あ、あたしもシャルくらい綺麗なら、そんくらいするのになぁ』
『あら、ララだって可愛いわよ? とても三十八には見えないし』
『そういうジュリアだって、一昨年三十路の割に、モデル体型でステキよ?』
 楽しげに話す黄色い声に、不穏な空気が混じり始める。
 亮は聞こえてくる、わからない言葉の波に意識を揺すられ、ゆっくりと目を開けていた。
『そもそもさ、選り好みしないで真面目にゲスト接待してるのなんて、ガーネットとグリエルくらいじゃない?』
『ああ、グリィはもとからマジメだしねぇ。ヤングガーネットよ。だから人気ないんだけど』
『あはは、確かにあの子んとこ行くと、ゲストまでみんなお説教されて帰ってくらしいよ?』
『マジで? グリィのヤツ、本気で次のカラークラウン狙ってそうで恐いよ。――確かに能力値で行けばガーネットの次なんだろうけど、意識しすぎだっつの! あいつがカラークラウンになったら、セブンスの牢獄政権続行ってことじゃん』
『またゲボ・レイニーの時みたく楽しくなればいいのに』
『まぁ当分無理っしょ。ガーネットまだ六十四才だよ? あと二十年はガーネット政権だって。こんな時ばっかはゲボの体質が恨めしいわ』
「――あの……」
 亮は身体を起こすと、目の前の女性二人に声を掛けてみる。 彼女たちは亮のベッドサイドに座り、さきほどからひっきりなしに何か重要なことを語り合っているようであった。
 亮が起き上がり、不思議そうに二人を見つめて初めて、彼女たちは亮が目を覚ましていたことに気づいたようだ。
『やだ、かわいいじゃん。瞳も真っ黒。さすがにジュリアより年下だよね』
 二人の身体がぐぐっと亮に近づいてくる。
『いくつだっけ。ハタチ? 二十五?』
『こりゃガーネットが虐めるわ。間違いないって』
 一人の女性は二十歳前後のロングヘアー美女。
 もう一人はショートカットの美少女である。
 亮はいきなり二人の綺麗な女の子にベッドの上で迫られ、わけがわからず頬を紅潮させるしかない。
『亮さまは、十五歳でございます』
 部屋の向こうからやってきた、気弱そうな青年が、何事かを二人の女性に語って聞かせた。
『ソムニアとして目覚められたのは、二ヶ月前だそうでございますよ』
 すると、一斉に女の子達は騒ぎ始める。
『――十五ちゃい!? うそ、シャルより下ってヤバくない? 犯罪じゃん! 見つかったら労働刑だよ』
『ララぁ、もうそのギャグ飽きたよぉ。ここ、十二歳から実働可能でしょ? でも目覚めて二ヶ月ってのはすごいわ。そっちがむしろ犯罪』
『だよねぇ。じゃ、な〜んも知らないんだ。それなのにいきなりこんなとこ連れてこられちゃって、かわいそ〜。――それにしてもやけに無口じゃない? なんで何にも喋らないの?』
『そうよ。自己紹介くらいするのが礼儀ってもんじゃないの?』
 意味はわからないが、急に女の子達の視線が冷たくなる。
 亮は戸惑ったように目をぱちくりさせるしかない。
『お二人とも、勘弁して差し上げて下さい。亮さまはまだ母国語のみしか使うことがおできにならないので――』
 ノーヴィスと呼ばれた青年が、助け船を出してくれたらしい。女の子達の態度がまたも軟化する。
『うそ。英語だめなの? じゃ、どこ語よ。チャイニーズ?』
『亮さまは日本人ですので、日本語――ということになりますね』
『そうよ、キモノとゲイシャはジャパニーズでしょ、ジュリア』
『クール! ジョシコーセー、ハラジュク、サムライ! 亮はサムライの子?』
『亮がカラークラウンになったら、ゲボ・サムライね』
『サムライって何色よ』
『え? ブルー系じゃないの? こないだサッカー中継で言ってたよ』
 よくわからないが、『サムライ』だとか『ジョシコーセー』だとか聞こえてきて、おかしな流れになってきているということだけは、亮にもひしひしと感じられる。
『お二人とも。そろそろ亮さまは、検査結果を聞きに行く時間になりますので――』
 ノーヴィスが困ったように眉を下げ、二人の女の子をベッドから引き下ろしにかかった。
『あ、あたしはララ。ララ=マコーミック。四度目よ。部屋は三階。よろしくね』
 ショートカットの西方アジア系美少女がそう自己紹介する。
『私はジュリア=ウェルダム。私も四度目。部屋は十二階だから、ヒマなら遊びに来てよ』
 モデル体型のロングヘアー美女も同じくそう自己紹介をすると、ようやくベッドの上をおり、ララと共に部屋を引き上げていく。
 それをどうにか見送って、ノーヴィスは大きく息をつくと木製の大きな扉を閉めていた。
「お休み中の所、申し訳ありませんでした」
 亮の元へと歩んでくる青年は、この部屋で初めて亮のわかる言葉で語りかけてくる。
「私の名前は、ノーヴィス=ブラック。本日から亮さまのお世話係をさせていただきます。なんなりとお申し付け下さい」
 シドより少し年上だろうか。
 栗色の髪と瞳をした優しそうな青年だ。
「ノー……ヴィスさん?」
「ノーヴィスで結構ですよ、亮さま。そう呼んでいただいた方が私の気が休まります」
 そう言うと、ノーヴィスは窓際へと歩いていき、カーテンを開ける。
 亮の倍以上もあるような高さを持つ窓は、眩しい日差しを部屋一杯に提供した。
 部屋全体はいつか大富豪のお宅訪問で見た、高級リゾートマンションの一室を思い起こさせる作りだ。
「今、何時なのかな。それから、この部屋――」
「今は朝の十時半になります。亮さまは、十五時間以上お休みだったことになりますね」
 ノーヴィスは軽く笑い声をたてると、部屋の奥へ行き、すぐに飲み物を持って引き返してきた。
 グラスに入れられ小さな気泡をたてるレモンスカッシュは、痛いほどによく冷やされ、飾り付けられたレモンの輪切りが新鮮さをアピールするように輝いている。
「亮さまは炭酸ドリンクがお好きと聞きましたので」
「あ、ありがと――」
 手に取るとベッドの端に座り直し、床に足を下ろす。
 確かに亮は炭酸ジュースが大好きだ。
 しかしこんなことまで知られている事実に、一抹の恐ろしさを感じる。
 きっと、この組織に隠し立てする事なんて何一つできはしないのだ。
「この部屋が今日から亮さまの生活していただく私室です。ゲボ棟――通称・セブンスの地上六階が、亮さまの部屋になります」
 ノーヴィスは亮の傍らに立ちつくしたまま、亮の言葉通り、部屋の説明を始めていた。
「六階? 隣の部屋は誰もいないの?」
「はい。六階、ワンフロアー全てが亮さまの私室となっております」
 亮は思わず目を見開いた。
 ぐるりと室内を見渡せば、寝室だけで四十畳以上はあるだろう。
 バームクーヘンの切れ端みたいな半円形の作りのこの部屋は、片側全面ガラス張りで、とても見晴らしがいい。
 窓の外は森林や湖が見える、自然の一大パノラマである。
 部屋の一角にはしきりがあり、その向こうには簡易バーのようなものがついているらしい。
 逆側の壁にはバスルームへの扉が付いており、この部屋にいるだけで全て生活が賄えるようである。
 しかしこの部屋だけでなく、フロア全体が亮の部屋ということになると、他にもう、どんな部屋が必要なのか、亮にはさっぱりわからない。
 あとは台所とトイレくらいしか思いつかない亮であった。
「外に出るためにはこの寝室に着けられた扉を使うほかありません。扉の外はすぐにエレベーター。そして一階管理ルームを通り抜けて初めて外出することが出来ます」
 つまりは玄関のすぐそばが寝室ということか。
 外国の建物はみんなこんな風なつくりなのかと不思議に思う。
「今の女の子たちは外から来たの?」
「あの方たちは、亮さまと同じ、ゲボの方々です。ですが彼女たちも一度管理ルームを通ってからこの部屋に来ています。
エレベーターは全基管理ルームと直結されているのですよ」
 亮の丸い目がますます丸くなる。
 各フロアーに一つずつ、専用のエレベーターがついているということのようだ。
 後で知ったことだが、ようするにゲボ間をはしごする輩が出ないように、必ず一度管理ルームを通過しないと移動できない仕組みになっているらしい。
「ノーヴィスもゲボなのか?」
「いえ、私はソムニアではありません。IICRの下請けである人材バンクからの派遣になります。以前はセブンスの食材調達やリネン関係を仕切らせていただいていました。今回、亮さまのおそばに使えることが出来、本当に光栄に思っています」
 ノーヴィスはそう言うと深々とお辞儀してみせる。
 彼の使う日本語も、お辞儀の仕方も決して板に付いたものではなかったが、それでも亮の為に日本式に接してくれるのはとてもありがたかった。
「えと、あの、顔上げてよ。オレ、そんなたいそうな人間じゃないし、もっと普通にしてくれてかまわないからさ。言葉だってため口――えーと、友達みたいにしてもらった方が……」
「それはできません。私はあくまでも亮さまにお仕えする立場ですから。お気に入らないようでしたら、黙っていますので――」
「え!? いや、その、そんなつもりで言ったんじゃないんだけどな。――じゃぁ、うん、わかった。ノーヴィスの好きにしてよ」
「あっ、ありがとうございます、亮さま」
 亮が困った表情のまま折れてみせると、ノーヴィスは心から嬉しそうに微笑む。
 彼にしっぽが生えていたらちぎれそうにパタパタと振っていることだろう。
「亮さま、早速ですがご予定がこの後十二時から入っております。昨夜採取した血液鑑定の結果を聞きに、研究棟へ出かけることになっていますので、その前にシャワーを浴びて、お食事になさってください」
 いいながら、ノーヴィスはベッドの端に座った亮のそばに身体を寄せると、きょとんとした亮の身体をふわりと持ち上げていた。
 突然の事に亮は驚いて、思わず手にしたグラスを落としそうになる。
「な、何!?」
「亮さまはお疲れのご様子ですので、私がシャワーのお手伝いを――」
「ぇっ!? い、いいよ! オレ、一人で入れるから!」
「ですが、亮さまのお世話をするのがノーヴィスの勤めですから――」
「じゃ、じゃあ着替え! ノーヴィスはオレの着替え、何か出してくれると嬉しい……な」
 腕の中でじたばたと暴れる亮の言葉に、再びノーヴィスの表情が嬉しそうにほころぶ。
「はい! お着替えですね。かしこまりました」
 そのままバスルームの前まで歩んでいくと、まるで壊れ物でも扱うかのようにノーヴィスは亮の身体をそろりと下ろしていた。
「亮さまのお写真を拝見して、お似合いになりそうなものを、いっぱいご用意しておきました。すぐにお持ちいたします」
「う、うん――。お願いします」
 一抹の不安を覚えながら亮が言うと、ノーヴィスは「はい!」と威勢良く返事をして寝室奥にあるクローゼットへ走っていく。
 亮はそれを見送ると、彼が引き返してくる前に急いでバスルームへ飛び込んでいた。
 あの様子では用意が終わってしまったらきっとまた「入浴を手伝う」とか言ってくるに違いない。
 鍵を掛けると手早く服を脱ぎ、さっさと浴室へ飛び込む。
 洗面所も浴室も、ピカピカの大理石で囲まれた、超高級ホテルのような作りだ。
 浴室だけでワンルームのアパートくらいの広さがあり、大きく取られた窓からは、明るい日差しと美しい景色が存分に楽しめるようになっていた。もちろん使われているのは特殊偏光ガラスであり、外からは全く見えないように配慮されているようだ。
「――すげ、これ、どうやって入るんだ?」
 バスタブは純白の陶器に金の縁取りが施された足つきのもので、蛇口も美しい白金のメッキが施されている。
 湯船には既に綺麗なお湯が溢れており、当然のようにジャグジーがボコボコと湯船を泡立てていた。
 ハリウッドの女優が足を突き出しながら鼻歌交じりに入浴している姿が、亮の脳裏に浮かんだ。
 続いて亮はきょろきょろと辺りを見回すが、目当てのものが見つからない。
「――洗面器がない」
 仕方なく、手が届かないような高い位置にかけられたシャワーヘッドを、ジャンプして手に取ると、それを使ってかけ湯をした。
 シャワーも塩素除去の機能の付いた最新式の高級品らしい。
「シャンプーとかは――」
 頭からお湯を被りながら、再び室内を物色する。
 浴室内に設えられた大きな洗面台の前にはずらりと、いくつも見知らぬ小瓶がならんでいる。
 ブルーグラスの綺麗な小瓶のラベルには、英語だか何語だかわからない、点々のいっぱいついた言葉が当たり前のように書き連ねてあった。
 一つずつキャップを外して臭いをかいでみたが、いいにおいがするということ以外、正体は何もわからない。
「何でこんな一杯あんだよぉ」
 石けん。シャンプー。リンス。
 この三つでいいじゃないか。
 ノーヴィスに聞いてみようかと思ったが、ここで声を掛けたら最後、やっぱり入浴のお手伝いということになりそうで、結局亮は独力で切り抜ける道を選んでいた。
 ふと見れば、美しい絵柄の焼き込まれた陶器のケースが、洗面台のすぐ横に置いてある。
 それを開けてみると、まるで泥の塊のような不思議な茶色い物体が、大切そうに収められていた。
 しかし亮にはわかった。
――こっ、こいつは、石けんだ!!
 この風呂場には似つかわしくない、きったない石けんだが、この際贅沢は言っていられない。
 亮はそれを鷲づかむと、両手で泡立て、頭の先から足の先まで、それ一つで洗いきっていた。
 リンスまでは手が回らなかったが、この際そのくらいはいいことにしておこう。
 やっとそこでバスタブに入り込む。
 最初はボコボコ泡立つその刺激がくすぐったくて仕方なかったが、慣れてくるとなかなか気持ちいいものだと気がついた。
 バスタブに背を沿わせ天井を仰ぐ。
 天井がとても高い。
 可愛らしいスズランの形の照明器具が目に入り、その上に大きな送風機がゆっくりと回っているのが見て取れた。
 バスタブはうまく人の背中に合うように作られているようで、亮はあまりの気持ちよさにまた眠ってしまいそうになる。
「――シドたち、心配してるかな。……してるよな」
 ふと考えても仕方のないことが浮かんだ。
 検査の結果を聞きに行くと言うことになっているが、どちらにせよ、陽性反応がでることはわかっているのだ。
 そうなれば、もう二度と事務所へ帰ることはない。
 ――たぶん。
「これが旅行なら――良かったのに」
 再びあり得ないことが頭に浮かび、亮はぶんぶんと首を振っていた。
 勢いづけてザバリとバスタブを出る。
 鏡の前でふと、首筋にまだつけたままでいた大きめの絆創膏に手が伸びていた。
 さっき身体を洗いながら剥がそうかとも思ったのだが、何だかそれが出来なかったのだ。
 しかし、亮は一度大きく息を吸うと、目を閉じ、今度はゆっくりとそれを剥がしていく。
 傷はほとんど塞がっていた。
 自分の傷の治りの早さは、ゲボである証拠の一つだ。
 自分はきっともう、帰れない。
 帰れないんだ――
 亮は剥がした絆創膏を洗面台の上に置くと、外にいるノーヴィスに声を掛ける。
「ノーヴィス、服だけくれるかな」
「亮さま、お身体お拭きいたします」
「いや、だから、服だけでいいからっ!」
 必死の叫びと共に、亮は少しだけバスルームの扉を開いていた。
 その隙間から、そっと着替えが差し込まれる。
 亮の思いはノーヴィスに通じてくれたらしい。
「ありがとっ」
 急いで扉を閉め身体を拭くと、受け取った服を広げてみる。
 そこで亮はしばし沈黙した。
「――・・・。わぁ」
 ゆったりとした袖の白いシルクのブラウスは、胸元に美しい刺繍がたっぷりと施されている。
 短い丈の黒いズボンは、高級そうな素材を使っているものの、膝上十五センチだ。
 コレを着た自分が想像できなかった。
 まさに、少年合唱団入団状態だ。
「の、ノーヴィス、パンツは?」
 おまけに大切なアイテムが一つ足りない。
 しかし、亮の指摘をノーヴィスはこう切り返してきた。
「ゲボの方々は下着をおつけになられないので――も、もしかして亮さまはパンツをはかれるのでしょうか!?」
 亮の頭から、チリチリと湯気が立ち昇っていた。