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「……いない、のか」
 そろそろと視聴覚準備室の扉を開け、中を覗き込んだ亮は、肩すかしを感じながらも少しばかりほっとしていた。
 鍵を開けっぱなしでどこにいったんだろうと首を捻ってみるが、そこにシドの姿はない。
 放課後――、亮は早速シドの仕事の様子を探るため、シドが学校で私室として使っている準備室へ足を運んだのである。
 秋人のパソコンから情報を盗み出す作戦は辛くも失敗に終わり、こうなったらシドから直接うまく聞き取り調査が出来れば――と思った亮だったのだが……。
「かえって、チャンスなんじゃね?」
 本人に聞き取りをするより、部屋を探索する方が危険度は少ない気がする。
 亮は扉を閉めると、意気揚々と室内の探索を開始していた。
 まずはシドの机を漁り始める。
「……ん〜……、なんか……、意外と普通……」
 ペンなどの筆記具や、教材用のプリント、DVD、指導要綱、それから眼鏡ケース。
 見つかるものはどれもごく普通の教師の持ち物ばかりだ。
「……ホントにこれ、シドの机なのかよ」
 亮としては、「怪しいセラ座標の記入された紙」だとか、「暗号で書かれた謎のリスト」だとか、「古代文字の書かれた輝く宝石」だとか、「拳銃」だとか、「日本刀」だとか、そういうものが出てくるに違いないと確信していたのだが――
「シドのくせに先生みたいな机だな……」
 不満げに唇をとがらせ、デスク上のパソコンを触ってみる。
 秋人のものとは違い、よくあるWindowsのパソコンのようだ。
 しかしどこを触ってみても、出てくるのは教材用の資料や生徒の名簿程度で、怪しいところは見られない。
 それでもと己を奮い立たせ、一時間にわたって亮の探索は続いた。しかし……。
「・・・・・・。むぅ」
 一声唸ると、とうとうパソコンの調査も断念。
「……なんでなんもないんだよぉ」
 形の良い眉を寄せ、疲れたように亮は溜息を吐く。同時に、大きなあくびがその口から漏れていた。
「ふぁ〜あ……。ねむ……。も、早く終わらせて帰りたい……」
 金曜日は発作で体力を使い、土曜日は色々なことをもんもんと考え眠れなかった。そして昨日、日曜日の夜も、どうやってシドから仕事の情報を聞き出そうかとそればかり考え、眠りについたのは朝方だ。
 亮は今さら襲い来る睡魔に抗いながら、次に資料庫の扉へ手を伸ばす。だが……。
「……鍵、かかってる」
 準備室のさらに奥にある小さな扉は固く閉ざされ、亮を迎え入れてくれる気はないようだ。
 この中に重要な何かがあるのかもしれない――。
 そう当たりを付けると、資料庫の鍵を探して、亮はそこら中を引っかき回す。もちろん、その後は見つからないように片付けることも必要だ。
 そうすることかれこれ三十分――。
「……ない。……てか、フツーにシドが鍵持ってんだろうな。きっと……」
 無駄な労力による疲れが、どっと亮を襲っていた。
 少しだけ休憩しよう――。
 そう考えた亮は、窓際に置かれたソファーへ腰を下ろす。
「・・・・・・。趣味わりぃ……」
 傍らに置かれた水玉のクッションは、明らかに英語教諭の瑤子が用意したものだろう。なんとなくイラッとした亮はそれを彼方へ放り投げると、その下から現れたものに目を丸くした。
「! もしかして!」
 ソファーの肘掛けに投げ出されていたのは、シドのジャケット。
 大きなブルーグレーのそれを見て、もしやこのポケットに鍵が入っているのではと探し始める。
 だが結局――。
「……タバコしか入ってねー」
 はふぅと大きく溜息を吐いた亮は、ジャケットを敷いたまま、ソファーへバスンと倒れ込んでいた。
 がっかり感による疲れが睡魔を呼び、亮のまぶたが下がっていく。
(ちょっとだけ、休憩――)
 大きく息を吸えば、少し煙たい良く知るシドの匂い。
 大いなる安心感が亮を包み込み、あっという間に少年の口元からはすーすーという静かな寝息が漏れ始めていた。


 部屋に戻ったシドは、ソファーの上で眠る少年の姿を見付け、困ったように息を吐く。
 見回せば、部屋の様子が随分と変わっているのに気がつく。棚に並んでいた本の順番は微妙に変わっているし、机の引き出しもかすかに開いている。パソコンのマウス位置もずれているようだ。
「……とんだ諜報部員が現れたな」
 やれやれと眉をしかめながらソファーに近づき、自分のジャケットを枕にすやすやと眠る亮に再び溜息を吐いた。
 ジャケットに頬をすり寄せきゅっと握りしめた少年の口元は、どこか幸せそうな笑みが浮かんでいる。
 シドは傍らに腰を下ろすと、その柔らかな唇にそっと指を滑らせる。
「まったく……、困ったヤツだ……」
 スパイに入った先で眠り込むなど、捕まえてくれと言っているようなものだと呆れてしまう。
 一度は「亮の好きにさせてみよう」と覚悟を決めたシドだったが、これでは改めて見直すべきだという想いも湧いてきてしまう。
「あまり危ないマネはしてくれるなよ」
 柔らかな髪を撫でてやると、亮は幸せそうに小さく身じろぎをした。
「…………」
 その安らかな寝顔に、今すぐ学校をやめさせ、誰の手にも触れられない場所へこの少年を閉じこめてしまいたい願望がシドの中で膨れあがる。
(だが、そうもいくまい……)
 一般の人間ならそれもいいかもしれない。だが、亮はソムニアなのだ。何度も何度も生まれ変わり、これから永遠の時を生きていかねばならない。
 永遠の時の中で、常に自分が傍にいられるわけではない。
 亮が一人になったとき――、自力で生き抜いていける力がどうしても必要になる。
(今回はそのいい機会になるのかもしれん)
 亮はどうやらボランティア部について調べる気らしいと、秋人は言っていた。となれば、性的な事件が関わってくることも本人は承知しているのだろう。
 それでもこうして前向きに事件へ首を突っ込んでくる辺り、亮を追い詰め、苦しめていたセブンスでの傷は、予想以上に早く癒えようとしているのかも知れない。
「……強いな、おまえは……」
 思わず言葉が漏れ、シドは亮の柔らかな頬を大きな手のひらで包み込む。
 亮はその冷えた感触に、心地よさげに自ら頬をすり寄せていた。
 そろりとシドの顔が落とされ、キスをする。
 亮を起こさないように、体重を掛けることなく、触れるだけの優しいキス――。
 柔らかで暖かなその感触は、幸福の象徴のようだとシドは思う。
 ほんの数秒――その日だまりのような幸福を味わうと、シドはそっと身体を離していた。
 亮は何も気付かず、脳天気な微笑を浮かべたまますやすやと眠り続けているようだ。
 そして――
「・・・・・・。」
 シドの口元に(無表情ながら)いつもの意地悪な微笑が浮かび、
「……っ、んにゃっ!」
 亮の鼻は無情にもぎゅっと強くつままれていた。
 瞬間、驚いた猫のように亮はじたばたと手足を藻掻かせ、飛び起きる。
「な? ??? な? ??? な????」
 完全に混乱した亮はきょろきょろと辺りを見回し、仁王立ちで自分を見下ろす英会話講師の姿を認めると、怯えたようにソファーへ張り付いていた。
「っ、し……シド……。……おかえり……」
「ここには入るなと言っておいたはずだ」
「だ……、だから、その……、せ、先生に、授業のことで、し、質問があるから来たんだよ。それならイイって言ったよなっ!!」
「ほう。人の服を皺にしておいて、逆ギレか」
「ぇ。ぁ……。ご、ごめん……」
 そこで初めて自分がシドのジャケットにくるまって寝ていたことに気がつき、亮は恥ずかしさでみるみる顔が朱くなる。
 シドの匂いに安心して眠ってしまったなど、自分でも信じられない。そしてそのことを絶対にシドには知られたくない。
 慌てて自分の下からジャケットを引き抜き、なんとか手で皺を伸ばしながらシドへと差し出す。
「わるぃ……、これ、……しわ、伸ばしたから……」
 しかし差し出されたジャケットはあちこちに型が付き、どうにも元通りというわけにはいかないようだ。
 ヨレヨレになったジャケットを相変わらずの無表情で受け取りながら、シドは変わらぬ仁王立ちで亮を見下ろす。
「それで、成坂。質問とはなんだ? くだらん質問なら課題を増やしてやるからな」
「いっ! え、……えぇと……」
 教師然としたシドに、シドロモドロになりながらも、考えてもいなかった「質問」をひねり出そうとする。だが亮の場合――
(わからないところが、わかりません――って言ったら殺されるよ……な……)
 落ちこぼれ代表のような質問しか浮かんでこない。
「どうした。早くしろ」
「ぅ……」
 見下ろすシドの目が恐い。
 あっちへフラフラ、こっちへフラフラ視線を彷徨わせた亮は、ついに耐えきれず立上がると、
「お……思い出したらまた来るっ……」
 脱兎の如く、猛スピードで部屋を飛び出していた。
 やれやれとそれを見送ったシドは、手にしたヨレヨレのジャケットに視線を移し、思わず溜息を吐いていたのだった。