■ 4-37 ■


 ボランティア部の部室を出て教室に戻った亮は、カバンを机の上に置いた時点で、ゆっくりと体の芯へと震えが這い込んでくるのを感じていた。
「いよいよ、か」
 そう自分へ声を掛けてみる。
 本日の部活動中『親睦会』について、東雲へどう切り出そうかとタイミングを見計らっていたところ、向こうから「親睦会の手伝いをして欲しい」と声が掛かったのである。
 東雲が言うには、亮の仕事は『簡単な給仕のまねごと』だそうだが、午後一番に東雲から直接個別の研修があるというところに一抹の不安を感じる。
「リアルでならさすがにアンズーツに引きずられることはないよな……」
 前回セラで出会ったときはやばかったが、ソムニア能力はセラと現実でその出力にかなりの差が出てくる。一般人ならともかく、ソムニアでありしかもゲボである亮が、どうにかされる可能性は限りなくゼロに近い。
 大丈夫。やれる。大丈夫だ――。
 帰り支度を済ませ人気のない教室を出た亮は、何度もそう頭の中で繰り返すが、足は何故か自然と特別教室棟へと向かってしまう。
 明日事件の核心部へ乗り込むとなった以上、今さらシドの所へ偵察に行く必要はない。そうわかってはいるのだが――。

「や……やっぱし、偵察、は大事だよ。明日大仕事が待ってんだから……、うん。行っとくべきだっ」
 まるで自分に言い訳するように呟く亮は、やはりLL準備室前へ立ってしまっていた。
 そろそろとドアノブに手を伸ばし、薄く扉を開く。鍵は開いている。
(よし! 今日こそ何か情報ゲットしてやるからなっ)
 が、そこで中から話し声が漏れ聞こえるのに気づき、亮はぴたりと手を止めた。
「……先生の予定? そうねぇ、確かその日は理事長と教職会の会合があるって聞いてるけど、何? 彼に用事があるのかしら」
 聞こえてくるのは橋本瑤子教諭の妙に弾んだ声だ。それに対しシドの声は低く、こんなに近くだというのに亮には聞き取ることができない。
「なんだ、そんなこと。ジョンってば意外とシャイなんだから。わかってる、ふふ、言わないわよ、彼の名誉のためにも」
「でも、この情報料は高いわよぉ?」
「やぁだ、もう、ジョンのばかぁ、ダメよぉ」
 次々と甘ったるい声だけが耳に届き、亮はそっと扉を閉じる。
 高ぶっていた今までの感情が嘘のように黙り込み、自分でも分かるほどに体温が下がっていくのがわかる。
(やっぱ帰ろう……)
 小さく唇を噛み締め、扉に背を向けた時だ。
「それじゃ、また後で――」
 同時にこちらへ近づいてくる足音。
(!! やばい!)
 瑤子には一度ここで目撃されている。さすがに二度も姿を見られるわけにはいかない。咄嗟にそう判断し、亮は近くの机の影へ身を潜めた。
 屈み込んだ亮の眼前を、短いスカートにハイヒールを履いた白い足が通り過ぎていく。
 扉の音がし、室内から気配が消えてようやく亮は息を吐く。
 だがすぐに――
「用があるならさっさと入ってこい」
 準備室から、今度は亮にも聞こえる声でそう告げられる。
「…………。」
 どうしようかと瞬間迷ったが、自分の頭とは関係なく亮の身体は準備室への扉をくぐっていた。
「また橋本とイチャイチャかよ。エロ教師。そんなことばっかしてて仕事ちゃんとやってんのか!?」
 しかし、奥のデスクで何やらパソコンをいじるシドは、何も言わない。
「橋本が、す……好きなのかよっ。そりゃ橋本、綺麗だけど、彼氏とかもういるってクラスの女子が言ってたぞ! 二股だぞっ!? それなのに騙されちゃって、六っぺんも生きてるくせにだっせーの」
 亮がデスク前に立っても変わらず視線はモニターのまま、シドはコーヒーを口に運ぶだけだ。
 しばしの沈黙の後、溜まりかねた亮が口を尖らせる。
「……何のようだ、とか言わないのかよ」
 辺りには亮の知らない甘い香水の匂いが漂っていて、亮は鼻に皺を寄せた。
「どうせまたくだらん探偵ごっこにでも来たんだろう」
「ぅ」
 何かシドに感づかれているのだろうか。いや、しかしこの余裕の態度を見れば、亮がソムニア事件へ首を突っ込んでいることまでは分かっていないはずだ。
「は? オレは別にそんなことする必要全然ねーけど」
「そうか。それなら、今俺が入力してるこの画面は絶対見るなよ。事件の核心に関する報告書だからな」
「!! へ……へぇ……、そう、なんだ……」
 思わず亮の大きな目が見開かれる。ここに来て偵察にまさかの大ヒットだ。
 これはなんとしてでも仕入れるべき情報である。
 なぜかイライラ暴れ狂う腹の虫は置いておいて、取り敢えず亮はジリジリと横に移動し始める。
「オレは別に、そんなの、きょ、興味ねーし。ただ、休みの間三日ばか会ってなかったから、シドのヤツ死んでないかなーって心配してやっただけで……」
 視線を右に左に泳がせながら、さりげなく、あくまでもさりげなく、デスクを回り込んでいく。
「ほう。おまえが俺を心配してくれるとはな」
 シドはコトリとカップを置くと、ジリジリ近づいてくる少年を流し見る。
 しかし少年の視線はモニターに集中しすぎているようで、シドの不穏な雰囲気にまったく気付く様子もない。
「そりゃ、同じ事務所の仕事仲間だもん。オレだって心配くらいするさ……」
「仕事仲間……か。随分立派になったものだ」
(もう少しだ。もう少しで……画面が見える…………っ、おおっ! 見えた!)
 シドのデスクチェアー横五十センチの位置に到達し、ようやく視界に入ってきたその画面には

『英会話一年・成績不良生徒用課題集――
  次の会話の空いた部分を正しい文で埋めよ』

 の、一文。その後、MikeとYumiによる「日本観光での見るべきスポットについて」の意見交換が延々数十行にわたり続いている。
「・・・・・・?」
 亮の頭の上に大きな『?』がぽよんと浮かんだ。その瞬間である。
 長い腕が伸び亮の腕は捕らえられ、凄まじい力で腰ごと引き寄せられる。
「なっ?」
 ふわりと身体が浮き、気がつけば亮はシドの膝の上に向かい合う形で抱え上げられていた。
「お、下ろせよバカっ! てかなんだよ、これっ! なんで英会話の課題が重要な報告書なんだ!? いやえと、もしかして英語で報告書なのか!? ずるいぞ!」
 自分の今の状況に混乱しきった亮は顔を真っ赤にし、思いついたあらゆる所へ噛みついてみせる。
 しかしシドは変わらず無表情のまま、下から静かに見上げるばかりだ。
「おまえは本当にバカだな――」
 三十センチ先の強い視線に耐えかね、亮は身じろぎした。大きめのデスクチェアーが、ギシリと鳴った。
「う……。ちが……、違った。お、オレは報告書とか、べ、別に興味ないんだった……」
 今さらながらに偵察行為を自白してしまったことに気付き、亮は口の端を下げ、泣きそうな表情で口ごもる。
「まったく……、おまえにエージェント部は無理だな。やはり本人の希望通り、獄卒対策部が無難かもしれん」
「……??? なんの話だよ」
「おまえは動物みたいなもんだということだ」
「っ、誰が動物だ……」
 言いかけて言葉が途絶える。
 亮は唐突に抱きしめられていた。
 膝立ちだった両足が椅子の左右にふわりと投げ出され、今度こそ完全にシドの膝へ腰を落としてしまう。
「ぅ…………」
 身じろぎしてみるがまったく動けない。抱きしめるシドの膂力は強く、肩口に埋めた鼻が痛いほどだ。
「シド……、苦しい……」
「うるさい。自業自得だ」
 抱きしめられたまま、自分より緩やかなシドの鼓動の音だけが聴こえる。
 低く、強いその音色は、暴れていた亮の四肢からあらゆる緊張と興奮を抜き去り、まるで亮自身観念したかのように身を任せるしかなくなってしまう。
 こんなの、ずるい――。そう思っても安らいでしまう自分をどうすることもできない。
 じっと抱きすくめられて数分――。ようやく亮は解放されていた。
 若干赤くなった鼻でシドを見上げてみると、いつもと変わらぬ無機的な美貌の中に、いつもと違う何かが見える気がする。
 その正体を探ろうと、亮はさらに深く琥珀の奥を覗き込む。
「何か怒ってんの……かよ」
 不機嫌そうにシドの眉が片方つり上がった。
「それくらいはわかるらしいな。動物の勘か」
 髪の中に長い指が滑り込み後頭部を固定されると、亮の唇は冷たい唇に塞がれる。
「ん…………っ……」
 反射的に身をよじり腕を突っ張るが、ひんやりとした舌が潜り込んでくると、すぐに亮の全身から力が抜けていく。
(な、んで、キス……?)
 こんな事態になっている理由も流れも亮には全く分からない。しかしシドの口づけは熱く冷たく亮の意識を釘付けにし、思考を放棄させていく。
(怒ってんの、オレが生意気言ったから? それとも偵察してたの、バレた、から? でも、あれ? 怒られてきす、は、変……だ……、けど、ぁ……、シドの舌が……、冷たくて……、ちゅ、ちゅって……絡まって……、きもちぃ……)
 同時に、明日の大仕事への怯えも、不安も、嫌な緊張も――氷砂糖の如く溶けていく。
 感じるのはただ安心と幸福と、そして身体の芯を焼き尽くす甘い鼓動。
「……ぅ、……っシド……こーひー、苦……」
「ミルク入りが良かったか?」
「……、そりゃ、甘いほーのが……いぃ……に決まってるじゃん……」
「ふん……エロガキが……」
 キスを施しながら、シドの手が亮のベルトを器用に外していく。
「……!? ふぇっ!? ちが……、そゆ意味じゃなくて……、なんでそーなる……、このエロ外人っ」
 ようやくシドの言う意味を察知し、慌てて亮はその手を制止しにかかる。が、そんな抵抗が功を奏したことなど過去一度もないわけで――。
「つっ……、って!」
 亮の身体は軽々とデスクのキーボード上へ、まな板の鯉よろしく乗せられてしまっていた。
 気がつけばズボンは下着ごと片足だけ抜かれている。脱げてしまった片方の上履きが弧を描いて床に転がる。
「いってーな! なにすんだ、バカシドっ!」
 亮の背に押され、液晶モニターが派手な音を立てて倒れた。
 まなじりを釣り上げ鼻息も荒い亮を眺め下ろし、シドは何とも言えない意地悪な表情を微かに浮かべる。
「指導だ。成坂はまともに課題の提出も出来ないダメ生徒だからな」
 足を抱え上げ押さえつけると、シドはシャツの下から覗く亮の柔らかな花蘂に舌を這わせていた。
 しなだれていたそれは、すぐさま敏感に反応を返し始める。
「怒ってんの、オレ、が、宿題出さなかったこと、かよ……、ん……、でも、目立たない、よぉに……他の授業のは、ちゃんとやってる……ぁっ」
 ちゅるりと音を立て深く吸われ、亮はびくんと腰を揺らした。
「全部するのが当たり前だ。俺の授業だけ許されると思うな」
「ふぁっ! ダメ……、も、ダメ、それ、吸うのダメ……んうぁ!」
 亮が両手を伸ばしシドの頭を押さえるが、先端を舌先で転がされたまま再び強く吸い上げられ、情けなくもすぐさま達してしまう。
 シドの冷たい口中に、トクトクと己の熱いものが放出されていく――。その感覚に亮はどうしようもない淫靡な感情に溺れていくしかない。
「ぁ……ぁ…………」
 小さく痙攣を繰り返しながら投げ出された手が、デスクの上のカップを弱々しく倒し、わずかに残った黒い液体がプリントの束へ染みこんでいく。
「……あの時以来にしては薄い」
 ぐったりとした亮を眺め下ろし、シドは舌を鳴らして甘いミルクを飲み下す。その眉間には亮にしか分からない不機嫌分子が、チリチリと音を立てて影を作っているようだ。しかし亮にはその原因がやっぱりよくわからない。シドは薄いのよりも濃い方が好きだから怒っているのだろうか。
 それならそれで、とにかく現状の言い訳は急務だ。
「そ、そりゃ、オレだて、エロい雑誌とか見たり、して……することもある……」
 まさか昨日他人の家で昼寝して、シドの夢で夢精したなどと口が裂けても言えるわけがない。亮にだってプライドというものがあるのだ。
「ほう。……雑誌な」
「な、なんだよ。ホントだぞ!? 別におまえの夢見たとか、そーゆーんじゃないからなっ!」
「なるほど。そういう風にすり替えたか……。クソが。何が食ってない、だ……」
「……? くって……?」
「……一人遊びに忙しくて課題も手に着かんとは、サルかおまえは」
「な……っ! ちが、別にずっとやってるわけじゃなぃ……ん……っ、」
 真っ赤な顔でごにょごにょと言い訳する亮は、今度こそミルク入りのキスを施される。
 シドの重い身体にデスクへ押しつけられ、激しく噛みつくように口づけされながら、シャツのボタンははずされていく。
「んっ、ぅ……、シ……こんなトコで、誰か、来たらどうす……っ、んんんっ」
 それでも何とかこの状況から抜け出そうともがいてみるが、はだけられた胸元を冷たい指先が這いのぼり、亮の敏感すぎる胸飾りは痛いほどに強くつまみ上げられてしまう。
「ぁっ、ひあっ……」
「そんな大声を出せばそれこそ誰かが来るかもな」
「っ! だ、誰が出させてんだよっ! ……、それに見られたら、シドはインコーで逮捕、だからなっ! 日本じゃ先生は、生徒に、エロいことしちゃ、だっ、っ、だめ、なんだからなっ!」
「ソムニアは治外法権だ」
「ち、……違い? ほぉけん?」
「日本警察じゃ俺を逮捕はできないということだ。ここでの仕事もじき片が付く。だから俺は誰が来ようと一向にかまわん」
「っ!? う、嘘、だっ。ぁっ、やめ……、むね、コリコリするの、も……、だめ、ぁ、ぁ……」
 胸元にいくつも朱い痕をつけ、完全に充血した小さな胸の飾りを親指で転がしながら、シドの唇がわずかに引き上がる。
「俺はかまわんが、おまえも学校中に知られてしまうな。成坂亮が外人講師のジョン・エドワーズに普段どんなことをされていたかを」
「っ!!!!!!」
 びくんと亮の身体が跳ね、羞恥に涙の溜まった瞳でシドを睨み付ける。が、その強い視線とは裏腹に、ただでさえ桜色に染まっていた白い肌が、さらに薔薇色へと熟していくのが見ていて面白いほどだ。
 シドは真上から亮の顔を眺め、ゆっくりと身体を屈めていく。亮の視界が暗く翳り、目の前にシドの不必要に整った顔が迫る。
 光の加減か、茶色に染めたはずの髪が、輪郭を縁取るように朱く色めいて見えた。
「そんな、の……、だめ、だ。困る……、オレ、そんなの、こま……」
「そうだな。こんなことをされているんだ。成坂亮はエドワーズ講師のものだと学校中に知れ渡ってしまうものな」
「……ぅ」
 ドキン、と亮の胸が高鳴った。
 意地悪を言われているのはわかっている。これは宿題をしない自分へシドが嫌がらせをしているのだ。
 だから亮は今ものすごく嫌な思いをしているし、ムチャクチャ腹がたっている――はずなのだ。はずなのだが……なぜか亮の胸の奥は痺れるみたいに甘くうずき、指先が無意識にヒクンヒクンと震えてしまう。
 ――オレ、が、シド、の……?
「っ、な、何、勝手なこと、言ってんだよっ、オレは、し……シド、のじゃないっ! オレは、オレのだっ! ……ぅぁっ!」
 打ち消すように亮がブンブンと首を振ると、その細い首筋へ肉食獣のように歯を立てられる。
 強く吸われ、その甘い痛みで亮の産毛が一斉に逆立った。
「俺に言ってもな。見たヤツにそう言え」
 耳元で低い声にそう言われれば、すでにこの現場を誰かに目撃されているような気にさえなってくる。
 羞恥と禁忌が亮の快感を否応なしに高め始めていた。
 呆とした頭の亮に、再び冷たく深い口づけが降ってくる。
 これは、悪くない。大好きなシドの冷たいキス。
 ――あれ? オレが大好きなのは『シドの冷たいキス』なのか。……それとも『大好きなシド』の冷たいキス、なのか????? なんだ、それ? 国語の問題????? わかんねぇ、わかんねぇっ、オレ、意味わかんねぇっ!! 別に好きなんかじゃないっ! そうだよっっ! き、キスもシドもどっちも別にフツーだっっ!!!!!!
 最後の方は混乱と快感で目が回る。
「……んむ……、っ、ふ、フツーだ! フツーだかんなっ!!」
「そうだな。普通だな」
 ――うぅ……。……フツーじゃ、ない……。こんな風にシドとキスしたり、オレのミルク、飲まれたり、胸、コリコリされたり、してる、とこ……、クラスのヤツらに、見られたら、どぅしよぅ……。どう、しよぉ……。どぅし……、ん……っ、ちゅ……、ぁ……。
「シド、ォレ、っ、こまる……、オレ……、っ、んむ……っ、……、……、……、……、…………、っ、……、んぁっ……、見られちゃぅ……、っ、……、の、だめ……、……、っ、………………、ちゅ……、も……、」
 息苦しいほどのキスの合間、あらゆる場所へ印を刻まれる。
 いつもは絶対にしないはずの、手首や耳の後ろにまで、シドの唇が強く触れてていく。
 ――服で隠れないトコ、は、しない、はず、なのに……? あれ? あれ? そっか。耳はマフラー。手首、は、長袖で、隠れるか……。
 『大好きなシドのキス』の威力は亮から衣服の季節感まで奪い去っていくらしい。
「……は……、は……、っ……、は……」
 乾いた子犬のように息を切らせる亮を見下ろし、シドは己のシャツのボタンを上から二つほど無造作にはずす。
 あの長い指でどうしてあんな器用にボタンが外せるんだろうと、亮はとりとめのないことをぼんやりと思った。
 そのまま亮はひょいと抱え上げられ、デスクの上に散らかっていたモニターカバーを背中の下へ突っ込まれる。
 瑤子が用意したらしいドット柄のそれはキルティング生地でできており、固いキーボードの上より少しはましな環境を亮に提供してくれた。
「シド……、それ、汗で……、汚れる……」
「俺のじゃないからどうでもいい」
「……? そ、か……?」
 後から冷静に考えれば酷いセリフだとわかるのだが、もはやそのシドの回答に、今の亮はどこを疑問に思えばいいのかさえわからなくなっていた。
「……そ、か」
 コレは、シドのじゃ、ない――。
 ただ、その響きだけは不思議と心地良かった。 シドが屈み込み、亮の視界は暗く翳る。
 冷たい頬が己の火照った頬に触れ、亮はついそのひんやりとした首筋に腕を回してしまう。
 これじゃまるで同意の上での行為ではないか――そんな釈然としない想いが頭を過ぎったが、それでも亮はさらに強くシドの首筋にしがみついていた。
 シドの手が足下を焦らすように這のぼり、亮の秘所に潜り込んでいく。
「……っ、」
 亮が思わず身構えた瞬間。
「…………」
 シドはふと顔を上げ、亮の身体を両腕でお姫様のように抱え上げていた。
「!?」
 散々焦らされた挙げ句、これでおしまい。ということだろうか。今回はそういう意地悪なのだろうか。
 ――いや、それは別に構わないし! オレは別にぜ、全然シたいとかおもってないし! だ、だからこんなの意地悪の内に入んねーし!!
 混乱で目の前がグルグル回った亮がシドの首根っこにしがみついたまま顔を上げれば、シドの片手がパソコンのコンセントを引っこ抜く瞬間を目撃する。
 いつの間にか倒れていたはずのモニターは引き起こされており、転んだマグカップも当たり前のように立っていた。
「し……」
 言いかけた唇を唇で塞がれる。
 目を白黒させる亮を抱えたまま、シドは歩き始めていた。
 口づけされ視界を奪われた亮は気付かなかったが、その途中で、床に転がる上履きの片割れを、長い足が勢いよくソファーの下に蹴り込んでいく。
 周囲が暗くなり静かに戸の閉まる音がして初めて、亮は自分のいる場所が準備室奥にある資料庫であると気付いていた。