■ 4-5 ■



 ――だああああっ!!!! なんであんなことしちゃったかなぁ!
 亮は穴の開いたコンビニ袋を握りしめて自責の念に駆られながら、部屋に帰らず直接食堂へと向かっていた。
 食べかけの卵と牛乳のシュークリームも、手を着けていない抹茶シュークリームも、一口しか飲んでいない三ツ矢サイダーも、コンビニ袋を使うためにボイラー施設の脇に置きっぱなしにしてしまったことも悔やまれてならない。
 しかし今さらあれを取りに戻れば、もしあの場にまだ奴らが残っていた場合「おまえがさっきのコンビニマスクか」と一瞬にしてばれてしまうだろう。
 ――あぁあ〜……、小遣いもう残り少ないってのに最悪だ。
 しかもクラスメイトの佐薙と意図せず深く関わってしまった。正体を隠すつもりの苦肉の策は、亮と面識のなかった他の四人には一応の効果があったが、クラスメイトの佐薙には全く効き目がなかったのだ。
 さっきのことをシドに知られたらどんなに怒られるだろう。
 それを思うと亮の気持ちは足から地面へ沈んでいきそうなくらい重くなっていく。
 最近のシドは仕事のせいかいつも以上に神経をささくれ立たせており、秋人などは「なるべく側に寄りたくない」などとぼやいているほどなのだ。ばれればカチコチに凍らされる――ことはないにしろ、へたをすれば学校をやめさせられるかもしれない。
 ――あいつ、黙っててくれるよな。助けてやったのにばらすとかないよな。
 情けない表情で自分用の夕飯を食堂の棚から取り出した亮は、ため息混じりに席に着き、自分用マグカップにお茶を入れようと目の前に置かれたやかんに手を伸ばした。
「なんだ、珍しく凹んだ顔してんじゃん」
 顔を上げればいつの間にか正面の席には久我が座っており、にやにやといつもと変わらぬ締まりのない微笑を浮かべたまま亮のマグカップに代わりにお茶を注いでいた。
「っ――」
 一瞬虚を突かれた亮だが、すぐに冷静さを取り戻すといつもの無表情になり、ぷいっと視線を逸らす。
「財布でも落とした? それとも今日のおかずのアジフライが嫌いだとか?」
「関係ないだろ。食べ終わったらさっさと部屋戻れば」
 必要以上に無愛想な物言いの亮に、久我は肩をすくめる「はいはい」とやる気のない返事を返し席を立つ。
 どうもこの糠に釘、のれんに腕押し的な久我の態度が亮には苦手だ。
「そうそう。今日俺これからちょっと秘密の外出するから、シャワー先に使ってていいぞ。寮長には内緒にしといてくれよな」
 片目をつぶって見せうきうきと食堂を後にする久我の態度を見れば、秘密の外出の目的は三股かけてる彼女の誰かとのデートだろうか。
「脳天気なヤツ――」
 亮はちょっと羨ましい視線でそれを見送るとぼそりと呟いて、タルタルソースをたっぷりつけたアジフライにかぶりついていた。




 ――これは面白い!
 久我は抑えきれない興奮に身もだえしながら、学校新校舎にあるイベントホールの屋根裏へと来ていた。
 新校舎の一階と二階に吹き抜けの形で作られたこのホールは、体育館ほど大きくはないが、冷暖房完備の最新設備が整っており、見た目も床や壁に大理石を多用するなど高級ホテルのパーティーホールの並みに美しく仕上がっている。
 主に学年集会や公聴会、来賓や父兄への説明会等に利用する目的で作られたらしい。
 石膏ボードで覆われた天井はその内側が鉄骨を張り巡らせた空洞状になっており、久我はその鉄骨をまたぐように座ると、手元のボードをずらして隙間を作り、下の様子をうかがっていた。
 彼の眼下、イベントホールでは深夜十二時を回ったこの時間、場違いな立食パーティーが催されていた。
 高級そうなスーツを着た男達や、パーティードレスに身を包んだ女達が怪しいマスクを着け、思い思いに話を弾ませているようだ。彼らの年齢は二十代の若者から五十代、果ては七十過ぎの老人までまちまちである。人数は十数人。うち女性客は一人か二人といったところか。
 そして彼ら以上に目立つのは、三十人ほどの生徒たちである。制服を着た彼らの内訳は、服装から察するに女子生徒八割男子生徒二割。三分の二ほどの生徒がホール前面に半円を描くように並べられている席に着き、机に教科書を広げて自習をしているという異様な光景だ。
 残りの三分の一は招待客に混じって立食の場で話をしているらしい。
 それから数人の女生徒がメイド風の服を着て、パーティーのテーブルをセットしたりお酒を運んだりと忙しく立ち働いているのも見える。彼女たちだけは接待というより、実務的な給仕を目的として使われているらしい。
 客の何人かは自習に励んでいる生徒の背後に回り、勉強を見る素振りで身体を触っているのがわかる。
 そんな生徒の中に、久我が三股を掛けているうちの一人の姿があった。
 ゆる巻きロングの髪が美しい彼女も、自習しながら仮面の五十男に腿をさすられている一人だ。
 しかしそんな忌むべき状態の彼女は決して嫌がっている素振りは見られない。口では「いや」「だめ」と言いつつもそのしなを作る媚態は明らかに相手を誘う類のものだ。
 この場にいる生徒全員がそんな調子で、禁忌の催し物はつつがなく執り行われていた。
 ――まさかの展開だな。
 先ほどから久我の胸をわくわくと揺すっているのはしかし、眼下に広がるこの異様な光景ではない。
 この学校主催によるいかがわしいパーティーについては、久我の元々の調査目的であるためにさしたる感慨はない。
 今久我の脳裏に焼き付いて離れないのは、夕方目撃したコンビニ少年の姿である。
 好物である棒付きキャンディーを切らしたことに気づいた彼は、亮が出かけたすぐ後同じくコンビニへ向かっていたのだ。
 その途中で見かけた光景の信じられなさに、久我は何度も自分の目を擦った。
 建物の影に隠れつつ様子をうかがった彼にはボイラー施設の壁向こうで起こった出来事を完全に見ることは出来なかったが、あの成坂がコンビニ袋を被って人を助けるなど、シュールすぎてそれだけでお腹がいっぱいになりそうだった。
 しかもその後施設からよろけながら現われた柄の悪い上級生達の人数や体格を見る限り、どうも成坂の強さは想像以上のものらしい。
 部屋ではほとんど喋らない無愛想なあの成坂亮についての興味が、むくむくとわき起こってくるのを久我は抑えきれない状態になっていた。
 この集会のチェックは前から計画していた事であり、敢えて近づいた女生徒をマークしやっと決行できた三回目の成果であったが、あまり実りのなかった今回の集会より、早く次の計画を遂行する方に頭も心も回ってしまっている。
「さて。どういう風に役立ってもらおうか――」
 久我は眼下の光景を漫然と瞳に映しながら、声を殺して笑っていた。







 早朝。
 ホームルームの始まる三十分も前に、LL準備室のドアが音を立てずそろりと開き、ぴょっこりと一人の少年が顔を覗かせる。
 本人は隠密行動をとっているつもりなのだろうが、それだけ大きくドアを開けていてはバレバレだと、朝のコーヒーを飲みながら授業の資料をまとめていたシドは思わずため息を吐いた。
 あまりこの部屋に立ち入るなと言い聞かせているのだが、それでも何かにつけて姿を見せる亮に、今度はどうやって説教するべきかと考えてしまう。
 そのシドの沈黙を「気づかれていない」と受け取ったらしい亮は、ちょろりと部屋の中へ滑り込み、棚や机の影に身を隠しながら奥の椅子に座るシドへと近づいてくる。
 背もたれに身体を預け、教員用の連絡事項に目を通していたシドの視界の端に、下から学生服に包まれた白い手が伸びてきたのはその一分後だ。
 机の上に現われたその小さな手を、プリントに視線を据えたままシドの手が瞬間的につかんでいた。
「わっ!」
 ――ゴチッ
 思わず驚きの声を上げ立ち上がった亮の頭は、隠れていた机の底にぶちあたり、スチールの引き出しと頭による素敵なコラボ音を響かせることになる。
「いってえええっ」
 涙目で頭をさすり机の下から這い出てきた亮は、床にしゃがんだまま恨みがましい目でシドを見上げた。
「用もないのに来るなと言っているだろう」
 手にしたプリントを机に置くと、シドはいつもと変わらぬ無表情で床に座る亮を見下ろしていた。
「用ならあるよっ」
 そう言って立ち上がると、亮はシドの机に置かれたペンケースに視線を落とす。
 昨日自らがシドに投げつけたペンケースを取り返すために、亮はここへやってきたらしい。
「それないと困る」
「――昨日のうちに気づくだろう、普通」
 ため息混じりに言うと、シドはその銀色のペンケースをつかみ亮へと手渡していた。
「気づかなかった」
 シドの素っ気ない態度に頬を膨らませ、亮は不機嫌そうに視線を下へ彷徨わせる。
 本当は既に次の授業から困っていたのだろうが、昨日の言い合いのこともあり取りに来る気になれなかったのだろう。
「ほら。用が済んだらさっさと出て行け。学校側の人間に見られたら面倒だ」
「――面倒ってどういう意味だよ」
「何だ、やけに絡むな。仕事に支障が出ると、そう言っているだけだ」
「オレは仕事の支障なのかよ。じゃあどうしてオレのこと縛るんだよ。面倒で仕事の邪魔なら放り出せばいいだろ。薬さえもらえれば、オレ一人でやってけるからさ」
 少し唇を尖らせ小さな声でぼそぼそと抗議する亮の様子に、シドはやれやれと言った様子で眉を寄せ、少年の腕をつかむとぐいっと側に引き寄せていた。
 虚を突かれた亮のからだがシドの腕の中に倒れ込む。
「どうした。熱でもあるんじゃないのか」
 シドが少年の額に手を当てると、亮のからだがビクリと固くなる。
「ノックバックの兆候だとまずい。今日は帰って休んでいろ。秋人には連絡しておく」
「っ、ノックバックなんかじゃない!」
 亮はシドの腕を振り払うように立ち上がると、二三歩後ろへよろけるように後ずさった。
「もうオレはセブンスのことも滝沢のことも何とも思ってないし、GMD中毒だって克服した! 訓練だって言われた以上にこなしてるし、もう一人前のソムニアなんだっ。オレだってやれるよっ。ちゃんとできるよっ」
「亮――」
「なのにいつもいつもオレだけ仲間はずれで、側に、いられなくて――っ。こっ、子供扱いすんなよ、バカ! バカシド! 嫌いだっ!!」
 シドが言葉を掛ける間もなく、亮はペンケースを片手につかんだままガツンと机に一蹴り浴びせ、部屋を飛び出していく。
 その間目の前に立ちはだかる棚という棚を横になぎ倒していったため、シドの学校での私室は見るも無惨な状態へと変貌してしまっていた。
「――・・・。」
 ここ数日いつもこの調子で亮とは無駄な言い合いになってしまう。
 亮の身を守るため、出来る限りの方法を取っているつもりのシドにとって、一体どうすればいいのか全くわからない。
 今取り組んでいる案件の厳しさに加え、手元に抱え込んだこの問題にシドはガラにもなく心底参った様子で、深いため息を吐いたのだった。