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「え、嘘だろ? 今から帰るの!?」
 未だざわつく会議室を出た秋人は、先に立つシドの背中に向かい驚きと抗議の声を上げた。
「だからそう言っている。こんな役所くさい場所で潜れるか」
 ちらりと視線を投げ下ろしたシドは不機嫌そのものだ。その横を幾人ものスーツ姿の男たちが通り過ぎ、そのたびに彼ら二人をあまり好意的とは言えない目つきで眺めていく。
 深夜とはいえ皎皎と灯りの点った廊下は眩しいほどで、白い疑似大理石の床は嫌みなほどに輝いていた。この役所めいた建物が、実際の所隅々まで金の掛けられた作りであり、不景気な世界経済など関係なく経費を垂れ流して作られたものだということがわかる。
 そしてそこに集った二十数名の人間たちのほとんども、同じく、決して安くはないスーツと時計を身につけている人種のようだった。
「だって今回の仕事は、IICR警察局の東京本部でシールドルーム使い放題だって今お偉いさんも言ってたじゃない。ここのめっちゃくちゃ豪華な最新式入獄システムで潜った方が、いざって時におまえも死ぬリスクが低くて済むんだよ?」
「そんなもの気安めに過ぎん。おまえがきっちりナビをすればどこで潜ろうと同じだ」
「……おっとそれ、僕を相棒として信頼してくれてるってこと? 最新式システムより、僕の頭脳と腕が必要ってそんなおまえ、やっと僕のすごさが理解できたって遅いなぁもぉ……」
「作戦はマルフタマルマルからだろう、二時間も三時間もこんな場所にいるのはごめんだと言っている」
 妙ににやつく秋人を置いてシドはさっさと歩き出し、途端に秋人は口を尖らせ追いかける。
「そっちか。急に僕の凄さを褒めてくれて死亡フラグでも立てようとしたのかと思ったぞ。亮くんが心配なら心配ってそう言えばいいじゃない。まぁ今のところノックバックも起きず安定してるし、部屋に久我くんもいなくなっちゃったし、ほんの数時間寮を僕が空けたからって大丈夫だとは思うけど」
「亮は関係ない。あと数時間で作戦が完了するんだ。120%極秘裏に進めているとはいえどんなトラブルが起こるかわからんからな。何が起きても即対処できるよう、俺自身、肉体を学校の傍へ置いておきたいだけだ。視聴覚準備室で入獄すれば、グループΧ(キー)の捕り物に参加することも可能になる」
「げぇぇえ、なんだよそっちも視野に入れてるのか。僕は担当のグループΨ(プスィー)だけで手一杯だと思うけど」
「一斉検挙は総力戦だ。担当だけを考えていては思わぬ漏れが出る」
「意外ですね。あなたにそんな協調性があろうとは」
 突然背後から声が掛かり、驚いたように足を止め秋人が振り返る。シドも無表情のままその若い声の主を見下ろしていた。
 この挑戦的な乱入者は、他の先輩たち同様生地の良いスーツを着こなしてはいるが、まだ高校生のような若い面差しが残っている。
 すらりとした身長と端正な顔立ちのおかげで大人びては見えるが、実際の所亮とさほど変わらない年齢なのだろう。
 その証拠に若さ特有の血気盛んな黒い瞳をじっとシドに向け、悪名高いイザ・ヴェルミリオを強く見据えていた。
 確か彼はIICR警察局のゴールデンルーキーと謳われた注目株のソムニアだと、秋人は思い出す。
 転生回数一度目にしてすぐさまIICRへ入り、警察局へ配属され幹部候補として育てられるという、いわゆるソムニアとしてのエリート街道を驀進する彼にとって、カラークラウンを襲名しながらIICRへ反旗を翻し、内乱を起こして席を追われたとされるシド・クライヴという人間など、裏切り者の唾棄すべき異分子に他ならないのだろう。それが外部に追われた今もこうやってIICRの恩恵を受けた仕事をぬけぬけとこなしているなど、上のぬるすぎる対処もシド・クライヴの傲岸さも、我慢がならないといった様子だった。
「協調性というよりは……より多くの手柄が欲しいというだけではないのですか? 中心グループであるΩ(オメガ)を我々警察局が押さえることになったからと言って、他のチームの管轄を荒らすのは間違っていると思います」
 シドと秋人が二人でひっそりと進めてきた今回の調査だったが、事件の重大性と関わる人間の数があきらかになってきたことで、結局、警察局本部が捕り物の中心として乗り出してくる形となっていた。
 逮捕すべき者たちは三つのグループに振り分けられ、それぞれを別のチームが押さえることで同時検挙を成し遂げる運びである。
 まず中心人物で構成されたグループΩ(オメガ)。
 これは研究職を主とするソムニアの集団であり、今回の事件で人類のソムニア化実験を行った首謀者たちでもある。
 続いて同じくソムニアのみで構成されたグループΨ(プスィー)。
 これはキルリスト入りされているソムニア犯罪者の武闘派グループであり、オメガを守るべき用心棒的連中である。
 特に「ソラス喰らい」と二つ名を持つキルリスター、ヘドウィヒ・ゾエというSS級のイングヴァーツ種がメンバーに加わっているのがやっかいだとされている。
 彼はセラそのものを彼の世界として作り替えることが可能なほどの能力者であり、それ故に彼をセラで捕らえることなど不可能と言われている最強のソムニアである。
 今回の調査でシドらが苦労したのもこの男が関わっているからに他ならなかったと言えるだろう。
 そして最後のグループはΧ(キー)。彼らはソムニアではなく、一般人のグループだ。
 ソムニアと絡んでソムニア犯罪を犯している連中で、中には日本人・Kazumi Takizawaによって作り上げられたと言われるセラ系マフィア「フォークロア」のメンバーも混ざっているらしい。
 一般人であるが故に、地上勤と言われる「ソムニアではないIICR外部構成員」と日本警察がリアルで彼らの検挙に当たることとなる。
 キー捕縛の業務には疑似ソムニア化された一般人たちの保護も含まれているため、捕らえる人数的には最も大がかりになり、人手不足になるであろうことが予想できる部分といえた。
 以上、三グループの構成を見る限り、捕り物の中心は当然首謀者であるグループΩであることは明白だ。
 彼らを検挙し、同時にその研究成果を押さえるのがこの事件における最重要であるのだが、今し方の申し送りでその任務は事件を調べてきたシドたちではなく、IICR警察局が担うことに決まっていた。
 その代わりに、シドたちS&Cソムニアサービスには「グループΨ攻略」という難関にして旨みの少ない部分が押付けられる格好となった。
 ΩにはIICR脱構者が名を連ねており、それを捕らえるのはIICR警察局の役目だというのが彼らの言い分だが、  実際の所、捕らえるのに人的被害が甚大になるであろうと予想の付くゾエ捕縛に、本部の人間を使いたくないというのが本音なのだろうと  秋人には嫌が応にもわかってしまう。
 だが、この若者にはそんな大人の事情などまるで見えていないらしい。
「グループΧは、地上勤務の人間たちの手柄となるべき仕事です。いくら主戦場であるグループΩ攻略でなく、Ψ攻略に回されてしまったからといって、妙な欲を出すのはどうかと思いますよ。Ωより楽なΨ攻略とは言え舐めて掛かるべきではない。もっと自分の仕事に集中すべきだ!」
「まぁ僕もそう思うけどね、えーと、何くんだっけか」
「堂上(どうがみ)です。渋谷さん。あなたもあなただ。 現在の入獄システム理論を構築したのはあなただと教科書で習いました。 そんなあなたがなぜIICR付属研究所の誘いを蹴って、こんな感心できない男と小さな事務所を開いて満足しているのか、僕には理解できません。あなたはもっと自分の頭脳を世界のために使うべき人だ」
 びっくりしたように目を丸くすると秋人はホクホクと破顔した。
「いやぁ、いい子じゃないか、シド。いや、警察局の幹部候補生に失礼でしたね。いや、実にわかってらっしゃる方だ」
「もちろんΨ攻略を終えた後のΧ参加だ。それに関しては管理官もとやかく言っていなかったはずだが。それに手柄だの何だのは関係ない。俺がもらう金の取り分に変化が出るわけではないからな」
「名誉でも金でもない、と。ではなぜそんなにこの事件にこだわるんです?」
「最初からこれは俺たちの事件だ。後から来た警察局のガキにとやかく言われる筋合いはない」
「っ、が、ガキって僕のことですか!?」
「大好物の手柄を譲ってやったんだ。失敗せず残さず食えよ、ガキ」
 無表情のままシドは再び歩き出す。
「あ、あ、あの人は、なんなんですかっ!? 僕は、自分の持ち場を守るべきだと言っただけです。僕は何か間違ったことを言いましたか!? あの人は失礼だっ!」
「あー……、ごめんねぇ、あいつ急いでるみたいでピリピリしてるから」
 苦笑を浮かべた秋人がポリポリと鼻の頭を掻く。
「すぐにでも学校を綺麗にしたくて仕方ないんだよ、シドは。さっさとこの仕事を終わらせたいだけなんだ。他意はない。だから気にせず堂上くんはΩの捕縛にあたってよ」
「早く終わらせたいって……シド・クライヴは仕事の虫だと聞きました。おかしな話じゃないですか」
 秋人は視線を斜め上に泳がせると、にやつこうとする口許を押さえる。
「うん、まぁ、……それだけ今回の仕事がキツかったって、ことだよ。察してよ、キミも大人なんだからさ」
「? ? ? はぁ……」
 頭の上にクエスチョンマークを出す堂上の肩をぽんぽんと二度叩くと、秋人はひらひらと手を振ってシドの後を追いかける。
 堂上は釈然としない顔で二人の背中を見送った。