■ 5-19 ■




 上がる息は白く、それだけがぼんやりと浮かび上がって見えるのは時折差し込む月明かりを吸い込んでのことだ。
 木々の切れ目から僅かばかり差すその青白い光源がなくては、周囲は闇に塗り込められ一寸先も見ることができないだろう。
 少し前までは背後から照らしてくれていた街灯の明かりも今や届くことはない。
 かれこれ二時間近く──久我は森の中を彷徨っている。
 足として使っていたシティー用のレンタサイクルはとっくの昔に用を為さなくなり、どこかの木の根元へ置き去りにしてしまった。
 しかしこんな森の中、獣道を探しながら歩く行程ではマウンテンバイクといえども十二分には機能しないに違いない。
「くっそ、さみぃ……」
 名も知らぬ枯れた下生えを掻き分け進む彼の足は膝上まですっかり濡れそぼり、12月のイギリスの冷気を存分に浴びて急速に体温が奪われていく。
 時刻は深夜一時を回っていた。
 こんな真夜中にこんな森を彷徨う羽目になったのは久我が任務から解放され動ける時刻が深夜に掛かっていたせいなのだが、逆にそちらの方が目的達成のためには好都合のようにも思え、何の迷いもなく彼は昼間借りた自転車を駈って目星をつけていたIICR地図の空白地帯へと向かったのだ。
 『環流の守護者』通称ガーディアン──による新たなテロ計画を入手した対策局はその期に乗じて構成員達の一斉検挙を試みた。
 現実時間で5時間に及ぶ大規模作戦は、セラ内部では一週間弱の長期戦となる。しかしその甲斐あってテロは未然に防がれ、犠牲となるはずだったとあるセラの数万の命は救われた。そしてその際動いていたガーディアン構成員三十名近くを生きたまま捕らえることが出来たのだ。
 無差別を売りにするテロリスト達をこんなにも鮮やかに捕らえられるなど、凄すぎて久我にはこれが出来レースなのではないかと思うほどだった。
 情報の正確さと敵の思惑との駆け引きが並外れているのは、今トップに立っているヴェルミリオが諜報局出身ということもあるのだろう。そして寄せ集めのセラ・テロ対策特別局の人間を使い、これほど見事に作戦を遂行させる副官の手腕も大したものだとテロ特の人間全てが舌を巻いた。
 問題を起こしIICRを追われた男がトップを務めるこの組織に、どれだけの未来があるのかと自分たちの行く末を疑う者がほとんどだったこの部署だが、いくつかの任務をこなした今、信頼と呼べるような結束が生まれつつあるのを久我は肌で感じる。
 そんな大事な時期に、こんな勝手な行動を取ってはダメだとわかっている。
 だが、久我はじっとしてなどいられなかった。
 久我が唯一自分の相棒として認めた相手。
 久我の生命の危機を、身体を賭して救ってくれた相手。
 その成坂亮がIICRに、しかもあれだけ忌み嫌っていたセブンスに戻されているかもしれないという事実。
 シド・クライヴもシュラ・リベリオンも──彼に関わっているであろう大人達は皆そのことに対しては口を閉ざし、久我は一人蚊帳の外だ。
 大人達が黙しているのは単純に成坂亮の存在を世間に知られてはいけないからだろう、とそのことは久我も理解している。だが頭ではわかっていても心は言うことを聞こうとしない。
 もしかしたら酷い目に遭わされているのではないのか? 再びセブンスへ押し込められて考えたくもない無理強いをさせられているのではないのか?
 振り払っても振り払っても嫌な想像ばかりが久我を責め立てる。
 もう数週間、成坂亮と連絡が取れていない。メールもSNSも、思いあまって掛けた電話すら亮にはつながらなかった。
 亮の泣き顔ばかりが目の前にちらついて、気がつけば走り出していた。
「敷地の中に森が広がってるってどんな施設なんだよ、ったく……」
 久我が集めた地図にはセブンスの位置など記されてはいなかったが、手元にある情報やネットのマップなどを駆使して目星をつけ、敷地内東部に位置するこの森の向こう側へ向かい現在進行中である。
 驚いたことにかの有名なGargoyleアースではIICR地点の地図には明らかな嘘が紛れ込まされていた。
 本部の位置こそ正確なものだったが、他の建物の位置は完全に別物であり、内部の情報を知らない者には気づかれない巧妙なフェイク画像が表示されるようになっていたのだ。
 世界的な企業にこういうことをさせるIICRとはどれだけ力を持っているのかと、久我は恐ろしさすら感じる。
「はーっ……、しかしこんなに広いんかよ下手すら遭難するなこりゃ」
 施設同士をつなぐ道路には当然のごとく厳しい検問が敷かれており、久我は早々に人間の使う道を諦め、獣御用達の道をコンパスと二本の足を使い攻略することと相成ったわけだが、そこまでして隠させるIICR内部の施設への潜入というだけあってやはり一筋縄ではいかないようである。
 森の中のセキュリティが手薄になっているのは得体の知れない魔物でも放たれてるせいじゃないのか――と疑いたくなる行く先の闇に、久我は凍える手をもみ合わせながら月明かりのみを頼りにどうにか前進していく。
 無言のまま進む久我の前が若干白んで来たのはそれから一時間を過ぎた頃だった。
 夜明けにはまだ早すぎる時刻だ。
 久我は行く足取りのスピードを緩め、慎重に木々の陰に身を寄せながら下生えをかき分けていく。
 頭上に鬱蒼と生い茂っていた常緑樹の葉が疎らになり、どうやら森の端にたどり着いたため明かりが見えたのだと見当をつけ、己の足音に気を配る。
 森の中は深い闇に覆われていたがそれは同時に久我の姿も隠してくれるヴェールの役割を果たしてくれていた。
 それのなくなるこの地点では、どれほど用心してもしすぎることはない。
 セブンス周辺に近づいたのであれば当然のことながら警備は厚くなるだろうし、見つかればここまでの苦労が水泡に帰す。
(セブンスがどんだけ人を寄せ付けない施設だったとしても、それだけ大事にしている連中の住む場所なら、それをケアする人間のいる場所の近くに彼らを置くに違いないんだ。だからぜってー医療棟の近くにセブンスは建ってるはず……)
 そんな推測の元、医療棟の建つ東エリア――その中でも特にGargoyleアースの嘘の激しかった場所にかの地点は存在すると考えた久我は、そろりそろりと獣道を進んでいく。
 と、そんな久我の耳に声が聞こえたのはそのときだった。
「そこに誰かいるのか!?」
 鋭い声が飛ぶ。
 まずい――と久我が思ったときにはすでに手遅れだった。
 周囲に木々をかき分ける物騒な音が響き、数名の人間が久我の周りを取り囲んでいるのがわかった。
 月明かりに浮かび上がるシルエットを見れば、男たちは暗視ゴーグルを装備しているようだ。
 肩からかけられたイカツイ影は、消音器をつけたライフルに違いない。
「逃がすな! 所属はどこだっ」
 背後からも声が聞こえる。
 久我は舌打ちをして身を翻した。
 ここで捕まる訳にはいかない。






 全身が揺らぐ感覚。
 次に音が聞こえ、足の先から頭のてっぺんまで神経が通っていく。
 毛穴だか汗腺だかわからないが、とにかく肌全体がちくちくと鋭敏になり、そして次の瞬間感覚が熔け日常へと回帰する。
 目蓋の裏に光が見える。
 そして自分が「帰って」きたことを実感するのだ。
 亮は、ゆっくりと目蓋を開いていく。
 誰かが自分を覗き込んでいる。
 ぼんやりとしていた視界が像を結び、亮はその人物の名を呼んでみた。
 するとその人物は何かを堪えるように目を細め、そして亮の頬を優しく撫でながら何度も亮の名を呼ぶ。
 ぽたりと、亮の頬に温かな水滴が落ちていた。
 そこで亮はたまらず相手の頬を掌で包み込んでしまう。掛けられていた毛布がぱさりと音を立て落ちた。
「修にぃ……ごめん……。オレ、ごめ、ん……」
 何を言えばいいのか、どうすればこの涙を止められるのか、わからないまま亮はひたすらに謝る。
「なんでおまえが謝る? 謝るのは兄ちゃんの方だ。あの時気付いてやれず、何もできない僕が謝るべきなんだ。亮。ごめんな?」
 それでもまだ謝ろうとする亮の言葉は、次の瞬間兄の胸に押しつけられて消されてしまった。
 ぎゅうぎゅうと抱きしめられ声が出ない。だから亮もその広い背にそっと腕を回して抱きしめ返す。
 修司が謝る必要などないという言葉の代わりに。
「亮……。良かった……。亮」
 身体を離し僅かに空間を作ると、修司は再び亮の顔を覗き込む。
 弟が目を開けているのを今一度確認するように、瞬きすらせず亮の顔を見つめる。
 亮は修司の頬を伝う涙をそっと指先で拭い、微笑って見せた。
 心配を掛けてしまった兄に、もう大丈夫だと知らせるために。
 兄はそんな亮の心の機微を即座に感じ取り、再び強い力で弟の身体を抱きしめる。
 二人だけの時が優しく、緩やかに過ぎていく。





「はいOK。次は背中向けてくれるかな」
 レオンに言われうつぶせになる亮のパジャマをたくし上げたり毛布を避けたりと、傍らの修司はてきぱきと介助をし真剣なまなざしで様子を伺う。
 亮は修司との再会の後、部屋に控えていたレオンによりすぐに診察を受けることとなった。
 亮自身は現在痛みも感じておらず自分の身体がそんな大事になっていたなどと信じられない思いだが、レオンや修司の様子を見れば、予断を許さない状況だったのだなと改めて知らされる。
「亮くん。……ここ、痛くない? ここは?」
 手袋を着けたレオンの冷たい指先が背筋に沿って滑らされ、亮はそのくすぐったさに思わず身をよじって笑ってしまう。
「レオンせんせ、くすぐったいよ」
「こら亮。我慢しなさい。動いたら診察できないだろ?」
 眉を寄せ子供にでもするような表情で怒ってみせる修司だが、その手は変わらずそっと亮の髪を撫で続けている。
「わかってるけどしょーがないだろ、もぞもぞすんだもんっ」
 真新しいタオルケットに顔を埋め抗議する弟に、修司は困ったように微笑んで「それでも、じっとしてなさい」と亮の小さな頭を抱きしめる。
「不思議だね。ぼんやりと蒼く光るラインが浮かび上がってる。亮くんのアルマが戻ってからの現象だから、やっぱり生物学的なものでなくアルマの発光が原因なんだろうね」
「ドクター。亮の様子はどうなんでしょう。何か僕にできることは──」
「うん、今のところ安定していると思うよ。でも大量出血によって血圧も下がってるし体力も低下しているから安静は絶対守ってね。たとえゲボの回復が早いとは言っても生身の人間である以上限度があるし、抵抗力も落ちてるはずだしね。……修司さんは亮くんの好物でも作って食べさせてあげて」
 レオンの言葉に「わかりました」と修司がうなずく。
「亮、何食べたい?」
 腕の中の弟へ修司はすぐさまお伺いを立てる。
 亮はその「この世で一番好きな質問」に対し、きらきらした笑顔で答えていた。
「うーんとね、白いシチューもいいし、とろろごはんもいいけど……、やっぱ修にぃのロールキャベツだな!」
「亮はあれがほんと好きだな」
「うん。修にぃのロールキャベツなら、オレ、一気に三十個は食べれる自信ある」
「……鍋3杯作らないとだめだなそれは」
 そう言って笑ってみせる兄に、亮も声を立てて笑った。
「そんなに一気に作らなきゃいけないなら、僕も手伝ってやるよ」
 突然よく知るボーイソプラノが二人の間に割って入り、亮の髪を撫でていた修司の腕をぐいっと引っ張り上げていた。
 亮が見上げれば、寝起きから見たくはないいけ好かない綺麗な顔が、いつも通りの不機嫌な表情で修司の手を引っ張っているようだ。
「え、シャルくん料理なんてできるの!?」
 鞄に診療器具をしまい込みながらレオンが驚いたように目を丸くした。
 その反応にさらにむっと表情を曇らせたシャルルは、修司の手を取ったまま横柄に胸を反らせる。
「そんなの簡単だよ。肉をキャベツで巻いて煮ればいいんだろ? 食べたことあるからわかるよ、バカにしないで。あと、プラチナっ。ちゃんとクラウン名で呼んでよねドクターっ」
「はいはい。すいません」
 苦笑いを浮かべるレオンにはシャルルの料理の腕前がどんなものか既にわかっているようだ。
「チビは大飯ぐらいのワガママガキんちょだから修司も苦労するよね?」
「……シャル、なんでいるんだ?」
 当たり前の疑問を亮は単純にぶつけてみる。以前セブンスにいた頃は、シャルルが部屋に訪ねてきたことなどなかった。いや、正確には来たことがあるらしいのだが亮の記憶にはない。
 とにかく大して仲の良くない──というよりむしろ仲の悪いシャルルがなぜここにいて亮のための料理を作ろうとしているのか全く理解ができない。
 きょとんと見上げる亮に、シャルルはバカにしたような微笑を浮かべ艶然と見下ろす。
「僕はセブンスのリーダーとして仕方なくサポートしてあげてんの。おまえも一応は僕の家来みたいなもんだから、心の広い長の僕は面倒見てあげてるんじゃないか」
「面倒……シャルが、オレの……?」
 聞いてみたところで全くピンと来ない亮は頭上に「?」を浮かべつつ首をかしげるばかりだ。
 そんな亮の様子などどこ吹く風で、シャルルは修司の腕に絡みつき、これ見よがしに身体をすり寄せていた。
「チビはそこで寝てな。僕と修司、二人で肉キャベツ作ってきてやるから」
 ねーっ、とばかり修司の顔を見上げ艶めかしく笑ってみせるシャルルに、修司は何度か瞬きし、
「それじゃあお願いしようかな」
 と優しげに微笑み返す。
「っ! うんうん、何でも言えよ。僕、何すればいい? お皿の準備? 冷蔵庫の場所、教える? それとも修司の応援? キスくらいならしてやってもいいよ?」
 シャルルの白い頬が僅かに薔薇色に染まり、勢い込んだ様子で修司に詰め寄ると、修司はカラークラウンのプラチナブロンドをよしよしと撫で、
「キャベツを千切って洗ってもらえる?」
 非常に具体的な指示を与えていた。
「……え。キャベツを、僕が……」
「亮、ちゃんといい子で待ってろよ、すぐ作ってきてやるから。シャル、キッチンはあっちかな?」
 思わず吹き出したのはレオンだ。
 こんな風に扱われるシャルルをレオンは見たことがない。
 これでは悪名高いゲボ・プラチナがまるで普通の子供のようである。
「うん、待ってる。シャル、修にぃの手伝い頼むな。オレが手伝えればいいんだけど」
 しかも見せつけているはずの亮はしごく普通の反応で、穏やかにそう言うと抱えていたタオルケットを眺め直し、
「これ、新しい? あれっ、オレのタオルケットどうしたんだろ」
 とお気に入りのタオルケットの心配へと気持ちが移ってしまう始末。
 そんな亮の反応にさらにシャルルは頬を膨らませる。
「余裕ぶってられるのも今のうちだけだからな。修司を亮のじゃなくて僕の兄さんにしてやるんだからっ」
「え、んじゃシャルはオレの弟になんのか」
「なんっっっっで、僕が弟なんだバカじゃないの?てか修司は兄にしてやるけどおまえはいらないからっ、修司だけ僕の血族に――」
「シャル、野菜はこのあたりの使っていいんだよね? チキンブイヨンはこれかな」
「ちょっと待って、僕も見る!」
 憎まれ口を叩きかけたシャルルだったが、隣のキッチンから掛けられた声に瞬時に反応すると、子猫のような素早さでコロコロとそちらへ走って行く。
「……なんかすごいね、修司さん。シャルくんを手玉に取ってる。……インカが見たら泣くなぁ、この光景」
「何言ってんの、先生。修にぃを嫌いなヤツなんていないよ? オレの自慢の兄ちゃんなんだ」
 そう言って笑ってみせる亮には不安の影がまるでない。
 少しばかり意地悪な気持ちがわいてきて、レオンは珍しく皮肉な笑いを浮かべて亮の髪を撫でる。
「そのお兄ちゃん、シャルくんに取られちゃったらどうするの? 相手はゲボ・プラチナだよ?」
 しかし当の亮はレオンの意図など気づく風もなく、きょとんとした顔で見上げるばかりだ。
「修にぃの弟はオレだし、シャルは弟じゃないし、カラークラウンとか関係あんの?」
 何を当たり前のことを――とでも言うように真っ直ぐな瞳で見返され、レオンはため息交じりに天井を仰いだ。
 これは可哀想だがシャルルには分がなさそうだ。
 もしかしたら修司を亮から奪うことは、シドを寝取るよりさらに難しいことなのかもしれないとさえ思えてくる。
「まさに、The more you do not get it, the more you want it――だね」
 肩をすくめて笑って見せるレオンに、亮は大きな瞳をぱちくりさせると、
「レオン先生外人さんみたい」
 感心したように唸り、今レオンの言った英文を必死に口の中で呟いてみている。
 亮なりになんとか和訳しようと頑張っているようだ。
 そう言えばノーヴィスがいたあの頃は、時折こうして亮の英語をみてあげていたものである。
 どうにも単語が覚えられない亮がそれでも必死にレオンの言葉をヒヤリングする様は、あの頃と変わらずレオンの萌えを否応なく刺激する。
「あーホント、手に入らないものほど欲しくなるっ」
 思わずそんな亮を抱きしめたレオンに、亮が「苦しいよっ」と抗議の声を上げかけたとき、玄関の呼び鈴が押され乱暴にドアが開けられていた。
 目に見えてビクンとレオンの身体が跳ね上がり、ものすごいスピードで亮から身体を離す。
「っ、わ、私は純粋に触診の為に亮くんのそばに寄っていただけで決してやましい気持ちは――って、あれ、ライス執事長。ど、どうしたのそんな怖い顔して」
 しかし現れた人物はレオンの想定していた者ではなかったようで、急速に落ち着きを取り戻す。
 だが緩いレオンの空気とは裏腹に、こちらへ歩んでくる大柄な初老の男は、厳しい表情を崩そうとはしない。
「ドクター。プラチナはどちらへ?」
「シャルくんならキッチンの方に――」
「プラチナ、本部より召還が。直ちに向かってください」
 いつも泰然自若でいる執事長の声音がやけに堅い。
「は? なに、つまんないことなら行かないよ!? 僕は今キャベツをむしる作業で忙しいんだ」
 何か大きな問題が起こったのだろうか。
 レオンの考えを肯定するかのように、ライスは緑の葉を手に現れたシャルルの耳元へ口を寄せる。
 他部署所属であるレオンには聞かせたくない話なのだろう。
 ライスの言葉を受け取ったシャルルの表情がみるみる不快に曇っていくのがわかる。
「下っ端のクズがこのセブンスに入り込もうなんていい度胸じゃない。僕も舐められたもんだね」
「プラチナお声が大きいです。まだ侵入者の所属も不明だというのに――」
「たとえ侵入者が医療局の者だったとしてもドクターに文句はないよね? 正規の手続きを踏まないでここへ足を踏み入れようとした者は誰であろうと厳罰に処する」
「それが、相手の抵抗にあい警備の者が複数回発砲したそうで、すでに被疑者は負傷しているとの情報が」
「はぁっ!? 僕の許可なしに死なせたりしてないだろうね。アルマにビーコンもつけずに殺したりしちゃ相手の逃げ得じゃないかっ」
「何かあったんですか?」
 騒ぎを聞きつけた修司がキッチンから戻り、心配げにライスへ問いかける。
 部外者である修司にどう話したものかと口をつぐんだライスに対し、シャルルはそんなことを歯牙にも掛けず言い放っていた。
「ここにいる限りチビにも修司にも手出しはさせない。僕が許さない。おまえはここでキャベツを煮ていればいい」
 纏う空気がゲボの長のものへと瞬時に変わり、シャルル・ルフェーブルはゲボ・プラチナの顔となる。
 むしられたキャベツの葉を修司に押しつけると、シャルルは踵の音も高らかに玄関を抜けていく。
 その後をライスが追い、閉められた扉を眺めると、レオンは大きく息を吐いていた。
「セブンスに侵入しようとする者が出るなんて……びっくりだよ」
 もう数十年以上、そんな人間は現れていない。
 ここへ許可なく入り込めば良くて転生刑。悪ければ蒸散刑の恐れすらある。
 IICRに籍を置く者なら誰もが知っていることであり、そんな無茶をする人間は頭がおかしいか自滅願望があるかの二択しかない。
「亮……」
 心配げに弟のそばへ歩み寄るとベッドの上の細い身体を抱き寄せる修司に、亮は大丈夫だとでも言うようにほほえんで見せていた。
 そんな兄弟を眺め、レオンは小さく下唇を噛んだ。
 もしかしたら『成坂亮が本当は生きていて、今もセブンスに居る』――そんな情報が流れてしまっているのかもしれない。
 亮がセラで大きな事故を起こしたことは、レオンも知らされている。
 箝口令は敷かれているが狭い組織内でそれも限界があるだろう。
 秘密の堰の小さな決壊はやがて大きな流れとなり、ついには現実を露呈してしまう。
「大丈夫だよ、修にぃ。シャルが誰も入れないって言ったら誰も入って来れないよ。あんな頑固なヤツがそんなこと許すはずねーもん」
「ん、そうか。そうだな――。それにもしここに誰か来たとしても、僕も絶対に入れないから。そのために僕は会社を休んでここにいるんだからな?」
 冗談めかして修司が言えば、亮も柔らかな表情でうなずく。
 不穏な動きがそこかしこで起きつつある。
 いったい何者がセブンスへの侵入を図ったのか――。
 亮を寝かしつけながらレオンは窓の外を眺める。
 深夜二時過ぎの真夜中の空は月明かりに照らされ、妙に白々と明るく見えた。