■ 5-26 ■




「なんで逃げる。俺はもうおまえの中の気持ちは解決したと思ってた。違うのか!?」
「逃げてるわけじゃ──っ」
「逃げてるじゃねーかっ。……亮の治療でおまえの能力が必要だと言われ協力するのはいい。だが樹根核行きなどやり過ぎだ! 亮の症状が落ち着いた今そこまでおまえが関わることはないだろうっ。そこがどんなとこかわかってるのか!? 人間が易々と行き来できる場所じゃない。こうやって電話をつなげることすら制限だらけだ。しかも肉体ごと煉獄越えをすることがどれだけ危険なことか──」
「それは……わかってる。でも僕は純粋に亮くんを助けたくて──」
「そうじゃない。おまえは俺から逃げてる。おまえが認めなくてもそうなんだ」
「フレズくん……、僕、僕は……」
「俺がおまえにこんな無茶をさせてるというなら──、俺はおまえから離れる」
「っ──」
「新居の契約も取り消してきた。この春言ったことは……取り消す。だからすぐに戻れ。──くそっ、時間だ」
「フレズ、くん……っ」
「じゃあな、ルキ・テ・ギア」





「ごめん。……ごめんね、亮、くん……」
 すぐ近くでそんな声が聞こえた気がした。
 誰かが自分に向かい何度も謝っている。
 亮が重い瞼をゆっくりとあけ、掛けられていたタオルケットを抱き寄せその香りを吸い込んだとき。
 ふとすぐ横で鼻をすすりあげる音を聞いた。
 ぼんやりとした表情のまま首を巡らせば、ベッドの脇に座り突っ伏していた少女は慌てたように顔を反らし、ゴシゴシと顔をこすってもう一度鼻をすすった。
「っ、……あ、良かった。気分、どう? 平気?」
 真っ赤な目。こすりすぎて腫れた目蓋。赤い鼻。
 平気かどうか問われねばならないのは自分でなくてそっちだと、亮は思った。
「ルキ……、どうした? まだ気分悪い?」
 亮は身を起こすと手を伸ばし、ルキのふわふわの黒髪をそっと撫でる。
 とたんにルキの大きな黒瞳へ大粒の雫が湧き上がり、ぽろりと丸い頬を伝って落ちた。
 慌てたようにルキは首を振るともう一度後ろを向いて何度も手で目元をこする。
「ダメだよ、こすったらもっと目が腫れちゃうよ」
 ベッドの上で膝立ちになり背後から亮がルキの手を押さえる。
「なに? 何があったんだ? 気分悪いならレオン先生呼ぶから……」
「違うんだ、身体はもう平気。昨日まではまだちょっときつかったけど、今朝起きてからはすっきりしてるんだ」
 下を向いたまま鼻をすするルキの身体を亮はぐるりと回転させこちらへ向けると、ベッドの上で屈み込んでその顔を伺う。
「すっきりしてるヤツはそんな風に泣かないぞ? ……オレが検査行ってる間、なんかあった? フレズさんとテレビ電話で話せたんじゃないのか?」
「っ…………、僕、僕は、ごめんね。……ごめん」
 そう謝ったっきりルキは再び泣き出してしまう。
 亮に対し何をそんなに謝ることがあるのかわからないが、ルキの涙は止めどもない。
 自分と同い年か少し上くらいにしか見えないルキだが、本当は2回も転生した人生の大先輩だ。そんな先輩がこんなに大泣きすることなんてあるんだろうかと、亮は困り果て、新たに自分の居室となった樹根核観測所内の病室を見回してみた。
 大きく取られた窓の外は大草原で、先は地平線が広がるばかり。室内にはこの大きなベッドが一つと窓際のデスク、小さな応接セット、奥にはバスルームとキッチンにつながる扉がついているっきりだ。
 テレビもなければ本棚すらない。綺麗な花や絵画、ぬいぐるみなんかもないようだ。
 子供のように泣きくれるルキの気を紛らわしてくれそうなものは何一つ見あたらなかった。
 だから亮はルキの脇へ両手を突っ込み「よいしょ」とばかり持ち上げると、ベッドの上でぎゅっと抱きしめる。
「おうち、帰りたくなった? 全然いいよ。オレなら大丈夫」
「っ、ちがぅ……。違うんだ。帰りたいんじゃない。僕は……、キミを利用して、キミの看護をするなんて嘯いて……、ほんとに、最低、なんだ……」
 ますます泣き出したルキを抱き寄せ、よしよしと頭を撫でてやる。
 ルキの言うことは全然わからなかった。
 ルキが亮を利用するなんて、そんなことがあるはずがない。
 ルキはいつだって真剣に親身になって亮のそばに付いていてくれたし、亮が暴走したときは命がけで止めようとしてくれた。
 だからきっとこれはいつもの悪い癖が出て、勝手に自分自身を追い込んで責め立てているに違いない。
 こうなると頑固なルキは「自分が悪い」を譲らなくなる。
 短い付き合いではあるがその間の出来事だけで亮にもそのくらいはわかった。
 これは長くなるぞと思いながら、亮はルキが泣きやむのを待った。





 ベッドの上に二人枕を並べ、亮はタオルケット、ルキはクッションを抱えたまま向かい合い、額を付き合わせて何やら会話を続けている。
 時刻は夕方四時頃だろうか。
 少しだけ開けられた窓からは和らいだ生成色の日差しが差し込み、白のカーテンをそよ風が時々揺らめかせていた。
 あれから一時間以上経ち、ルキの涙もすっかり乾いたようだった。
「絶対それ、本気じゃねーって。フレズさん、ルキのことが心配で焦ってそんな風に言っちゃっただけだよ」
 亮がルキから聞いた話を総合すると、『ハルフレズに黙ったままルキが樹根核へ来てしまって、ハルフレズが怒った。すぐ帰って来いって言われたけど帰らないって言ったら、じゃあ別れるって言われた』ということらしい。
 ルキの話は彼の気持ちや感情が入り込み紆余曲折、まっすぐ進むことなどなかったが、それでも亮は話の骨子は理解できたようだ。
「ルキ、一度戻ったら? そんでちゃんと話し合えば──」
「無理だよ。一度戻ったらもうこっちへ来るなんて出来ないかもしれない。フレズ君は断固止めるだろうし……それに、アクシズ酔いをそんな連続食らったら、多分僕吐きすぎてミイラになっちゃう」
「……ああ、うん」
 ルキのアクシズ酔いを側で見ていた亮としても、あんなつらい目に何度もこの大事な友人を遭わせるわけにはいかないとしみじみ思ってしまう。
 有伶も言っていたが、一度樹根核に入ったら最低一ヶ月は間を開けた方がいいらしい。研究局の当番でこちらへ入る機会の多い有伶は二週間間隔で入ることもあるが、こんなブラック環境本当は今すぐ辞職したいくらいだと遠い目で半笑いを浮かべていた。
 アクシズ酔いを全く体験しなかった亮にはわからないが、周りのソムニア達を見ればルキの言うように一度外に出たらすぐにこちらへ戻ることなど不可能だろう。
「それに向こうに帰っても……根本的な解決にはならないと……思うし」
「オレを利用したとかなんとか言ってたやつ? オレと一緒に樹根核来たかったってこと? なんでだ? 逃げるってまさかフレズさんから? フレズさんのこと、嫌いになったワケじゃないんだろ?」
「そっそんなことあるわけないじゃないかっ! フレズ君は本当にかっこよくて、強くて、綺麗で、頭も良くて、優しくて──」
「わかった、わかったから、先を続けてくれよっ。ルキがフレズさん大好きなのは何度も聞いたからっ」
 フレズの良さを語り始めるとルキがノンストップになることは、このベッドに横たわって一時間という短い間だけで嫌と言うほど思い知らされている。
「うーんと、何から話そうか。……あのね。フレズ君はメチャクチャモテるんだ」
「……うん、なんかそれはわかる。フレズさんかっこいいし」
 亮のハルフレズに関する記憶はあまり多くはないが、記憶の隅にいる彼の姿を思い出せばその端正な容姿と鋭い雰囲気は多くの女性や、時には男性も惑わせるに違いないとわかる。
「そんなモテるフレズ君がなんで僕をって今でも不思議でしょうがなくてさ」
「ルキ自分に自信なさすぎなんだって。てかそもそもどっちが先に好きになったんだ? やっぱルキ?」
「僕はIICRの入構試験で初めてフレズくんと出会ったんだけど、一緒に試験してる間中、その嘘みたいな強さとかっこよさに、……目が離せなくて……、まぁ、なんだろ、一目惚れなのかも」
「……そっかぁ、うんうん、そんな感じするわ。ルキ、フレズさんのことちょっと引くくらい好きだもんな」
「一緒に合格して、IICR主催のソムニア戦闘術競技会でも同じに出場して、何度も対戦して、毎回勝ったり負けたりして、時々喋ってくれるようになって、僕はどんどんフレズくんが好きになって」
「うんうん」
「とにかくフレズくんに憧れてて、それがどういう『好き』なのか深く考えないまま、会う度に嬉しくて好き好きって言っちゃってて……」
「……ルキ、思ったことがすぐ口に出るの、昔からなんだね」
「う。それ、生まれたときから治らないみたいで最初の両親にも言われたよ。……で、そんな僕をフレズ君はいっつも鬱陶しそうにしててさ。僕に会う度に眉間に皺寄せて嫌な顔すんの。それでも僕はそんなの全然平気だった。嫌な顔してても結局はフレズ君、僕と話してくれたし、優しくしてくれたし」
 その情景を思い浮かべてみようとした亮は、努力する前に映像が目の前に現れたような気がして苦笑する。
 ルキの言う「優しくしてくれた」もきっとルキ目線であり、端から見るとただただ迷惑そうに対処されていただけのような気がする。
「ある日ね? 競技会でよく対戦する別の選手と食事に行くことになって、僕とその人と本部近くのバーで飲んでたのね」
「え、ルキ、お酒飲めるの!?」
「僕そのころ24歳だよ!? ってそこ!?」
「ごめんごめん、なんかオレと同い年くらいに思えちゃって。……続けて?」
「うん。そんでその人が酔っぱらって僕に抱きついてきて、休みたいっていうから介抱するために奥の個室を借りて運んだの。灯りのスイッチ探してる間もその人とにかく僕に絡んできて落ち着かせようと奥のソファーへ連れて行ったら──」
「うんうん」
「後ろのドアが壊れそうな勢いで開いて、振り返ったらめちゃめちゃ恐い顔したフレズ君が立ってて」
「わあぁっ、なんか、それ、シュラバってヤツじゃねーの? よく意味はわかんねーけどっ!」
 意味もわからない癖にやたら興奮した亮は、抱え込んだタオルケットに一度顔を埋めるとバタンバタンと左右に転がり、再びルキの方へと向き直る。
「僕に抱きついてた友達の胸ぐら掴んで殴り倒して、僕の手を掴んだままずんずん店の外に出てって、僕わけがわかんないから、何度も「どうしたの?」って聞いたんだけど何にも答えてくれないし」
「ふえーっ、何も言わずに相手殴ったのか!? あの人めちゃ冷静そうな顔してんのに」
「フレズ君ああ見えてすっごい短気なんだよ。……僕も何怒ってるのかわかんないし、なんかフレズ君恐いし、どうしようどうしようって思ってたら」
「うんうん」
「店の外出たとこで『俺がなんで怒ってんのかわかんねーのかっ、バカがっ』って怒鳴られて、突然キスされたんだ」
「…………っっっ!!!!」
 タオルケットに半分顔を埋めたまま亮は目を見開き絶句したあと、
「ええええええっ、まじ、なんで!? フレズさん怒ってたんだろ!? なんでちゅーされんの!? マジ意味わかんねーっ!!!」
 と両足をばたばたさせる。
「僕も全然わかんなくて、びっくりして黙ってたら、またキスされて『まだわかんねーのかっ!?』そんでまたキスされて『わかるまで続けるぞバカ』ってなんども怒られながらキスされたの」
「………………ほええぇええぇぇっ、な、なんか、なんか、それ、なんか……」
 言いながら見る見る亮の頬が赤く染まっていく。
「いつの間にフレズさん、そんなことになってたんだ? だってそんないっぱいちゅーするなんて、ルキのこと好きになったってことだろ?」
「……う、うん。そう、言われた。僕も突然すぎてわかんなくて、しばらくそれが現実に起きたことなのか、僕の夢なのかわかんなくなってたくらいで……」
「わかんないもんだよな。普段冷静そうな顔してるヤツに限って、突然変なことしてくるし、フレズさんもそれまでずっとルキに対して嫌な顔ばっかしてたんだろ?」
「そう! そうなんだよ! いつだって迷惑そうだったし、その日だって本当はフレズ君たちイザの人たちのパーティーに呼ばれてたんだけど、前日突然『来るな』とか言われて機嫌が良くないみたいだったから別の友達の誘いに応じて飲みに行っただけなのに──、それをすごく怒られて怒られた挙げ句キスされて『どうしてわからないんだ』って言われても──、僕頭の中がぐしゃぐしゃだったよ」
 この話をレオンやシャルル辺りが聞けば「なんでここまで状況証拠が揃っていて何も気づかないでいられるんだ」とあきれ顔で突っ込みを入れたに違いない。
 しかしルキの話に、亮は心底わかると言ったように深く頷いている。
 どうやらこと恋愛に関しては二人はかなり似たもの同士なのかもしれない。
「とにかくそれで、僕とフレズ君は両思いになった……んだけど……」
「けど、なんだよ? 良かったじゃん、ルキ、一目惚れした初恋の相手が振り向いてくれたんだろ?」
 勝手に初恋認定した亮の言葉をルキも当たり前に受け取りそこは華麗にスルーして先を続ける。
「そうなんだけど、僕、急に、恐くなっちゃって……」
「え? 恐い? なんで!?」
「だってフレズ君だよ!? 競技会でも初転生にしてランキング入りするフレズ君には女の子のファンだっていっぱいいるし、僕みたいなタトゥーだらけの冴えない男のことを好きになってくれるなんて、そんなことあるわけないし、僕なんかが隣にいるのはおこがましいっていうか……」
「そんなことねーよっ、ルキのタトゥーかっけーよ? それに、フレズさんが好きだって言うんだから」
「それに僕、鬼子だし……」
「……鬼子?」
「一度異界に落ちて戻ってきた人間のこと。特殊な能力が授かることも多いけど、同時にアルマがどこか狂うことも多い。僕はソムニアとして目覚めたのが、ゲボの関わった戦闘に巻き込まれて異界落ちしたことが原因だったから、ソムニアとして目覚めた瞬間から鬼子だったってことになる。……鬼子の数はとっても少ない。異界落ちして戻ってこられる人間はほとんど居ないから。僕は偶然向こうの世界の端に引っかかってすぐにはじき飛ばされて──、おかげで寂静せずに済んだんだけど、ソムニアの世界じゃ鬼子は異端視されてるんだ」
「……でもそんなの、最初からわかってたことだろ? それでフレズさんが好きだって言ってくれるならそのまま喜べばいいだけじゃん」
「うん。……周りからもけっこう同じように言われて、そうだなって。フレズ君が僕を好きになってくれるなんてこんな奇跡、僕が鬼子になる以上に奇跡だなって思って、なかったことにするなんてできないよねって。それで、その……僕もフレズ君が好きだよって告白したんだけど、」
「したんだけど?」
「その一週間後くらいに、僕、職場からの帰り道、交通事故でうっかり死んじゃったんだ……」
「………………っ、はああああ? なんで、バカじゃねーの、ルキ!」
「だって車の前にシカが飛び出してきたから避けようと思って!」
「それで死ぬってソムニアなのにバカっ。フレズさん可愛そうだよっ」
「でもでも、転生はちゃんとできたし。フレズくんもその──計画死で追いかけてくれて、今に至ると言うか……」
「えっ、フレズさん、ルキ追いかけて転生してくれたの!? 普通そこまですんの!? それってすっごい好きじゃないとしないんじゃねーの!?」
「…………」
 今度はルキが頬を真っ赤に染め上げ頭から煙を出しながらクッションに顔を埋める。
 どうやらものすごく照れているらしい。
「そんでなんでルキが『逃げてる』って話になんの? どう聞いてもラブラブじゃん」
「うん、そう、なんだけどね。そのー……、実は僕が2度目の転生したときにまた問題が……」
「問題?」
「僕、見ての通り──女の子の身体で生まれちゃったんだよ。いわゆる切り替え型、スイッチャーってヤツ」
 言いながらクッションを外して見せたルキの身体は本日は女性体だ。
 こちらに来たばかりの昨日は男性体だったのだが、肉体ごと上げられている樹根核に於いては通常のセラとは違い、時々に応じて身体の揺らぎが出るらしい。
「切り替え型はね、古くからソムニアの間で蔑みの対象だったんだ。アルマとは違う肉体を引き寄せるのは、アルマと肉体の結びつきが弱いだとかアルマそのものが揺らいでいて不安定だとか言われていて。しかも性別が切り替わることはセクシャルな面で好奇の目を向けられることが多くて、歴史的には忌みの対象だったんだ」
 亮は何度か瞬きをし、次に難しそうに眉を寄せると「それってゲボみたい」と呟いていた。
「セクシャルな面でって部分はちょっと近いかも。でもゲボはやはり崇める対象ではあっても蔑みを受けるべき存在じゃない。そこはスイッチャーとは違う。オールドアルマのお年寄りたちなんかは未だに僕らのことを嫌う人も多いんだ」
「でもそんなの頭の固いじーさんばーさんだけが言ってることだろ!? 今はそんなことないんだろ!?」
「ソムニアの世界は古い歴史が層になって作られているから……、因習はなかなか覆らないよ」
 そう言うとルキは小さく微笑んでみせる。
「それは、えーっと、鬼子だったからそうなっちゃったのか? アルマに変化が出るって言ってたし」
「その辺はわからない。鬼子でなくてもスイッチャーは一定数居るからね。ソムニア3000人に一人くらいの割合らしいけど。でももし鬼子になったことでアルマが変異したのだとしたら、切り替え型になった以外にも、まだ気づいてない重大な欠陥が僕の中に眠っているのかもしれない。そしてそれはいつ爆発するのかもわからない」
「……ルキ」
「そんな僕がフレズ君と一緒に居ていいのかって、許されないんじゃないかって思うと恐くてたまらない。……フレズ君は僕とは違って最年少でカラークラウンに就任しちゃうようなIICRの期待を一身に受ける正統派エリートだから」
「そんで、逃げる──って話になんのか?」
「……うん」
 そう言ったままルキはクッションに額をつけ顔を埋めてしまう。
 今度は照れている訳ではなく落ち込んでいるらしい。
 そう言えば有伶が言っていた。
 ルキとハルフレズは2転生後、現在の3回目の人生でもくっつくようなくっつかないような状況が延々と続き、今年に入ってなんとか状況が落ち着いてきたらしいと。
 転生後逃げ回っていたルキをついにハルフレズが強引にモノにしたらしいが、どうやらそれでもまだルキの中では思うところがあるようだ。
「でも今はフレズさんの気持ち受け止めて、付き合うってことにしたんだろ? もう逃げるのやめたんじゃないのか?」
「付き合うのは……嬉しい。でも、一緒に暮らすのは、……恥ずかしい」
「なんで?」
 クッションから顔を上げると、大きな瞳を曇らせてちらりと自らの身体を見下ろすルキ。
「一緒に暮らすってことは、お……女の子の身体でフレズ君と……その、……する、ことに、なるし……」
「………………」
 亮の顔がするすると赤くなると、ごろんとルキに背を向け「な、なるほど」と一言漏らす。
「一般的にはそれが普通のことなんだろうけど、僕の場合元のアルマが男だから、やっぱりそこは違和感があるっていうか、恥ずかしいっていうか」
「ふ……フレズさんはなんて言ってんだよ……」
「フレズ君は……、僕が僕なら何でもいいって……」
 再びごろんと亮が転がり直す。
「じゃあいいじゃん! お、……女の子の身体でするのがヤなら、セラん中だけですりゃいいじゃん!」
「嫌じゃないよっ、恥ずかしいだけで、フレズ君にしてもらえるならホントはどっちだっていいんだっ」
「はあっ!? 言ってることメチャクチャだぞ、ルキ。じゃあ何も問題ないじゃん!」
「そうだけど、けどっ、……やっぱ恐いんだっ。だから自分のそんな心から目を背けるために亮くんを利用して、樹根核にまでやってきて、曖昧な状態を続けようとして、僕はほんとダメなヤツで、フレズ君に捨てられて当然でっ」
「ちょちょちょ、待てって、それってフレズさんが捨てたんじゃなくて、ルキが捨てたってことになるんじゃねーのか!?」
「僕がそんなことするはずないだろっ! ぼぼ僕がフレズ君を捨てるなんて天地がひっくり返ったってあっていいことじゃな………………え、そうなるの?」
 初めて気づいたというようにルキは目を見開き亮の顔を眺めた。
 亮は重々しくうなずき、「そうなるな」と追い打ちを掛ける。
「ルキとしては自分に自信がなくてビビるあまりだったとしても、周囲はそんなの知らないし。フレズさんは、後追い転生までしたのにルキに捨てられた可哀想な人って見られるんじゃねぇの?」
「っっっっ!!!!! そんなの、ダメだよっ、フレズ君が僕みたいなのにそんなの、絶対許されないよっ!」
「そう思うんなら、もう一度ちゃんと話した方がいいよ。オレの看護も折を見て交代してくれて大丈夫だし、電話の申請はすぐにでもできるんだろ?」
「……う、うん。電話申請……。してみる。そっかぁ。そうなるのかぁ。僕ぜんぜん気づかなくて…………。でも、亮くんの看護は絶対続けるからねっ。僕は修司さんに誓って来たんだから。亮くんが治るまで絶対ここにいる!」
「っ、頑固者! オレなんかよりフレズさん大事にしなきゃだろっ。男ならフレズさんの胸にバシーっと飛び込んで行けよっ!」
「そっ、それはそ、そのうちするよっ! ていうか、亮くんこそどうなの!? 好きな人がいるとして、自信を持って胸に飛び込んでいける?」
「っ!????」
 突然自分に矛先を向けられ、亮は目を見開き瞬間言葉を失う。
「すすすす、好きな人、なんて、い、い、い、いねぇしっ」
「ふぅん。じゃあたとえばでいいんだけど、亮くんがヴェルミリオのこと好きだったとして──」
「なっ、ななななななんだよその例え、意味わかんねーそんなのあるわけねーのにっ」
「たとえば、だよっ。今後亮くんの病気が治ってしばらくセブンスにいるとして、──ヴェルミリオと専属契約ちゃんとできる?」
 たとえば──と言いつつ全くたとえ話の体を為していないということを、亮もルキもまるで気づくことなく会話は進行していく。
「専属……契約!?」
「亮くんの部屋にヴェルミリオが住んで、そこからヴェルミリオの出勤を見送ったりするんだよ?」
「どっ、同居なら今だってしてるしっ、ルキよりオレのがちゃんとしてるっ」
 すでに亮はルキの仮定を肯定していることすら気づいてない。
「それは同居でしょ? 専属契約ってのは実質の結婚──みたいなことだよ」
「け……」
 口を開き掛けたまま亮は絶句した。
 シドと結婚。
 すでに亮の脳のキャパシティーは完全なオーバーフロー状態だ。
「…………亮くん?」
 完全に動きを止め沈黙してしまった亮の顔を我に返ったルキが覗き込む。
「えーと、ごめん、大丈夫?」
 目の前にひらひらと手を振って見せ、反応がないとわかるとほっぺをむにゅりとつまむルキ。
「たとえば、の話だから。戻って来て」
「…………、た、たとえばって、そんなのたとえばでもあり得ないっつーの! オレがこんなに心配してやってんのに、ルキはなんでそんなふざけたことばっかs」
 最後の方は言葉にならず亮はルキに飛びかかっていた。
「いたた、こら、ちょ、くすぐらないでっ」
「くすぐってんじゃない、つねってんだっ、っt、ば、うゎ、そっちこそくすぐんなっ!」
 病室のダブルベッドはちょっとしたキャットファイト状態だ。
 そこへ軽やかなノックの音が鳴るが二人は気づかない。
 何度かノックの音は空振りし、しびれを切らしたように開いた扉の影から顔を覗かせたのは主治医のレオンと、研究局補助員の一人、ラージ・シンである。
 二人は眼前に展開される少年少女のじゃれ合いに目を細めると、声を掛けることもせず、レオンに至ってはスマホを構え動画撮影に及ぶ始末だ。
「ルキのばかっ! オレ、散歩に行ってくる!」
 そう言ってベッドから飛び降りた亮は小さな羽根を羽ばたかせ、ものすごい勢いでレオン達の間をすり抜けて部屋を飛び出していった。
 それを見送ったレオンは
「……検査後の様子を見に来たけど……、私なんかより全然元気だね」
 と呟き、傍らで己の顎を撫でるラージは
「こんなキラキラした光景がこのむさ苦しい観測所で見られるとは……、昨今稀に見る素晴らしい観測結果だ」
 と感慨深く頷いていた。