■ 5-30 ■


 何度目かのため息がシュラの口からこぼれる。
 今回の第二級緊急理事会はのっけから大荒れだった。
 本部急襲から約12時間後に行われた議会は状況報告と今後の流れだけで終わるかと思いきや、文官達からの責任所在を追求する声が思った以上に大きく、特にテロ特を引き受けたばかりのフェフ・スプルースは見ているこちらが気の毒になるほど激しく槍玉に挙げられていた。
 共同責任者のイザ・ヴェルミリオを糾弾する声も当然のごとく上がっていたが、不幸中の幸いと言うべきか、火に油を注ぐのを得意とするあの男は現在PROCの任務で深層セラであるゲヘナへ降りていて連絡の取りようもないらしい。
 かくしてつるし上げられたのは武力局に在籍する責任者たち数名。
 スプルースのみならず、武力局局長であるウルツ・インカ。警備局のトップやなぜか獄卒対策部部長であるシュラまでさんざん罵声を浴びせられる羽目になった。
 絶対安全だとされていたIICRの神話が崩れたのだ。荒事が嫌いな文官達が過剰なアレルギー反応を起こすのは仕方ないとは思うが、責任だ処罰だとそんなことに躍起になる前に、現状を分析し今後同じ流れが起きないように方策を考えるのが先決だろうとシュラは思う。
 ノース・シーの一喝と木槌の連打でどうにか場は静まったが、IICR全体が不穏な影に覆われているようだった。
「くっそ、また綴り間違えた」
 珍しくカウナーツ執務室のデスクについているシュラは、書き損じた紙をクシャクシャに丸めると背後に放り捨て、新たな紙にペンを走らせる。
「見もしないでよくあんなに何個も紙くずボールをシュートできますね。さすがジオット、一発もミスなしです。報告書よりこちらの方が断然お得意ですのに、理事会はもっと適材適所を心がけるべきですね」
 副官であるカイがPROC任務でいない今、副官代理は辛辣な物言いが売りの美人、ルイズ・カーメンが担当している。
 深夜3時を回ったこの時刻、悪態をつきながらも付き合ってくれるありがたい部下だ。
 今も彼女の手により目の前に濃いめのブラックコーヒーが置かれ、シュラはありがたくそれを口に運んだ。
「ぜひそう処理委員会に進言してくれ、カーメン。あんた達の書いた書類なら何枚だって丸めてシュートしてやるから、この意味のないくだらない報告書の数を半分に減らしてくれって」
「降下してきた実行部隊はほぼ全員捕縛したんでしょう? それならそんなに怒らなくてもいいと思うんですよねぇ」
「いやそれが数名漏れがあるらしい。特に何を奪われたわけでもないはずだが……、この不可侵領域に踏み込まれたこと自体が彼らは気に入らないんだ」
「旧本館が狙われたって聞きましたけど……あんなところを破壊してもそんなに人が居るわけでなし、重要な機密書類が収められている場所でもなし」
「……うん、まぁ、そうだな」
 そう相づちを打つシュラだが、彼らの目的が人間でも機密書類でもないことは襲撃された『旧本館』という場所で大方の見当がついていた。
 恐らく環流の守護者たちが狙ったのはAXISだ。世界中に張り巡らされたレイラインから集積される『マルクトパーティクル』と呼ばれる素粒子が注ぎ込まれる場所。――アルマを肉体ごとセラや樹根核に打ち上げる世界でただ一つの恒久的なシステムがその地下には存在する。
 もちろんその存在こそIICR職員ならば知ってはいる。だが、その場所は秘中の秘であり全く別の南B棟の地下という触れ込みになっているのだ。そこはかなり厳重なセキュリティに守られており、一部の研究局員やヴァーテクス以外は申請なしで訪れることを許されていない場所になる。
 実際そのような極秘エリアがIICR内部には複数箇所ある。しかし今回狙われた旧本館にはIICRの『歴史的価値』以外特筆すべきことがなく、極秘エリアには指定されていない。建物が古く倒壊の危険があることから多くの人間の出入りは許されていないが、それでも一階のごく一部は現在も資料庫として利用されていたり、歴史的価値のある建造物保存の観点から補強・補修工事の者たちが仕事をしていたりするのみだ。
 しかし実際はこのIICR本部において最も重要な機密が隠された場所になる。
「だがガーディアンたちの目的は一カ所じゃなかった。旧本館やセブンス、研究局第3資料庫、旧セブンス跡地──特殊な場所をピンポイントで狙いに来ている。ガーディアンの頭がテーヴェであるという情報が真実なら明確な目的があったことは確実だ。それが何なのか対人外戦闘畑の俺には見当も付かねぇが、とっ捕まった奴らは片っ端から各局の特殊聴取課で死にたくなるような拷問に掛けられるんだろうし何をしようとしていたのか当局が掴むのは時間の問題じゃねぇかな」
「拷問……ですか。前時代的ですね」
「IICRなんてそんな場所だろ? 前線には俺らみたいな若者を。中心では化石みたいな爺さんたちがお茶しながらチェスを楽しんでる」
「世界規模のチェスってとこですか。……まぁ確かに理事会の方々から見れば、ジオットもギリギリ若者ですしね」
 カーメンの言葉にシュラは苦笑を浮かべ、「ギリギリっておま、年の差二千歳だっちゅーの」と不服そうに文句を言った。
 しかしそんなボスの苦情など有能な副官代理は聞こえぬふりだ。
「さて無駄話はこの辺にして、ちゃっちゃと報告書、書き終わっちゃってください。明日は朝一で獄卒対策部の定期演習が入ってますからね」
「へーへー。わかってますよ鬼軍曹」
 溜息と共にコーヒーを一口すすり、再び万年筆を握りしめデスクへ向かったシュラの耳がその足音を捕らえたのはその時だった。
 扉が開く数瞬前に顔を上げ、扉を見たのとノックが打たれるのはほぼ同時だ。
 カーメンが扉を開けると、身長二メートルは超える分厚い体躯の男が少し頭をかがめて部屋の中へ入ってきた。
 カーキ色の将校服は立襟であり、それを息苦しそうに外した無骨な指先は白の手袋を着けたままだ。武力局の13種類ある制服のうち、準礼装にあたるNo.2ドレスを纏った彼の姿を見れば、夕刻の緊急理事会からこちら着替える間もなく各所の処理に奔走していたということだろう。
「窓から明かりが見えたものでな。今、少しいいか」
「ああ。こっちもちょっと休憩入れてたとこだ。しかしおまえも大変そうだなインカ、こんな時間までその格好とは。書類だけで済まされる俺はマシな方か」
 己のラフな仕事着を引っ張って見せたシュラは執務デスクを立ち、インカへ室内中央に置かれた応接用ソファーを勧めると、自分も向かいにある一人掛けのソファーに腰を沈める。
 カーメンは手早くコーヒーを入れ二人の間のローテーブルへそれぞれ置くと、言葉もなく執務室を出て行った。
 カラークラウン同士のこういった非公式な会談の場に他の者が居てはならないことを、彼女もよく知っている。
「それで? こんな時間になってやってくるとは穏やかじゃねぇ。用件ってのはなんだ」
 インカと言えばゲボ・プラチナ──シャルル・ルフェーブルの恋の奴隷だ。環流の守護者<ガーディアン>襲撃の折シュラがセブンスに居たことに物申したいのでは──と、そんな予想がシュラの中で立ったが、実際口を開いたインカの言葉はそんな予想とはまるで違ったものだった。
 大きく足を開きその膝へ両腕を預けた前傾姿勢で、大型の猫型猛獣のような男がまっすぐにシュラを見ている。
「今日捕らえたガーディアンの構成員24名、全てヴァーテクスに持って行かれた。武力局警備部が捕らえた12名だけでなく、警察局警備部が捕らえた7名、セラ・テロ対策特別局が捕らえた5名も同様らしい」
「は!? どういうことだ。ヴァーテクスがそんなことして何の意味がある。生情報であるあいつらを連れて行くより、いつも通り各局で手に入れた情報を吸い上げた方が何倍も効率がいいはずだ。そもそもヴァーテクスにあんな大人数をさばくだけの人員なんていねぇだろ」
「IICRは今回の事件、最高府である理事会で片をつけると宣言してきた。理事会の実働隊であるヴァーテクスには直属の下位機関があるだろう」
「下位機関って──IICR子飼いのコモンズで構成されてるっていう翼賛会のことか? 確かにあそこは理事会の便利屋だが、あのソムニア至上主義の爺さんたちが一般人で作られてる翼賛会に自分たちの寝床に進入された恥をさらすか? IICR内部で事を収めようとするのが通例だろうが」
「それが今回は理事会の長老方はだんまりらしい。全て実働隊のヴァーテクスが舵を切っている」
「……レドグレイか。今あいつは無敵状態だからな。なにせビアンコの委任状を持ってる」
「ビアンコの長期不在はいつものことだが──、今度ばかりは痛い。ビアンコは今回の件をご存じなのだろうか」
「あの人が知らないことなどないような気もするが、今は転生障害をどうにかするのが最も重要な命題なんだろう。……転生できないとなればソムニアなんてのは存在を消されたも同然だ。コモンズとの違いはちょっとした超能力が使えるかどうかの差になっちまう。アメコミのヒーローで満足できるタマじゃねぇんだよ、ソムニアとして何回も転生してる連中は」
「確かに。ヒーローというよりモンスター側だな、俺たちは」
 ふぅ──と大きく息をつくと、大きな筋肉の塊は背中を伸ばし背もたれへどさりと身を埋めた。
 インカの巨体に大振りな木製のソファーもギシリと軋みを上げる。
「たまたま今の時代ビアンコが在命していて指示を与えてくれているが、そうでない時代がほとんどなんだ。IICRがいつまでも彼におんぶに抱っこじゃなんともならねぇ。その為の組織なんだから、うまいこと機能させてきてぇもんだがな」
「誰もがジオットのようなバランス派ではない。今回の件はその最たるものだろう。ヴァーテクスは……いや、レドグレイはIICRを一つの細胞として見てはいないようだ。彼が独立した頭であり脳であり、その他の部署は全部彼を生かすために動く身体の部品といったところだろう」
「今回はその頭が俺たち手足を使わず、自分独自の念力で事件解決しようってのか。手足に知られたくないことでもあるってのか?」
「かもしれん。いつもならこの手の汚れ仕事は各局の特殊聴取課に委ねられて然るべきだ。文官である彼らは忌避する作業のはずだしな」
「聴取と言えば現代的だが、実質拷問課なわけだし──、文字通り手の汚れる仕事だもんな」
 シュラがそう言えば、インカは片口の端を微かにつり上げ笑ってみせる。ちらりと覗いた白い犬歯は鋭く、本当に人間でなくモンスターのようだ。
 ウルツの王は職場に於いて武力局の荒ぶる武官たちを一手に束ねる獣の王そのものである。
 シャルルの前でのみ、飼い慣らされた大型犬のようになってしまうという事実を知るものはIICRでもごく一部だ。
「ビアンコの委任状がある限り、武力局も捕縛した連中をヴァーテクスに引き渡さざるを得なかった。警察局やテロ特も同様らしい。だが我々もそれで収まりが付くわけはない。そこでこの三局で合同捜査を行うことにした」
「合同捜査?」
「ああ。非公式だが連携を取っていこうということだ」
 そこでシュラの眉が片方ぴくりと持ち上がる。
 新設のテロ特はともかく、警察局と武力局は古くから犬猿の仲である。警察と軍。武官の中でも対人間の荒事を生業とする二局は、常に相手を意識しマウントを取り合う間柄と言える。現警察局局長のヒースは名の知れた武闘派であり、現武力局局長のインカは前局長のライラックのような脳筋でないとはいえやはりその獣性は激しく、その二局が手を組むなどよほどのことだ。
「マジかよ」
「既に話はつけてきた。我ら三局でガーディアンの真の目的を探り、奴らを壊滅させる。そこであんたにも協力を頼みたい」
「俺? 対人とは無縁の獄卒対策部がどう協力するってんだ。人員を貸せ──ってくらいならなんとかできねーこともないが」
「話が早い。早速だがあんたのところの人間を一人、借り受けたいんだ」
「わかった。それなら明日にでもそこそこ頭の回転のいいメンバーを一人そっちへ……」
「違うんだジオット。そうじゃない。もうこちらで渡して欲しい人間は決まっている」
 カーメンの入れてくれたコーヒーへ手を伸ばしかけたシュラは動きを止め、インカの顔を眺めた。
「あんたがテロ特から交換を申し入れた男。SPCからの交換出向で来てるタカユキ クガだ」
 シュラの額にじわりと嫌な汗が浮かぶ。
 なぜここで久我の名が出てくるのか、なにより久我とは「すぐ戻る」という例のメールの後、数回のやりとりは行えたが現在音信不通だ。
 死んではいないだろうが何をしているのかとヤキモキしていたところへ、まさかの引き渡し命令である。
 これは非常にまずい状況だ。
 SPCからの交換出向中の人間が勝手な行動をした挙げ句行方をくらますなど本来大問題であり、今後の交換出向枠がなくなってもおかしくない事態といえる。
 できればそんな迷惑を世間様には掛けたくなかった。
 馬鹿弟子をクラウンの親バカ権限で庇えるのもここまでかと溜息をつきかけたが、とりあえず状況を確認し、その状況次第で後を考えようとインカへ水を向けてみる。
「……なぜあいつをご指名なんだ? 交換出向の人間に内部の恥を晒そうってのか?」
「そこがまず問題の一点だ。出向でやって来た彼は、今現在、外部からやってきてIICR内部深くへ通じることの出来る数少ない存在といえる。彼がガーディアンと通じていないという確証を得るためにも、こちらで聴取させてもらいたい」
 こちらを眺めるインカの目は瞬きすらしない。完全に戦闘モードに入っているのだ。
 武力局の長として今回の件は普段冷静な彼も腹に据えかねているといったところなのだろう。
 シュラもぐっと蒼眼に力を溜め、その黒い視線を見返す。
「聴取? 罪も確定していない内部の人間を拷問に掛けようってのか。そういう了見なら引き渡せねぇな」
「聴取課を誤解している、ジオット。それは最終手段だ。まずは国際法に則った正しい聴取から入り、その後Aクラスダガーツにより真偽を見極めさせ、問題がないようならそれで終了だ。やましいことがなければ一時間と掛からず解放できる。現に交換出向中の他二名はすでに問題なく職場復帰を果たしている」
 シュラはなるほどと心中一人頷いていた。
 久我のバディ、テロ特のルクレチア・メッディも既に聴取を受けたということは、シュラと久我の関係もインカは承知しているということだ。
 Aクラスダガーツなど、隠し事をする脳内の深くにまで潜ることはできないが、それでも聴取後の人間に嘘か真実かを問うたときの心の揺れを感知することは可能だ。拷問を受け今にも喋りそうになる真実を表層から汲み取ることも容易だろう。
 あの軽そうな彼女がそこまでしてシュラと久我の関係を守るとは思えないので、おそらく聞かれるままあっさりと聴取に応じたのだろう。とにかくインカはある程度の情報を持ってここへやってきたに違いない。
 それでこの戦闘モードかとシュラは推知した。
「なんと言われようと駄目なもんは駄目だ。正式な書面も用意できない聴取に部下を引き渡すわけにはいかない」
 身を起こし再び前傾姿勢となったインカの黒瞳がぎらりと揺れる。
 圧倒的な肉体の質量に強大なウルツの気が乗り押しつぶされそうな錯覚に陥る。
 普通の者ならそれだけで腰を抜かし、知っている情報と命乞いを織り交ぜながら合わない歯の根で語り出すに違いない。
 しかしシュラはそれ以上なにも語らず飄々とインカを見返すだけだ。
「書面など必要ない。これは武力局における上官命令だ。今すぐ、久我を引き渡せ。例え師弟の間柄とはいえ、これ以上不審な庇い立てをすればジオット、あんたも聴取課への出頭を命じることになる」
 確かにシュラとインカは同じカラークラウンでありIICR内での立ち位置は同位だが、獄卒対策部部長という肩書きは役職として武力局局長の一つ下位にあたる。
 同じ局内同士でしか作用しない実行範囲の狭い肩書きであるが、武力局という縦社会の組織では非常に強い強制力を持っている。
 インカの代になり理不尽な強制力が使われることは皆無になっていたが、今回は特別だということなのだろう。
「上官命令ならば俺はいくらでも聴取課でのんびりさせてもらうが──、貴之は無理だ。悪いな」
「ジオット! わかっているのか!? あんたが庇えば庇うほど、あんたの弟子の疑いは濃くなるっ。聴取課という場所に嫌悪感を持つのはわかるが、今はそういう状況じゃないんだっ!」
 ついにインカは立ち上がり、シュラの胸ぐらを掴み上げていた。
「久我がIICR内部の地理を嗅ぎ回っていたという情報もこちらは掴んでいるんだ。IICR襲撃前の深夜、自転車を使い寮を出たことも確認されてるっ。弟子が可愛いなら今すぐ俺に引き渡せ。さもなきゃヒースの子飼いが動き出す。局が違えばこちらからはなんの手出しもできなくなるぞっ!」
 吠えるように言い募るインカに、シュラは声を潜め唸るように答えた。
「引き渡すもクソも、貴之はここにはいねぇ。あの日からこっち、あいつの姿を見た者はいないはずだ」
「……あんた、逃がしたのか」
 信じられないとでも言うように目を見開き思わず漏れ出たインカの呟きに、シュラは口の端を引き上げ小さくかぶりを振ってみせる。
「信じちゃもらえねぇだろうが、あいつとガーディアンに関係はねぇよ。あいつは亮と同級生だ。亮に会いたくてうろうろした挙げ句、不審者見つけて無鉄砲にもそれを追尾した。俺は弟子の不始末の尻ぬぐいするためにあいつを手元に在籍させて──、あいつはまだ外でその不審者にくっついてる。つまり貴之はここにいねぇから、おまえの要請には応えられない。これが全てだ」
「亮──? トオル ナリサカが同級生!? そんな人間が交換出向でIICRへやってくる確率など天文学的数字だ、言い逃れならもっとうまくやるべきだな、ジオット」
 亮の同級生の久我が偶然出向に抜擢されたのではない。久我が亮の同級生だった為必然として抜擢されたのだ。そのことをインカは知らないし、シュラも詳しく語るつもりはない。下手なことを喋れば久我の短時遡航という能力をIICR当局に知られる恐れがある。あの二次的能力は強力だが非常に危険な諸刃の剣だ。IICRが興味を持つだろうその能力が久我にあることは伏しておきたいし、その能力を久我に与えた亮の力も知らせてはならないものだとシュラは考えている。
 だがインカがシャルルの愛犬であり、信頼できる人物であることもシュラはよく知っている。それ故語れるところのみを語ってみたのだが、こんな状況である今、片手落ちの情報では何を言っても彼には通らないだろう。
 これは明日の朝、定期演習に出るのは無理そうだなと内心溜息をつく。
 久我が追っているのは恐らくガーディアン──環流の守護者たちだろう。今回の襲撃事件を考えれば自ずと答えは見えてくる。
 そのガーディアンを追い、どのような形で行動を共にしているのかわからぬ今、もし久我がガーディアンと共に捕縛された場合、非常にまずい展開になるのは目に見えている。
 それ故その際の布石を打ってみたのだが、今シュラの語った真実がどれほどのストッパーを勤めてくれるのか皆目不明だ。
 こうなってしまった以上、久我がここに戻るのは逆に危険かもしれない。
 IICRがガーディアンを壊滅し、今回の襲撃事件を無事解決し終わればあるいは久我の無実を知らしめることができる可能性もあるが、現状厳しい状況である。
「あんたがそのつもりなら正式な書面を請求する。しばらく聴取課で付き合ってもらうことになるし、その間獄卒対策部の部長職は他の者へ任せることとなる。──事と次第によってはそのまま部長職から永久解任され、カラークラウンも降ろされることになるが、構わないか」
 穏やかでない提案がインカからなされた。
「俺がダガーツに中身を読まれて困るのは、ヴァーテクスだろう。書面は発行されないと思うがな」
「亮が生きて東京に居たという事実をヴァーテクスが隠し、都合の良い奪還劇を先日発表した──あのことか。確かにあんたの言ったことに真実が含まれていれば亮の絡んだ尋問になる可能性がある。となれば、ダガーツがあんたの中からその情報を拾う率は高いな。……ならばダガーツを使わない趣旨を明記して申請を掛けるしかないだろう。ダガーツさえ使わなければジオットが亮絡みのことを語ることはないと、ヴァーテクスも知っている。ダガーツ不用でガーディアンに対する尋問のみを行いたいと申請すれば、許可を得るのもたやすい」
 シュラは自らの胸ぐらを掴み上げたインカの太い手首をぐっと握ると、にやりと口の端を引き上げた。
「拷問だけで吐かせますってか。書面でカラークラウンを拘束できる時間は48時間。インカ、おまえが付き合ってくれりゃ嬉しいんだが」
「……俺も忙しい身だ。丸ごとあんたに付き合えるわけではないが──ご要望ならあんたが聴取官の顔に飽きた頃、顔を出してやる」
 インカが腰に着けられたホルダーから取り出した銀輪を、シュラの手首にガチャリと掛けた。
 重々しい光沢を放った無骨なそれは、一度青白く輝くと、完全にシュラのアルマを肉体へ固定する。
「カウナーツ・ジオット。書面交付までの3時間、プラスその後の48時間。武力局聴取課にて完全拘束させてもらう。その間のあんたの業務は非常時Bラインを適用される為、心配はいらない」
 首長が何らかの事情で急に不在になったおり発動される非常時Bライン。昨年、10.19事故の折、多数発令されたその指令形態がまさかこんな形で自分の所へやってこようとは、思ってもみなかった。
 自分の深い知り合いでその発令を食らったのはただ一人。
 前任務の折のイザ・ヴェルミリオ。──この男が諜報局局長を追われる事となったとき、一番最初に局へくだされたのがこの非常時Bラインの適用だった。
「ったく、平和に行きたいんだよ、俺は──」
 ぼやいたシュラは残された右腕をインカへ突き出し空間錠のもう片輪を受け入れると、天井を仰ぎ大きく一つ息を吐く。
 聴取課が変態のサディスト揃いなのは有名だが、中でも武力局の同課はフィジカルを痛めつけるのに特化していると聞く。
 答えることのない拷問はフルできっちり行われるに違いない。
 48時間後医療棟で無様に転がる自分を考えると暗澹たる気持ちになってくる。
 知り合いには見せられねぇ姿だよなぁ──と考え、医療棟の長、リモーネのあきれ顔が脳裏にありありと浮かんできて苦い顔で目を伏せた。