■ 5-45 ■




 巨大な特殊車両ガレージ内で、荷受け責任者のトミイ流通班主任はサイン済みの書類ボードを抱きしめ、青い顔で凍り付いていた。
 総務部所属の彼は、IICR本部内において切れた電球の数から調子の悪い便器のある箇所から始まり、全フロアに必要なコピー用紙の枚数に、有給病欠出張エトセトラ出勤していない人員のいる部署とそれに伴う準機構員のヘルプ配置の全体図まで──それら全て把握している、歩くIICR現状マップと称されている。だから当然「その情報」も知っていたし、また、「その情報」が発生後2時間にして極秘事項扱いとなったことも心得ていた。
 だから彼から「その情報」について問われたとき、当然「知らない」「そんな情報はない」の一点張りで切り抜けようと思ったのだ。
 だがトミイが首を横に振れば振るほど、彼は確証を得たように琥珀の狼瞳でトミイを見下ろしてきた。
 ほんの二分五十秒前の出来事だ。
 周囲からはトレーラーより戦利品の積荷を運び出すための威勢の良いかけ声が上がり、ガレージ内は一斉に活気づき始めているというのに、責任者であるはずのトミイはピクリとも動かぬまま、さきほど彼の背を見送った遙か向こうの本館通路への扉を見つめ続けている。
「主任、何してるんすかっ危ないですよ、そこ、クレーンの邪魔になりますって」
 背後から部下に肩を叩かれ、ようやくトミイは作業着に包まれた矮躯をギシギシと軋ませ振り返る。
 その表情に部下であるヤンはぎょっとしたように目を剥くと、
「具合悪いなら早くトイレ行ってくださいよ」
 とあまり暖かみを感じないコメントを寄こす。
「どうすればいい、私はどうすれば良かったと言うんだ」
「は? なんですか。わかるように言ってください」
 直属の上司からの的を射ない問いかけに、入構8年目の中堅部下は面倒そうに溜息をつきつつトミイの腕を引っ張ってガレージの端へ移動する。
 二人の移動が完了すると同時に再び辺りにかけ声が響き、作業は黙々と進んでいく。
「先日あったグランパリ襲撃事件のことを……その、ヴェルミリオに話してしまった」
「グランパリ?……ああ、準機構員訓練中、守護者のテロがあったあれですか。確かあれ、事件後2時間でヴァーテクス直々にレベルE箝口令が敷かれてましたよね。直接関わるヴァーテクスの人間と一部武力局のエージェント以外これ以上の情報共有をシャットダウンすることになってるはずじゃ? ヴェルミリオはセラ・テロ対策特別局のリーダーとはいえ現在は形ばかりだし、そもそもテロ特はこの件はずされてるじゃないですか。我々総務から漏れたなどと知れたら、うちの部署の信用問題ですよ」
「それがわかっとるから困ってるんじゃないか! 総務独自の丸秘草の根情報ネットワークの存在が明るみに出れば、今後我々の業務にも差し支えが出てくる」
「わかっててなんで言っちゃうかなぁ……」
 逆ギレにも近いトミイの言い草に、ヤンは深い溜息をつくと頭を抱えた。
 だがふと、希望を見いだしたかのように顔を上げる。
「いやでも、それをヴェルミリオが知ったところで、どうこうすることってないんじゃないですか? PROCは次の仕事も詰まってるし、今更めんどうな守護者テロ案件に首を突っ込むとも思えないですし」
「……そうかな。そうであればいいが」
「俺だったら仕事の詰まってる身でわざわざクソめんどうなテロ案件に手を出したりしないですけどね」
「だがその話はヴェルミリオから直接問われたんだ。ヴァーテクスが引き取ったテロの件はどういうことだと恐い顔で」
「…………」
「私が言いよどんでいると、総務の人間なら知っているはずだとものすごい圧を掛けてきて」
「え、なんで総務には公式の情報網なんてないから我々が情報知ってるなんて断定できるわけないのに」
「向こうが更に情報通なんだよ。ヴェルミリオだぞ」
「……うっ、そうか、元諜報局長なんて最悪のポジションだ。うちの人間バイトで使っていた側だ……」
「相手が悪すぎてな……私は居ても立ってもいられず、結局セラ名を漏らしてしまう羽目に……」
「…………」
「そしてその件を聞き終わるとすぐに彼は脇目もふらずここを出て行ってしまった。もう私はあの目にやられて声を掛けることもできず……」
「…………それはヴェルミリオ、関わる気満々じゃないすか? やばくないすか?」
 ヤンが腕を組みながらがっくりとうなだれると同時に、トミイも天を仰ぐ。
「だよなぁ、あああああ、どうする、次長にでも相談するか? というか、もともとヴァーテクスが引き取ったテロ事件があったなどという情報を、深層セラへ行っていた彼がなぜ得られたのか、そこんとこからして反則なんだよなぁ……」
「それだ!」
「へ?」
「トミイ主任以外にも情報を漏洩した人間がいたってことですよ!」
「お、おお、そうかそうだな」
「それが誰かは知らないですが、彼の責任にしちゃいましょう」
「なるほど! そうだな、それしかないな。しらを切り通すか」
 二人は顔を見合わせるとお互いうなずきあった。





「困ります! 現在インカは作戦遂行中でここにはいらっしゃいません! お帰りください!」
 ノックすらなく開けられた扉から大股で入り込んできた暴漢とも言える侵入者に、ウルツ・インカの秘書は女性という身も顧みず、まさに体当たりで追いすがる。
 だがしかしウルツであるはずの彼女の制止すらものともせず、侵入者は更に奥にある武力局局長執務室の扉を開けていた。
「何事か」
 しかして扉向こうのデスク前。作戦展開用のガラステーブルを前にして、二メートルを超える小山のような筋肉の塊が顔を上げる。
 大規模作戦中の厳しい表情の中に、こちらを認めた瞬間、眉根に微かな揺らぎが起きる。
「……ヴェルミリオか。何をしに来た」
「もうしわけございませんインカ。お止めしたのですが聞き入れられず──」
 頭を垂れる若い秘書に、インカは「構わん、下がれ」と声を掛け、作戦テーブルの前に座したまま無遠慮な侵入者を迎え入れる。
「グランパリの準機構員訓練襲撃事件についてだ。現在の状況を聞きたい」
 件の侵入者はこのぴりりとした空気をものともせず用件だけを完結に告げる。
 一呼吸の沈黙の後、武力局トップは厳しい表情を弛めることなく静かに立ち上がった。
「その件に関してはヴァーテクス預かりとなっていて、事件自体箝口令が敷かれ何も話せないことになっている」
「準機構員訓練生の中に成坂修司がいたはずだ。彼は無事なのか、どこに保護されている」
 インカの言葉にまるで反応を示さず、己の用向きだけを捲し立てる様は、かつて氷そのものだと評された冷徹な諜報局局長とは別人のようだ。
 そしてやはりその件かと、インカは一人言葉を詰まらせ目を閉じる。
 完全に隔離状態にあったはずのこの男がどこでこの情報を手に入れたのか──。事件が起きて二時間後に発せられた箝口令であったため、若干命令に時差が生じてしまったのが原因の一つではあるだろうが、それにしても耳が早すぎる。
 成坂亮に関わることとなるとこの男の凍てついた感情は途端にドロドロとした溶岩のように燃えさかるらしいことは、昨年のセブンス崩壊事件の折、嫌と言うほど目の当たりにしている。今回の件はそんな彼が知ればただでは済まないに違いない。
 これを恐れておそらくヴァーテクスはグランパリ襲撃を秘密裏に処理したがったのだろうことは、指示を受けたインカにも想像に難くなかった。

 何しろその成坂亮の兄である成坂修司がIICRの手配した準機構員訓練中に「拐かされた」のだから。

 その事実を知ったこの男がどう動くのか確定事項としてわかってしまう。
 間違いなく彼は成坂修司の救出に向かうだろう。
 現在武力局はヴァーテクスと足並みを揃え、環流の守護者のアジトをリアル・セラ同時に総摘発する最大の作戦を実行中である。
 長い時間を掛け総力を挙げて下ごしらえをしてきた作戦の総決算であり、絶対に失敗の許されない決戦なのだ。
 そんな中、準機構員訓練生の居たグランパリというセラが襲われた。
 タイミング的には最悪で、このコモンズ数名が死亡しただけの小さなテロ一つのせいで、ヴェルミリオという不穏に過ぎる分子を介入させる事態となってしまった。
 確かに彼の戦闘力は魅力であり大きな戦力になることは自明の理だが、彼の暴走はそれを押して余りある弊害を生む。緻密に計算された作戦には大きすぎる力なのだ。
 これ以上彼をこの件に関わらせるのはヴァーテクスのみならず、武力局としても絶対に避けたい。
 その為には成坂修司が生きているという事実を伏せる必要がある。
「現在大規模作戦中であるため、少人数のセラ・テロ対策特別局は実質武力局の傘下の一チームとして動いているに過ぎない。あんたは確かにテロ特のトップに名を連ねているが──作戦に関わる情報を知る立場にはない。だが、他ならぬトオル ナリサカの兄の安否に関することだ。その一点だけには答えよう」
 ヴァーテクスが成坂修司の状況を「誘拐」ではなく「死亡」と発表させているのは、間違いなくヴェルミリオを作戦から排除させる目的だとインカは理解している。
 だから当然この後に続く言葉も──

「シュウジ ナリサカは死亡した。残念ながらな」

 イザ・ヴェルミリオという男が息をのむ様を、インカは初めて正眼した。
 不遜と冷厳ばかりが際だつこの男もこのような顔をするのかと、続く言葉を飲み込む。
 やはりヴェルミリオという男も人間なのだと、当たり前であるはずのことに今更ながら気づかされる。
「トオルの兄を守れなかったというなら、それはあんたの責任ではない。あんたは任務遂行中でどうにもならない状況だったんだ」
 思わず慰めにも似た言葉が口を突いていた。
 誰かを強く想うという行為は、インカ自身痛みを分かち合うほどに理解できる。
「……遺体を確認したい」
 静かに──押し殺したような声で、シドが言った。
 その表情は先ほど一瞬動いたきり、再び冷えたいつもの無表情に戻っている。
 だが彼の琥珀の眼だけは切れるほどにぎらついていることに気がつき、インカは背中にぞくりと粟が立つのを感じた。
 これからの己の一言一句が今後の局を左右する──そんな確信に全身から嫌な汗がにじみ出す。
「既に荼毘に付されている。あまりに酷い状態だったそうでな」
「家族に確認もさせず火葬したというのか」
「入獄ポッドが一台彼の血潮と脳梁で飛んだという話だ。とても身内に見せられるものではない」
 インカの言葉にシドは黙り込み、何かを思うように一度目を伏せた。
 まだ何か探りを入れられるかと身構えつつ、インカは続ける。
「遺骨を受け取りたいのなら、シャルルの所へ行ってくれ。現在は彼が預かっている」
「…………いや、いい。邪魔をした。作戦の成功を願っている」
 だがイザ・ヴェルミリオはそれ以上何も言わず、踵を返していた。
 その背に思わずインカは問いかける。
「いいとは? 一体あんた、どうするつもりだ!?」
「職務に戻る。三日後には再び潜ることになっている。準備の時間は短い。それに──骨を見たところでもうどうにもならない」
 若干肩すかしを食らった感はあるが、これこそが常態のイザ・ヴェルミリオだ。合理的に物事を考え、感情では動かない。
 インカの問いに答えた背は、そのまま振り返ることもせず扉を出て行った。
 トオル本人に対しての執着とその兄に対するものとは一線を画しているのだろうと納得し、インカは改めてあの男の人間味のなさに眉根を寄せたのだった。




 本部の廊下を抜け、数ヶ月ぶりにイザの執務室へ向かう。
 大規模作戦が展開されているせいか、本部内部にいる人間の数が心持ち少ない上、すれ違う者たちは皆、足早に目的地に向かい誰一人シドに注視する者は居ない。
 シドは私用の携帯電話を取り出すと、あるナンバーを選択し、コールを掛けていた。
 その間も彼の長い下肢は躊躇なく先を急ぐ。
 三回呼び出し音が鳴り、その後目当ての人物が電話口に出た。
 緊張感のないしゃべり方と甲高い声はいつもと変わらないが、周囲から聞こえる雑音は明らかに物々しい雰囲気を醸し出しているようだ。
「キース。今どこだ。すぐにイザ部屋へ戻れ」
『キング!? 無理言うなって作戦中だぞおい! こっちは銃撃戦のまっただ中だってのに』
「ならば今使っているおまえの情報源を寄こせ」
『俺もあんたと一緒でもう諜報局の人間じゃないんすけどね」
「おまえのは仕事でなくて性癖だと知っている。長い付き合いだ」
『性癖ってちょっと。……んで、何系が望みなんです?』
「今回の大規模作戦の絵図だ。特に摘発対象のセラ座標を全て入手したい」
『……無茶言ってくれるねぇ、ホント。っ、うわっち、いって、くそこら……、30分くれ、キング』
 その言葉を最後に通信は切れ、そしてその後折り返しの連絡が入ることもない。
 だがシドが執務室につき25分経過した頃──、頼んでもいないケータリングのピザが総務の外勤・配達担当の手により運び込まれる。
 コモンズである彼女は五十路半ばだろうか、外勤用の地味なグレーの制服を着て、にこやかにテーブルへピザのボックスを置いた。
「ご注文の品はこれであってますかね、イザ・ヴェルミリオ」
 少々かさついた手で蓋を開ければ、湯気を立てた焼きたてのマルゲリータが顔を出す。
「トッピングはどうした」
「ちゃんとご注文通り、こちらにルッコラとハラペーニョが大量に届いてますよ。気に入った分だけ好きに使ってください」
 総務外勤の彼女は小さな紙製ボックスをシドに手渡し、
「ピザ代はキースにつけておきますね」
 とにこやかに退室していく。
 シドは小箱を開け中から新鮮なルッコラを一枚つまみ上げると、その奥から現れたメモリーチップを確認する。
 ヴァーテクスが隠そうとしているものが何なのか、シドには漠然とならば見当がついていた。
 コモンズ数名の死傷で終わった小さなテロ事件の出遅れた隠蔽。
 遺体のない死亡宣告。
 修司が本当に死んでいたのなら、グランパリ事件を隠蔽することもなかっただろうし、どんな酷い状態でもシドに対しては遺体を確認させているに違いない。
 ヴァーテクスはなぜかここ数ヶ月、シドがテロ事件に首を突っ込むことを嫌がる節があった。だからこそのPROCへの配置換えもあったはずだ。
 つまり彼らはシドを環流の守護者から隔離する目的で、修司の失踪を「死亡である」とすり替え、これ以上関わり合うことを避けようとしたとしか思えない。
 しかもご丁寧なことに、修司の遺骨──とされている何者かの骨をわざわざシャルルに託してまでいる。
 何も知らされていないシャルルは恐らく今酷く落ち込んでいるに違いない。
 あのインカがそんな真似までするのは、それだけヴァーテクスからの要求が強かったことに間違いないだろう。
「何をそんなに恐れているのか──」
 シドは久方ぶりの己のデスクに着くと端末を立ち上げ、指先に乗せたメモリーチップをアダプターへと挿入していた。