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「イェソドチーム、第8セラ小隊、第17セラ小隊、アミル遊撃班、作戦完了の報告あり! マルクトチーム、ノヴォシビルスク隊、ウィニペグ隊、ハイデラバード小班、攻略終了で現地軍と協力の上、構成員の逮捕収監を進めています」
 No.2ドレスの軍服を身に纏った若い仕官が、手にしたタブレットを確認しつつ声高に叫ぶ。
 ウルツ・インカは作戦の統合本部が置かれたマルクト第一広域司令室内に於いて、中央に置かれたテーブルへ両腕を付き、じっと盤面を見つめたまま黙してそれを聞いていた。
 彼の目に映るのはテーブルに仕込まれた巨大なモニターであり、五分割された画面には、馴染みのある世界地図を始めいくつかのエリアに分けられたセラマップも表示されている。画面左端には目まぐるしく変化するオペレーションタイムラインが常に流れており、一度にこれだけ取り込むのは不可能なほどの情報量が巡っていた。
「現在、煉獄作戦遂行率92%、リアル作戦遂行率88%に上がりました」
 新規にインカの秘書役に抜擢された若い仕官の声は意気揚々と上がり、次々と新たな戦果を武力局の長へ伝えていく。
 彼の報告通り、リアルタイムで20時間前に開始された『環流の守護者二世界間同時殲滅作戦』は、数ポイントの誤差も出さず、参謀本部の筋書きそのままに目覚ましい成果を上げつつあった。指令室内に詰める5名からなる統合本部幕僚たちからも、歓喜の声が漏れる。
 しかしその報告を聞くインカの表情は険しいままだ。

「──テーヴェの所在はまだわからんのか」

 ずっしりと重い質量を誇る分厚い体躯の彼が低音でそう問えば、指令室内にはビリビリと緊迫が走る。
「それにつきましては、作戦通り可能性の高いアジトを中心にまとまった単位で、迅速且つ秘密裏に急襲を成功させています。ご心配なさらずとも程なく報告が入ることと思います」
 参謀である壮年の仕官が答えるが、インカの顔は晴れない。
 軍人としての彼の勘が、この大勝利への道に違和を唱えていた。
 確かに現在の状況は理想的なものだ。リアルタイムで48時間以内に、世界中に散らばった環流の守護者アジトを軒並み壊滅させるという無謀とも言える作戦は、機構設立当初より犬猿の仲と言われてきた『武力局・警察局』合同による異例の一大タクティクスであり、それが開始20時間という超スピードで90%完遂という事実は勝利を確信しても良いと思わせるに十分の戦果である。
 しかし、未だに守護者の頭であるテーヴェという存在を捕まえることのみはできないでいる。もちろん、作戦構築段階より、居所に揺らぎの多いテーヴェの捕獲には時間が掛かるだろうという懸念はあったし、作戦終盤まで彼女を捕らえられないだろうということも織り込み済みだった。
 だが作戦が順調以上の快挙を叩き出しているが故に、唯一、懸念通りのその部分が小さな染みのごとく彼の心中に影を落としていた。
「イェソドの司令室より入電。メインモニターに表示します」
 オペレーターの宣言と共にテーブルの一部へウィンドウが開き、ティヴァーツ・ヒースの写真と共に文字が流れ始める。リアル・セラ間の通信であるためどちらの世界のモニターへも動画でなく、静止画と各々の声を模した合成音源のみでやり取りすることとなる。

『マルクトの見通しはどうか。イェソドは主要なアジトは概ね潰したが女狐の尻尾の影すら見あたらん』

 武力局トップであるインカが現実世界の司令室で指揮を執っているのに対し、警察局トップであるティヴァーツ・ヒースはイェソド──煉獄のIICRセラ本部で指揮に当たっている。リアルであるこの統合本部はセラ本部の上位に当たり、その椅子へインカが座ることを許したのはヒースが徹底した現場主義者であるからだ。
 そんなIICRきっての武闘派であるヒースからの入電は、暗にリアルで指揮を執るインカの手腕に対する批判が滲んでいる。

「こちらも同じくだ。だが、必ず見つけ出す。マルクトでの作戦ではまだ中規模以上のアジトが2都市分残っているからな」
『女狐は尻尾を切り落としたのではないか?』

 ヒースの説明を省いた暗喩にインカは唇を噛み締めた。
 自分も全く同じ事を考えていたからだ。
 だからこそ、これほどスムーズに作戦が進行し、そしてテーヴェ本人は見つからない。

「最悪、あの女がそのつもりだったとしても、だ。それでも尻尾が落ちきる前にその首根っこを捕まえてやる」

 環流の守護者と名を冠したテロリスト集団。彼らはいつもコモンズ、ソムニア関係なしに、無差別に大量の人間を殺してきた。
 彼らが口にするのは『魂の渠を無垢のアルマで洗い流す』という、宗教的なお題目だ。テロ行為というものには概して宗教観が絡みやすいところがあり、狂信的な人間達が集うことでさらなる暴力の高みへ向かう傾向がある。この言を聞くに、彼ら環流の守護者もそんなテロリストの典型をなぞった体を為しているが、問題は彼らを指導しまとめ上げている人間が『テーヴェ』であるという点だ。
 彼女はIICR研究局の長であった人間であり、宗教者からもっとも遠い位置にいる学究の徒だ。
 彼女ならば現在の転生障害の原因が何であり、彼らの行う無差別殺人などではそれが解消されないことも熟知しているはずである。
 だが敢えてそれをさせているということは、彼らの口にする大義名分は彼女がテロ組織に与えた偽りの理由にしか過ぎず、テーヴェ本人は全く別の目的でそれを手足となる組織に行わせているということになる。
 テーヴェの真の目的が何なのか、武官であるインカやヒースには見当も付かないが、筋道立てて考えれば『環流の守護者』という組織はテーヴェにとって己の研究を完遂させるための道具に過ぎないだろうという推測くらいは成り立つ。
 となれば、今回の作戦の異常なまでの成功ぶりには胡散臭さが鼻を突いてしょうがない。
 彼女がなんらかの目的をすでに達成していた場合、蝶が不必要になったさなぎの殻を脱ぎ捨てるように、守護者という組織を捨てたという懸念を拭い去ることができない。

「テーヴェ捕縛だけに目を奪われるワケにはいかない。成坂修司の奪還の件もある。テーヴェが異様に固執していた人間だ。彼がキーマンの一人であるということは確実だ」

 今回の大規模作戦は以前より計画されてはいたが、計画実行の土壇場に来てもう一つ、重要な使命が加わることになった。それが『成坂修司』という青年の奪還である。
 環流の守護者が最後に行ったテロ行為──、それがグランパリ事件。今から二週間ほど前の出来事になる。
 準機構員訓練中を狙われ多数の死者を出したと同時に、セラに潜っていた修司をIICR本部にあった肉体ごと拐かされた前代未聞の事件だ。セラ側から肉体を引き上げ別の場所へ移送するなど、最新の技術を用いても容易に出来ることではないことを武官である彼らすらよく理解している。
 それをソムニアでもない一コモンズである青年に行った後、環流の守護者は二日と明けず頻繁に行っていたテロ行為をぴたりと止めた。

『トオル ナリサカの兄──という触れ込みのコモンズのことか。彼がどれほど価値のあるものなのか、私には理解できないからこそ、ことの異常性はわかるな。ヴァーテクスからの要請もある。こちらもテーヴェ捕獲に次ぐ重要ミッションとしてシュウジの身柄確保を押し進めている』

 そう語るヒースの言葉に熱量はない。それが合成音声に起因するものだけとはインカには思えない。
 超武闘派として名を馳せる彼を突き動かすのは、力を持ったソムニア犯罪者とやりあうというただ一点のみであり、コモンズの青年奪還など本来なら歯牙にも掛けないケースなのだろう。

「セラから直接肉体を引き上げた状況で、かなりの動力をあちらも消費しているはずだ。研究局の意見としては、それを再びリアルへ顕現させるには時間もエネルギーも掛かりすぎることから、そのままどこかのセラへ監禁されているのではないかとのことだ」
『そんな大がかりな真似をして連れ出したコモンズだ。殺されているはずもない、か。残されたこちら側のアジトのどこかに彼が居る、と──インカは考えるのだな』
「修司の居る場所にテーヴェが同じく滞在している可能性もあると、俺は考えている」
『ふん──。どちらもうちが担当ということか。煉獄で前線を指揮したがった私の責任ということだな。かまわん。貴様はそこで蝉の抜け殻をコレクションしながら、テーブルに映る自分の顔でも眺めていろ』

 通信が切れ、テーブル上に映し出されたヒースのウィンドウが閉じると沈黙が辺りを支配した。不自然な沈黙に耐えきれないように幕僚の一人が咳払いをし、秘書にコーヒーを注文する。
 温かな湯気を吐くそれがテーブルへ並ぶ頃になっても、インカは先ほどと変わらぬ体勢のまま険しい顔で一点を見据えていた。
 この作戦に、彼の武官としての今後が委ねられていると言っても過言ではなかった。









 早朝4時過ぎ。夢すら見ない深い眠りをたたき起こされた。
 そして相手の要望を聞くやいなや彼は、いくら何でも無茶苦茶だと怒鳴ってはみせたのだ。
 だが現在、彼は埃を被ったヘッドセットを引っ張り出し、しょぼつく目蓋を擦りながら、ひたすらキーボードをたたき続けている。

「ああああ、だから違うって。いや、くそ、こっちじゃないのか?」
「なるほどわかった。そういう観点か。なら──そこはハズレだ。次に行くぞ」
「おまえの情報とこっちの数字を並べてみた結果だ。いいから上がれ。そしたら即候補7へ入れ込む」

 真っ暗な室内にモニターの灯りだけを灯し、独り言を大音量で繰り出す男は、叫んだり嘆いたり宥め賺したり、とにかく忙しい。
 遠隔からの入獄ナビゲート自体は難しい技術ではないが、それは安全とされる一般セラへ潜る場合に限られており、戦闘行為が予想される──ましてや敵地とも言えるセラへ侵入を果たす場合には当たらない。秒を争う判断が必要なセラへは、入獄を果たすソムニアと介助者は同空間にいるのが必須とされている。
 31倍というセラ・リアル間の時間差というのはそれほどに看過できないものであり、ソムニアの肉体へ何らかの変化が見られた場合、影響が小さなうちに、迅速な引き上げと治療が必要であることが上記の条件を絶対とする理由だ。
 それをこの男は、東京─英国間で行えと言ってきた。
 しかも東京とロンドンの時差が9時間あることすら、相手はお構いなしだった。

「よし、候補7・ルールィード入獄確認。体調はどうだ? 生体データが取れない状況だ。身体の方は自分でなんとかしてくれよ」
『問題ない。ナビを開始しろ』

 ヘッドセットから聞こえる音声は、よく知る声を模して創られた合成音声だ。

「そう焦るな、シド。おまえの身体、IICRの入獄システムで寝てるわけじゃないんだろ? 自宅マンションの簡易システム利用して、連続12セラぶっ通しで出入りしてるんだ。急に心臓止まっても誰も救命してくれないぞ!?」
『問題ないと言っている。それより情報を寄こせ。今度こそ当たりだろうな』
「相変わらずマイペースが過ぎる」

 慣れ親しんだ溜息が口を突く。
 この2ヶ月半、凍り付いたように時を止めていた日常が唐突に息を吹き返し、渋谷秋人の寝ぼけた頭をガンガンと殴りつけていた。
 かつての相方──あの暴君から深夜の電話でたたき起こされ、この状況に陥って二時間二十二分が経過している。
 聞けばIICRのテロ掃討作戦本部から加勢要請があったため力を貸せと言うことだった。しかも遠隔ナビで、肉体は自宅ベッドで監視なしときたものだ。
 何を馬鹿なと怒鳴り飛ばした秋人だったが、ある人物の名を耳にして、彼に手を貸すことを即決した。

「修司さんがリアルでなくセラに居るっておまえの考えは正解だと思う。シドが送ってきたリストが全てとは言い切れないけど──肉体の再顕現化には大型の原発一機くらい持ってないとエネルギー量的に間に合わないはずだ。それに時間が有効に利用できるセラを活用するのはソムニア研究者ならではの癖ともいえる」
『だからといってここはないのではないか? ルールィードはリストの中でも小型のセラだ。しかも衰退期にあるため90年代以降人口が激減していて、住人はほぼ特定されている。そこを根城にするなど新興の組織には不利としか言えないだろう』
「普通ならね。ただ、このセラは衰退期であるが故にちょっと変わった特色がある」
『変わった特色?』
「外郭の一部が溶け出してるんだ。もうすぐここは煉獄の──イェソドの海に溶けてなくなる。おそらくこの先数年のうちに、ね」
『……何が言いたい』
「他の世界へ道を付けるに当たって、問題が一つクリアになってるってこと。現実世界──マルクトへも、その他の世界へも、もし移動する手段があるというならその壁は薄いに越したことはない。もちろん外郭の融解が始まっているようなセラは不安定であるためにこういった実験には不向きではあるけど、ルールィードは元々破天荒なカラーのセラだから、地盤が固く揺らぎが少ないんだ」
 技術者然として語り始めた秋人の言葉の流れは止まることを知らない。
 元来煉獄と現実をつなげる研究に没頭してきた男だ、こうなると相手が理解しようがしまいがお構いなしで私説をぶちあげることに歯止めが利かなくなる。
 シドは溜息混じりにその九割をスルーすると、
『アルマ濃度から言ってエントランスからどう進むのが最短だ』
 と、まことに実務的な台詞で遮っていた。

「そうだね、まずはそこから西に河を探して。ルールィードには一つの州と三本の河があって、それが海上にぽっかり浮かんでいるといった構造のはずだ。その河のうちの一本に、多分大きな橋が架かってると思う。データではブルックリン橋となってるけど、本当にニューヨークにあるブルックリン橋と同じ構造かどうかはわからない。だけどそこにほころびの兆候が現れてるのはこちらのマシンに表示されている」
『西の河と橋──。わかった、向かう』
「わかったって言うけど、ほころびがあるってことは不安定だし、敵対生物も湧いてる可能性が大きいからね。相手が環流の守護者だけだと思うなよ」

 秋人の忠告に対し返事はない。
 答える意味すらない当たり前のことだとでも言いたいのだろう。
 たかだか二ヶ月。されど二ヶ月──。
 もうこの先ヘッドセットの向こう側と喧嘩腰にやりあうこともないのだろうと黄昏れていたS&Cソムニアサービス元社長は、久しぶりに感じる己の血のたぎりに、一つ大きく息を吸い込むと、

「それから、──IICRの恐いお仲間達の目からも隠れていけよ? もうすでに何人か入り込んでるようだ」

 シドが伝えてこなかった情報を交えてそうアドバイスを送る。
 これが任務だと彼は行ったが、もしそうだというなら自宅から入獄などするはずもないし、秋人へ連絡が来ると言うことは本部を頼ることの出来ない状況にシドは置かれているということだ。
 いざというとき秋人へIICRからの処罰がくだらないようにするため、記録の残る通信においてシドは態とその情報を抜いて語ったのだろう。
 秋人の言葉に相棒はしばらくの沈黙の後、

『了解だ、社長』

 と、至極真面目な調子で言い放った。