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 ―― 羊歴0年。九月十八日。――

 ──つまり、ここに来て十八日目くらいのこと。
 この『羊歴』っていうのはオレが三日くらい前に考えたこのセラのこよみのことで、ループザシープだから羊歴。来たのが夏が終わったくらいだったから、初めてここにオレたちが来た日を適当に九月一日に設定してみた。最初の年は悩んだんだけど、やっぱりゼロ年かな。一月一日を超えたところで一年目ってことにしようと思う。
 なんでこんなことを考えたかっていうと、何日かここで過ごしてみて時間の感覚がよくわからなくなってきたからってこともあるんだけど、──もっと大きな理由は、ガラにもなく日記を書いてみようかなと思ったからなんだ。日記に日付は必需品だろ?
 ここでどんなことがあって、オレがどんな風に過ごしてたのか、なんとなく残しておきたくなったのかもしれない。
 日記なんて面倒くさいし小学校の宿題では八月最後の日に「どうしてオレの日記は七月二六日までしか書かれていないんだ」とだいたい毎年叫んだものだったから、続くかどうかはわかんない。むしろ三日目くらいで終わる可能性の方が大きい。
 けどまぁとにかく、今日あったことを書いてみようと思う。
 いつか修にぃをここへ呼ぶことができたら、どんなことがあったのか溜まった日記を読ませてあげられるかもしれないしな。


 ……とは思ったけど、ノートを前にすると漢字を思い出すのが大変だと言うことに気がついた。
 ヒツジュヒンのジュってどんな字だっけ。
 一応三分くらい考えてみたけど浮かんでくる様子がなかったんで、日記を書くのは断念することになった。
 オレの決断の早さは長所だと、前、壬沙子さんが言ってくれたことを思い出す。
 代わりに、携帯のボイスレコーダーアプリへ音声で吹き込むことにしようと思う。
 これなら漢字とか関係ないしな。我ながら冴えてる!
 亮くんは頭いいねって褒めてくれた秋人さんの顔を思い出した。
 このスマホはシドとローチにしか繋がってないけど、ラインみたいに文字で話も出来るし、パズルゲームが入ってたり音楽が聴けたり時計が入ってたりして東京でオレが使ってたのと同じ感じで使えるすごいやつだ。防水だし。
 でもカレンダー機能とSNSが使えないのは仕方ないのかな。

 えーと、そんな話は良くて、とにかく今日は羊歴0年の九月十八日。
 昨日シドがとんでもないことをオレに言って、オレはテンパってそれから夜までずっと隠れて過ごした。
 途中馬小屋でローチと何か話したんだけど寝ちゃったみたいでよく覚えてない。
 でもアブヤドが心配そうに鳴く声で目が覚めて、そしたらいつのまにかオレはシドに抱えられて屋敷の階段を上っているところだった。
 なんか気まずいからそのまま寝たふりしてたら、シドのヤツオレが起きてるのわかってるくせに気づかない振りしてそのままベッドに転がされて抱えられたまま寝ることになってしまった。オレ、めちゃくちゃ腹減ってたのに。お風呂もご飯もなしで寝られるか!って思ったけど、いつの間にか寝てた。

 朝起きたらローチがツヤツヤ半熟目玉焼きと四角いソーセージと焼いたトマトと豆と、あと、こんがり焼けたトーストにバターとマーマレードを塗った朝食を出してくれて、昨日シドと気まずかったことも忘れてその良い匂いの源にかぶりついてた。
 朝からこんなに重いもの食えるかってシドは文句を言ってたけど、オレとしてはとってもありがたかったかな。
 で、食後のフルーツヨーグルトを食べてたら、シドが馬の鞍の付け方教えてくれるって言ったから、オレはやるやるって何度もうなずいた。オレも一人で馬に乗れるようになりたい。
 シドはローチとケンカしたみたいで雰囲気最悪だったけどローチは全然気にしてないみたいで、いつも通りへらっと笑って「いってらっしゃい」って言ってくれた。
 なんか残って本でも読んでるって言ってたっけ。この屋敷にある本、見たことない字で読めないヤツばっかなのに、二人ともあんなの見て内容わかるのかな???
 色んな本を読んで人生経験豊富なローチにもっとちゃんと相談できればよかった……。
 ……そうなんだよ。昨日ローチとシドのこと話したはずなんだけど、どんな内容だったか思い出せないんだ。シドがオレにあ……あんなこと言ったのを知られちゃってるってのは、なんとなく覚えてる。んだけど……なんであそこでオレ寝ちゃうかなぁ。はぁ。
 前よりオレ、寝る時間が長い気がする。絶対それって心労のせいだと思う。ルキに昨日のこと相談したい。

 けどでも、今日はシドは昨日のことなんかなかったみたいに普通だったから、まぁ、なんとかやり過ごすことが出来た。
 気を抜くと、オレのすぐ後ろで手綱を握ってるシドの体温が背中にひんやりするのがわかって、変にソワソワしちゃったりしたけど、そこはシドには気づかれてないはずだ。
 でもちゃんとシドの顔見れなかったなぁ。
 あーあ、なんかオレすげぇかっこ悪い。
 晩ご飯はオレ担当だったからオレの好きな、白いシチューにチーズをたっぷり溶かしたやつを作ってみた。
 オレはつらいことがあったときとか、しんどいことがあったときはいつもシチューを作って修にぃと食べてた。シチュー食べると元気出るのなんでだろ。やっぱ美味しいからだな。
 シドは何の感想も言わないで食べてたけどローチには好評だった。料理上手なローチに褒められるとちょっと照れる。
 うーん。もっと色々あった気がするんだけど……、いっぱいアブヤドと走ったから今日はちょっと疲れちゃったな。
 シドが本読んでるうちに、ささっとお風呂入って寝ちゃおうと思う。

 ……日記ってこんな感じでいいのかな。
 よくわかんねぇけど、明日もまたここへシドとローチといられるんだよな?
 明日も今日と同じならいいな。
 お休みなさい。







 羊歴0年。十月三日。

 今はもう夕方の四時半。もうすぐ晩ご飯の支度をローチが始める頃だ。
 日が暮れるのも最近は早くなってきて、風も乾いて冷たい。
 外はもう空が赤くて窓から見える海の上は紫色に変わってきてた。
 秋なんだなって思う。
 秋は好きじゃない。だってもうすぐ冬がくるから。
 今日の天気は――どうだったのかな。良かったのか悪かったのかわかんない。どうしてかっていうと、一日寝ててさっき起きたところだから。
 シドのバカ野郎のせいで、一日なかったことになっちゃったじゃんか。
 一日何もなかったけど、ボイス日記だけはちゃんと付けようと思う。

 えーっと……。
 夕べはローチの部屋で賭けポーカーを教えてもらって、いっぱい勝負していっぱい勝ったんだけど、最後の最後でちょっとだけ負けてしまった。
 そんで罰ゲームで一晩、冷え性のローチの湯たんぽ役にオレがならなきゃ駄目になったんだけど、オレが賭け事したのがシドにバレてムチャクソ怒られた。
 部屋に連れて帰られてシコタマ馬鹿だ間抜けだ考えなしだと言われてオレも食ってかかって、そしたらローチが仲直りにってホットワインを持ってきてくれた。
 いつもシドはローチが出してくれた食べ物や飲み物をしばらく眺めて考えるみたいにして、それから口にするんだけど、昨日に限っては最初からものすごい嫌な顔をして考える間もなくそれを飲み込んでいた。
 飲んだっていうより、ほんと、薬でも飲むみたいに飲み込んでた。あれじゃせっかく美味しいホットワインもわかんねぇよな。もったいない。
 ローチのホットワインはアルコールが飛ばしてあるから、未成年のオレが飲んでも大丈夫なヤツで酔っ払うこともないのにさ。
 オレはおいしく甘いワインを飲んで、そんでベッドに潜って二人にお休みを言って寝た。
 寝たはずだったんだけど……。
 多分、寝てない。
 真っ暗な部屋にランプの明かりがいっぱい灯ってオレンジ色の世界になってた。
 オレはそこで多分、怒ってたシドといっぱいえっと、まぁいわゆるそういうことをしてた……気がする。
 シドがとにかく意地悪で、オレはシドの方へ行きたいのに、全然シドはこっちに来てくれなくて、オレは一人でどんどん気持ち良くなって、でも全部中途半端で、切なくてつらくて頭がおかしくなってたと思う。
 シドが睨むみたいにこっちを見てて、猛獣みたいにフーフー息してるのがわかった。
 そんで、行っていいよって誰かが許してくれて、そんでやっとシドの所へ行ったらシドはオレに噛み付いた。
 今だって首の所痛い。
 オレがゲボじゃなかったらまだ血が出てたと思う。
 怒ってるからってあんなにすることないじゃないか。
 あんなに食べられちゃうみたいにされてちょっと恐いくらいだったけど、オレはなぜかどきどきしっぱなしで、気持ち良すぎて、ずっとずっとシドの名前を呼んでたと思う。
 シドも俺の名前いっぱい呼んでた。いつもあんまり名前呼ばないくせにさ。そんで息を食べ合うみたいにき……キスした。シドの息は冷たいのに熱くてそんでたばこの味する。
 キスして噛み付いてオレの奥をいっぱいにするシドは思い出すだけでお腹の奥が熱くなってモゾモゾしちゃいそうになるくらい、なんかエロかっこよかった。
 あんなシド、見たことなかった。顔が良いのはこういうとき狡いと思うな。
 でもオレが覚えてるのは飛び飛びのそんな映像と、音、熱、感覚、だけ。
 なにがどうなってそうなったのか──成り行きとか、ストーリーみたいなものは全然わからない。
 とにかく気持ち良すぎて死ぬかと思った。いや死んだ。うん。
 で、気づいたら夕方で、シドと一緒に風呂に入ってて、風呂から上がったらローチがメインベッドルームのカーペットを夜なのに外に乾しに行ってた。
 もしかしたらオレたちが夜中部屋中を汚しちゃってたのかもしれないな。
 ローチ、オレたちのやってたこと気づいてないと良いけど。気づかれてたら恥ずかしすぎて顔見られないよ。

 なんかさ。ここに来てから、シドはエロいことするのに容赦がない。
 東京に居た頃からは考えられないくらい、オレには思いも付かないすごいこと、してくる。
 しかもひどいと一日中する。
 いくらループザシープが永遠にのんびりできる場所で、明日学校も仕事もないからって、あんなのずっとされたらきっとオレは体力的にダウンするだけじゃなくて……とんでもないエロモンスターとして成長しちゃうんじゃないのか?
  あと、ローチにだって声が聞こえちゃうかもだし、もっと社会性とかソーシャル何とかとかを大人なんだから考えるべきだと今度言ってやろうと思う。
 ……うーん、ボイス日記、いつか修にぃに聞かせようと思ってたけど、今日のヤツはカットだこれ。
 オレは不良になってしまった。修にぃごめん。








 羊歴一年。三月十七日。

 今日はオレの誕生日で、ホントなら十七歳になった日だった。
 ホントなら高校三年生で受験勉強もしなきゃいけなくて、なんだけど、オレ一年留年してるから二年生ってことになるよな。
 二年生ってことは修学旅行があって、俊紀は去年沖縄に行ったって言ってたから今年はオレと久我で北海道か沖縄か選んで行けるはずだったんだけど、結局学校も変わっちゃったし久我と一緒に修学旅行もなかったよなぁ。
 ゲボになってから、本当ならやれるはずだったこと、やりたかったこと、色々オシャカになっちゃった。
 ……今となってはそれがゲボになったせいだけじゃないってわかるけど、どっちにしろついてない。つまんねぇ。
 ここじゃ時間が戻るから、今日は十七歳の誕生日なのに、多分オレはまた十六歳になったってことなんだよな? 深く考えると頭が混乱してよくわかんなくなるから、考察はこのくらいにしとく。
 とにかく、オレは十七歳で十六歳になった。
 
 今日はローチがケーキを焼いてくれた。
 古本屋さんのケーキはゼッピンだった! 外は生クリームたっぷりでイチゴがいっぱい乗ってて、切ると中から桃とかベリーとかマスカットとか、色んな丸くなったフルーツが宝石みたいに零れてくるすごいヤツだった。キラキラしたゼリーに包まれてたフルーツが綺麗でスポンジはふわふわなのに、少しだけ洋酒の効いたシロップがたっぷり染み込ませてあって、意外と大人な味だった。
 シドは少しだけ食べて、残りはオレとローチで食べ尽くした。
 それから、シドと馬で島の反対側まで探検に行った。
 オレはずっと島を探検したいって言ってたんだけど、シドは許してくれなくて、今日は誕生日だからシドと一緒ならいいってことで初めて反対側まで行けた。
 オレはアブヤド、シドはアスワドに乗せてもらって大体三時間くらいかかったかな。けっこう遠かった。
 途中の道は舗装されてるアスファルトのところもあったけど、土剥き出しの道や、道もない森とかもあって楽しかった! オレの乗馬の技術が試される道だったと思う。
 ここに来て、馬の乗り方教わって、鞍も自分でつけられるようになって、少しずつ練習してきた成果だな。
 途中村とか町とか通り過ぎたけど、どこにも人は居なくて黒い影だけ動いてた。少しは馴れてきたけどやっぱちょっと気味が悪いし、あと、寂しい。
 だから、オレの好きな歌を歌いながらパカパカ走った。アブヤドはオレが歌うと楽しそうにする。時々は合いの手みたいに鳴いたり鼻を鳴らしたりしてくれる。
 こいつらは馬じゃなくてライドゥホの能力で創られた疑似生命体だってシドは言ってたけど、そんなのどうでもいいくらいオレは馬たちが大好きだ。
 アブヤドもアスワドも頭いい。もしかしたら、オレよりも賢い気がする。
 ここにこいつらが居てくれて良かった。

 島の反対側は崖になってて、海には降りられそうになかった。
 水平線は煙っててぼんやりしてて、その向こうは雲と空が混ざったみたいな水色の春の空が広がっていた。
 島は少しずつ大きくなってるらしい。時は巻き戻るのに島は広くなるのよくわかんねぇけど、来年はもっと遠くまで探検できるなら嬉しい。
 波の音は静かで、風は優しくて、白くて小さいヒナギクみたいな花がいっぱい風にそよいでた。
 オレとシドは丘の上の大きな木の下で海を眺めながらサンドイッチを食べた。
 スモークサーモンとチーズのヤツと、スパイスハーブのチキンのヤツ。それからふわふわ分厚い卵焼きのヤツ。朝、ローチと一緒に作った。
 たまにノービスとキッチンでサンドイッチ作ったこと思い出して、すごく会いたくなった。
 丘でシドと食べたサンドイッチは超うまかった。
 側に居るアブヤドとアスワドも草を食べてた。
 そんで、丘の上で久しぶりにシドに稽古を付けてもらった。
 やっぱり前より動けてなかったけど、最近はすこし走っても息切れしなくなってきたし、体力も戻ってきた気がする。
 もう少しトレーニングすれば前みたいに動けるようになると思う。
 それなのに、いつもならあと千本、型をやれって言われるところを、シドは「今日はもうおしまいだ」って言うんだ。なんか変な感じ。
 ループザシープに来る前、樹根核でオレの体力がヘロヘロになってたことに、オレよりもシドがびびってるのが変だと思う。
 オレが全然大丈夫だってとこシドに見せてやるためにも、毎日ちゃんと稽古してやろうかなと思った。
 屋敷の裏の馬小屋前なら広い庭になってるし、たまにローチも組み手の相手してくれるし、良い場所の気がする。
 最近は本当に調子がいい。
 たまにうとうとしちゃうこともあるけど、気分は爽快だ。
 振り返るといっつもシドと目が合うのは、シドがオレをすごく心配してるからだと思う。そんなに心配しなくても平気だって教えてやんなきゃな。
 身体は十六歳に戻ったかもだけど、頭は十七歳なんだからオレも大人に近づいたんだし。
 十八になったら煙草だって吸える! シドと同じの吸ってやる!








 羊歴一年。三月十八日。

 来年の誕生日はシドと同じ煙草がいいって言ったら怒られた。
 煙草は二十歳だって言われた。
 ん〜、そうだっけ? じゃあ十八でOKなのはなんだっけ。選挙?
 ローチに聞いたら、煙草吸うならタオルケットはやめなきゃねって言われてそれとこれとは話が別だと思った。
 寝具を選ぶのは万人にゆるされた権利だと思う。








 羊歴一年。五月二日。

 今日は雨が降ってて外での訓練はなしだったから、地下のトレーニングルームで筋トレとランニングマシンをやった。
 けどシドと一緒にトレーニングすると自信喪失するからやなんだよなぁ。
 オレだってフツーの高校生より全然重い設定でやれてるはずなんだけど、あいつが使ったあとのマシンどう考えても設定がおかしいって。
 足だって腕だって腰だって三〇〇キロ超えだし、象とかゴリラとかだってもうちょっとか弱いんじゃないのかって思う。それでもマシンとしては八割ってとこで、まだまだ上の設定が用意されてるのどうかしてるんじゃねーのかな。これ以上重いの使うってことだろ? ……もうマシンじゃなくて岩とか山とか持ち上げた方がいいんじゃないか?
 だからオレが使おうと思って重りを減らしてるところ、じっと見るのやめて欲しい。男としてクツジョクだ。
 あとたまにローチもトレーニングルーム使ってるけど、ローチもシドと同じメモリでやってるの今日知って、さらにへこんだ。
 オレだってシドやローチと同じくらい身長が伸びたら、そんくらい持ち上げられるようになるはずだ……って信じることにする。
 そんで今日はいっぱいトレーニングしたからなのか、気がついたら屋根裏部屋のクローゼットの前で寝てた。
 シドが下で呼んでるのが聞こえて慌てて返事したけど、勝手にふらふらするなって怒られた。
 シドがしごいた結果なのに理不尽だ。
 





 羊歴一年。六月三十日。

 窓の外は濃い青色の空の中に入道雲が右手に三本。左手に一本。高層ビルみたいに真っ白に光っていて眩しいくらいだった。
 夏が始まるんだなぁと思うと、オレは胸の奥がむずがゆくなって気持ちが上がってくる。
 窓の木枠を押し上げれば、熱い潮風が吹き込んできてローチと一緒に買いに行った金魚の柄の江戸風鈴がカラカラと涼しい音を立てた。
 オレは捜し物があって屋根裏部屋でクローゼットに頭を突っ込んで中身をひっくり返してた。
 今日はシドとローチと海で遊ぶことにしてて、去年ここで見つけたシュノーケルセットを出してきてやろうと思ったからなんだけど。
 すごく透明な空気とクリアな視界。
 頭はすっきりしてる。
 なのに、オレの前にはシュノーケルセットはなくてなぜか身に覚えのない品物がずらずらと並べられてた。
 クリスマスツリーのてっぺんの星。
 茶色い硝子の薬瓶。
 柳で編まれた埃を被ったバスケット。
 三つのものは投げ出されて床に転がってるわけじゃなくて、きちん、きちんと等間隔で並んでた。
 天窓から差し込んだ光に照らされてどれも白く光って見えた。
 部屋には他に誰も居なくて、下ではローチとシドの話し声がするのが聞こえる。
 ってことは、これはオレが並べたとしか思えないんだけど…………。
 なんでこれを並べたのか、いつこれを並べたのか、何にも覚えてない。
 海に行くのにテンション上がりすぎて記憶がぶっ飛んだのかな。
 ただ、なんか恐かった。
 なんで星と薬瓶とバスケットなのかはわかんないけど、オレはその三つを目の前にしてぺたんと座り込んだまま、身動きが取れなくなった。
 気のせいかな。
 気のせいだよな。
 ぼーっとしてるうちに、適当に引っ張り出したヤツがたまたま綺麗に並んじゃっただけだよな。
 きっとそうだ。
 絶対そうだ。
 心臓がドクドクして息が苦しくなりそうになったとき、頭の上から「具合悪い?」って声をかけられた。
 見上げたらローチが覗き込んでた。
 下からシドの「行かないならやめるぞ」って声が聞こえてきて、オレは慌てて「行く!」って応えた。

 海ではカヤックに乗ってシドと洞窟探検に行った。ローチはパラソル差してビーチで留守番しながら本を読んでるって言ってた。
 屋敷の裏の崖下にある洞窟は海からしか入れないから、いつか行こうってシドに計画を持ちかけていた場所なんだ。
 本当はシドとオレと別のシーカヤックで競争とかしたかったんだけど、シドが絶対一つの船で行かなきゃ駄目だって言うから、しょうがなくフィッシングカヤックで二人で行くことになった。
 三〇分くらい青くてゼリーみたいな色をした海の上を進んで、目的の洞窟に到着した。
 洞窟の中でお昼御飯を食べようと思ってたのに、その計画は中止になった。
 理由はあんまりにも綺麗でそれどころじゃなかったから。
 外から見たらただの洞窟なのに中から外を見ると思いもしない世界が広がってた。
 狭い洞窟全部が青色に光ってたんだ! 修にぃにも見せてあげたかった。
 光が海の中に差し込んでそれが洞窟全体を光らせてたのかも。
 吸った息が全部青くて肺の中まで海の色になっちゃいそうだった。
 凄いなって言って後ろを振り返ったら、シドの髪は菫色にキラキラしてた。
 ひんやりした手でほっぺを触られて髪を撫でられて、シドが何か言った気がしたんだけど、よく聞こえなかった。
 気がついたらシドの膝の上に抱えられてギュッて抱きしめられてた。
 青い洞窟は紫の洞窟に変わってて、やっぱり綺麗で、オレもシドのことギュッと仕返した。
 帰りのカヤックはオレは漕がせてもらえなくて、シドが一人で漕いでオレは手持ちぶさたにシドの膝に乗っておにぎりを食べた。
 そりゃ確かにオレが漕ぐよりシドが一人で漕いだ方が早いかもだけど、そんなに急ぐ必要あるかって思った。
 だって洞窟ついてほんの一〇分くらいしかいなかったのに。
 でもビーチに着くとけっこう時間経っててもう夕方だった。
 楽しいと時間はあっという間に過ぎるんだなってしみじみ思った。
 
 



 


 羊歴一年。七月二五日。

 夏だ。
 空が青くて風が熱い。
 葉っぱは緑色にキラキラしてて、海は群青色なのに透き通ってる。
 風が強い。
 家の周りでは蝉の声は聞こえないけど、島の東の街に行くとジワジワシャワシャワどこからともなく聞こえてきて、オレは嬉しくなる。
 相変わらず人は影しかないし、世界にはオレたち以外の人間の姿はない。
 道路にはオレの乗るアブヤドと付き合いで来たらしいアスワドの蹄の音だけが、ぽっくりぽっくり響いている。
 真夏の太陽はジリジリ照りつけて、つばの大きな麦藁帽子をかぶってきたオレでもその日差しでこんがり焼かれてしまいそうだ。
 ハーフパンツに半袖で来たのは失敗だったかもしれないと思った。腕も足も火照っていて完全に酷い日焼けにやられてる気がする。
 オレですらそうなのに、真っ黒な身体をしたアスワドはきっともっと熱いに違いない。だからオレとアブヤドだけで行くって言ったのに。
 斜め後ろをついてくるアスワドをちらりと見ると、アスワドは「なんだ」とでも言うように不機嫌そうにオレを見返した。
「あそこのカフェに入ってちょっと休もうか。出入り口大きいから二人も入れるし」って、道路に面したビルの合間に有名カフェチェーンの独立店舗が建っているのが見えたから、そう提案してみた。
 人が誰も居ないお陰で、直接馬で入店しても誰にも怒られない。
 賛成だとアブヤドが鼻を鳴らし、オレたちは全員揃ってスタバに入って休むことにした。
 犬とカフェするお店はけっこうあるけど、世界広しといえど馬と一緒にスタバに入ったのはオレが人類初だと思う。久我に見せてやりてぇ。
 店内には影がたくさん動いていたけど、それに構うことなくオレは辺りのテーブルや椅子を端に寄せて、馬たちの休憩スペースを作ってやった。
 ついでにフラペチーノ飲んでみようと思って、しばらく店員の影の動きを観察した後、同じようにオレもドリンクサーバーを使って冷たいバニラフラペチーノにチョコチップいっぱい入れることに成功した。
 二人にはキッチンから持ってきた一番大きなボウルに水を入れて目の前に置いてあげて、オレはその辺の椅子に座って冷たくて甘いフラペチーノを飲みながら、ケースから持ってきた硬くて甘いパンにかじりつく。
 あ、そうだ。
 お昼御飯を食べながら、今日の分の日記を録音することにしたから、今こうして吹き込んでます。
 録音しながら、ついでにいくつか持ってきたサンドイッチやビスケットを紙袋に入れて、背中に背負ったリュックサックへ放り込む。
 それを見ていたアブヤドが「まだ行くのか?」と目で訴えたから、だからオレは「あたりまえだろ!」と鼻息荒く答えてやった。
 しばらくは絶対に帰らないって決めたんだから。
 シドが心を入れ替えて、俺が悪かったごめんなさいっつって謝ってきたら考えてやるけど、そうじゃなきゃ断固オレの家出は継続される!
 うーん、まぁ、タンテキに言うと、……シドと喧嘩した。
 っていうか、一方的にシドが悪いと思う。
 だから喧嘩じゃなくてオレによるシドへの制裁ってやつだ。

 最近、シドは本当に機嫌が悪い。
 なんでかわからないけどピリピリしてる。
 オレがローチと二人で出かけるっていうと絶対駄目だって言うし、散歩に出かけるっていうと一人じゃ駄目だって言うし、部屋でローチとプレステで遊ぶって言うと駄目だって言うし、なら一緒に桃鉄しようってシドに行っても一人でやっていろっていうし、一人で桃鉄つまんねーよ! とにかく、アレは駄目、コレも駄目、お風呂は絶対一緒に入るし、一緒に入ると絶対オレ最後はぐったりして抱っこされて上がることになるし、昨日はそれローチに見つかって「亮くんは甘えたさんだねぇ」って言われた。心外だ! そんなのオレが悪いんじゃない、あのエロエロ魔人が悪の限りを尽くしてるのが悪いのにオレが甘えん坊みたいな立ち位置にされるのは、リフジン過ぎるっ。
 とにかく色々我慢の限界が来て、ついにオレは今日、家出を決行した。
 カバンにキッチンにあった丸いパンと硬いチーズをいくつか放り込んで、水筒に麦茶入れて、ペットボトルの炭酸水も持って、タオルケットも詰め込んで、そんでアブヤドに頼んで東の街までやって来たってわけだ。

 スマホの時計を確認するとお昼の二時過ぎ。家を出てもうすぐ3時間半になる。
 きっと今頃気づいて慌ててるはずだ。
 ……慌ててる、よな?
 シドはオレのこと、す、す、好きなんだから、オレがいなくなったら焦って反省する……と思う。
 いや、反省するに決まってる!
 だってオレだったら超焦るし、呆れられたと思うと、……へこむもん。

「ぶるるるる」

 今のはアブヤドの声。
 さっきからオレのこと鼻で小突いてくる。
 ここまで連れてきてくれたけど、アブヤドもアスワドもオレが家出してることわかってるみたいで、ことあるごとにこうやって「帰った方がいいんじゃないのか?」って言ってくる。二人は馬だけど、一年近くこいつらと付き合ってきて、今ではなんとなくこいつらの言ってることがわかる気がするようになってきた。
 たぶんだけど、こいつらもオレの話わかってると思う。
 ウマリンガルみたいのがあれば会話できるのになぁとも思うけど、きっと今日のこいつらにはブーブー言われっぱなしなんだろうな。

「暑いしさ、んどかったらおまえら帰っていいよ。オレはまだ帰らないけど」
「ぶるるるるるっ」
「っ、いてっ、噛むなよアブ。別におまえらが邪魔とかそういうこと言ってないだろ。おまえらの体調だってあるし、そんならオレ一人で行くって言っただけでっ、てて、こらおまえデカイんだからそんなに押すなよ、重い!」
「ぶぶぶぶぶ」
「ぐぅ」
「へへ。わかってる。ありがとな。アスも。だいじょぶ、ちょっと喧嘩しただけだから。あいつ、最近ちょっと、変なんだ。前よりもっと、ずっと、不安な顔してる。表情ほとんどないけどオレにはわかるんだ。なんでなんだろうな。ループザシープにいれば大丈夫だって、自分でもあんなに言ってるのに、どうしてあんな顔したりするんだろう」
「ぶるるる」
「ん。おまえらと一緒で心配してくれてるってのはわかるんだ。ただ、さ。何かが、少し。ちょっとだけ、変な感じ、する。晴れてるのに。こんなに太陽がいっぱい照ってるのに、雨が……降ってる感じ。……オレの体調もどんどん回復して、初めてシドと二人で、長い間一緒にいられて、これからもずっとずっと変わらずこの世界が続いていくのに。ずっと夏は巡ってくるのに。……あ、しまった、日記録音しっぱなしだ。続きはまた明日……『ガチャジジ……ッジジジ……』






 結果、家出は失敗した。
 えーっと、今は夜中の二時半。
 あれからいつのまにかオレはシドに抱えられてアスワドの背中に乗っていた。
 いつシドが来たのか、いつ馬に乗ったのかも覚えてない。
 スタバの中が涼しくて、お腹も膨れ間抜けにも寝てしまったらしい。
 そこをシドに見つかってあっさり連れ帰られた……という情けない幕切れだった。
 家に着く頃には日が落ちて、海の上が少しだけ紫に光っていた。
 家に着いたらローチが晩ご飯を用意してくれていた。
 シドは怒ってるはずなのに、オレには何も言わなかった。
 ただ「出かけるときは声を掛けろ」ってだけ、普通のトーンで言われた。
 見つかったらめちゃくちゃ怒られて泣かされるかもって思ってたから、拍子抜けだ。
 ……まぁ、オレは泣かされたりはしねーけど。
 シドはなんで怒らないんだろう。
 なんでそれから寝るまで、オレを抱きしめたまま放さなかったんだろう。

 そろそろ部屋に戻らないとシドが心配するな。
 お水飲んだらベッドに戻るか。
 明日は、……明日も、良い天気かな。