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 羊歴一年。五月十四日。

 亮くんの作った暦で言うと日付はこんな感じ?
 あの子が吹き込んでる日記は毎日の僕の楽しいラジオ放送ってとこかな。
 僕のあげたスマホを疑いもせず活用してくれてるの、ほんと可愛い。
 僕も僕で亮くんに習って日記を付けようと思う。
 日記ってよりも、覚え書きだね。
 この状況で僕が存在し続けることができるとは限らない。
 出来ればこの手記はストーンコールドのメンバーに残せたらいいとは思うんだけど、まぁきっと一番近くに居るシドの元へ行くことになるんだろうな。
 シド、読み終わったらストーンコールドのメンバーへこれを渡してやって。名前は書かないけど、おまえならわかるだろ? 諜報局局長さん。
 とにかく──
 去年の九月十七日、僕が亮くんの中に見つけた『彼』の様子は今のところほとんど変わっていない。
 成坂亮のオールナイトニッポンを聞く限り亮くん自身も特に違和感を感じていないみたい。
 ただ、今日のお昼、気になったことが一つ。
 二人でそうめんを茹でてるとき、亮くんがご機嫌に鼻歌を歌っているのに気がついた。
 そういえば最近時々この曲を亮くんが口ずさんでるのを耳にする。
 亮くん世代が好きな邦楽やネットアーティストの曲ではなさそうだし、その他の国のヒットチャートに顔を見せる曲でもない。
 コレでも僕はトレンドには強いタイプなんだけど、何かの映画音楽? Soundtrack? とにかく僕には聴き馴染みのない曲だ。
 何の曲? って聞いてみたけど、当の本人は自分が歌っていたことすら気づいていないようで、「なにが?」って聞き返された。
 最初は照れ隠しかと思ったけど、何度か同じ事があってそうじゃないと気づいた。
 綺麗なメロディーだけど、拍子や音の運びが変則的でプログレかと思うような不安定さもある。
 何かの予兆なのか、ただの思い過ごしか……。
 ──あと四ヶ月ほどで羊たちは一周し、時が巻き戻る。
 それまで亮くんは亮くんでいられるのかな。
 僕は全てを見て、全てを知って、そしてその知識を持ったままリアルへ戻れるのかな。
 いや──人類は止まった時の中で眠り続けることができるんだろうか。
 それとも、全員で赤ん坊へ戻って全ての人生をやり直すことになるのかな。
 もしそうなったときでもこの手記が存在し続けられれば、僕は新たな世界で完璧な傍観者として成り立つことができるかもしれない。
 ここに来て確信したことの一つ。
 僕はきっと傍観者に憧れてる。
 僕は欲張りで飽き性だから、一つを掘り下げてって向かないんだな。
 やっぱりピザは全部乗せがいいんだ。






 羊歴一年六月三十日。

 亮くんの提案で海へ遊びに行った。
 しぶしぶながら了承したシドは亮くんの状態について気づいているのかどうかわからない。
 一人一艘のシーカヤックで洞窟へ向かいたいという亮くんの希望を却下して、同じ船で行った辺り、まぁうすうす気づいてはいたんだろうね。
 それをただ、気づかない振りしたかっただけなんだろう。
 普段あんなに非情なくせして、亮くんに関してだけはヨワヨワになるの笑うな。
 おまえのことだよ、シド。
 いつものように感情もなく欲望のままやりたいようにしていれば、亮くんは逆に危険な目に遭わないかもしれないのに。
 ヒトってのは自分自身ですら思い通りにならないもんだ。
 所詮、僕もおまえも常人なんだよ。


 この日、亮くんはついにコップの縁からわずかに水が溢れ出してしまった。
 その様子を僕は直接見ることは出来ていないけど、カヤックの上でひっくり返っていた亮くんのスマホから随時可能な限りの映像と音声を拾うことはできた。
 ビーチで一人寝転がりながら、パラソルの下その状況をながめた。
 洞窟の美しさに感動した亮くんがシドの方を振り返った瞬間、それは訪れた。
 亮くんの感情が幸せで充たされたせいなのか、感極まったせいなのか、原因はわからない。
 だけど、振り返った瞬間、亮くんは成坂亮ではなく、ヒトですらない別の存在。──僕らがミトラと呼ぶ新世界の卵となってシドの顔を眺めていた。

 あのシドが言葉を失ってた。

 ミトラは言った。
「どうした。亮をそんな目で見ては怯えさせる」
 応えるシドの声は凍り付きそうに冷えてた。
 音が震えていなかったところをみると、予想はしていたんだろう。亮くんの中の縛錠が日に日に弱まっていることで彼がいつかでてくることを。
 だからこそ、シドはうろたえることなく彼と相対することができた。
「黙れ、寄生虫が」
 いや、前言撤回。寄生虫はちょっと己の感情剥き出し過ぎるだろ。
 仮にも新世界の創造主に対しての物言いじゃない。
「それは正しい見解ではない。我の周囲を亮が巣くっているのだ。逆だよシド」
「俺の名を呼ぶな、虫唾が走る」
「いつか呼ばれなくなるんだ。なるべく多く亮の声で呼んでもらった方が良いのではないか?」
 あ。画面に二人が戻ってきた。さっきまで洞窟の天井しかみえてなかったんだけど。
 シドが亮くんの──いや、ミトラの胸ぐらを引き寄せ今にもかみ殺しそうな顔でにらみ据えた。
 が、ミトラはヒトじゃない。怯えるという感情もないのかもしれない。
 秀綱を彷彿とさせる無感情な表情は、亮くんの顔を亮くんでない別人のものに思わせた。
 綺麗だ──とすら、僕は思った。
「いつかなど永遠に来ない。亮を消し去ることなど貴様には永遠にできないっ」
 殴りつけでもするのかと一瞬思っちゃったけど、亮くんの身体をシドが傷つけられるわけもなく、口論だけで対抗するシドなんてレアだよね。
 まぁ、ミトラの声は亮くんの声帯を通してはいるけど、時折ホワイトノイズのような雑音が混ざるところを見るとやはりまだ完全に主導を握れる立場にはないんだろう。
 それでもチャンスがあれば外の世界に顔を出すようになってきたってことか。
 僕と出会ったときは会話すらままならない、AI相手に喋ってるみたいなかんじだったけど……。
 今はずいぶんしっかりした物言いだ。
「……もうすぐ夏が終わり時は巻き戻る。確かに我は再び亮の意識の底へ沈んでいくだろう。だがそれも完全ではないということに気づいているはずだ」
「そんなことはない。原初セラはあらゆるこの世界のものに共通の物理体系を持っている」
「ハイヤーンの書物にも記されていたはず。この生樹の理から外れた者にはこの小さなあぶくの中の理は完全には作用しないということを」
「そんなもの誤差のようなものだ。おまえのくびきが解かれるのは何千年後か。何万年後か」
「だが必ずその日は訪れる」
「その間におまえを消し去る術をゆっくりと探してやる」
「我は我の役目を全うすべく処理に従い動くのみだ。成坂亮の守護者、シド・クライヴ。おまえはおまえの処理を進めるといい」
 そう言い置いて、ミトラは再び亮くんの奥へ沈んでいった。
 動かなくなった亮くんを抱きしめたまま、シドも時を止める。
 そのままずっとずっと同じ姿勢で、彫刻みたいに固まってた。
 電池がもったいないから僕はそこで映像を切ったけど、シドが亮くんを連れて帰ってきたのはそれから三時間も経った後だった。
 帰ってきた亮くんはほっぺに米粒をくっつけたまま、洞窟の綺麗さを必死に僕に語って聞かせてくれた。
 僕はそれをうなずいて聞いて、ほっぺの米粒をつまむとぱくっと食べてやった。
 赤くなる亮くんのほっぺは夕焼けより赤くてふくふくしてた。

 基本ミトラは嘘はつけない。真実しか言わない。
 そのことはこないだ僕が出会ったAIみたいなミトラが語っていた。
 亮くんの内側で既に成熟し、だがビアンコの手管により絡め取られている人成らざるもの。
 僕は彼に興味津々だ。