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「それで――、結局オルタナティヴツリーの調整はいつ頃を目処に考えればよいのかな」
 常々部屋の広さに見合っていないと男が感じている無駄に大きなモニターの向こう側で、カシミアのセーターに身を包みポルトローナ・フラウのソファーでくつろぐ中年の紳士は柔和な笑みを口元にたたえたままそう切り込んできた。
「九十日を待たず本格稼働が見込めるとウィスタリアは太鼓判を押してますよ」
「艱難辛苦を乗り越えてようやく――だね。実に楽しみだ。その為に我々一族は随分と長い間IICRと足並みを揃えてやってきたのだから」
「四代目もお早く“アルマ識別標”を発行して頂いた方がよろしいかと。アルマの採取からファイリングまでまだまだ時間も掛かりますし何より順番待ちも長くなりそうです。しかしその価値は比類無きもの――それさえあればたとえ死してもお好きな場所や時間への転生が可能となるんですからね」
 ヒヨコ色の髪をした若い男が細身のデニムパンツに包まれた長い足を持て余すように組み替え、きっちり髭のそられた口元へ手を添えて人懐っこい笑みを浮かべる。丈の短いパンツの裾からちらりと覗く踝やその先で所在なさげに揺らされるニューバランスのスニーカーは、この“ヴァーテクス特別回線室”に入室を許された者のコーディネートとしてカジュアルすぎるかに思えるが、仕立ての良いシャツとネクタイをかっちり着込んだトップスのおかげで場違い感はなく、それどころか男の悪くない容姿をさらに魅力的にみせているようだった。
「全くだレグホーン、キミの進言通りすぐにでも予約を入れてもらおうか。転生できるということは、すなわち永久に生きられると同義だ。ただの人間であるコモンズの我々には不可能な芸当だからね。……ふふ、アルマを消し去る作業は我々も得意な方ではあるんだが」
「恐い恐い。バロン・ジェイコヴ。あなたが言うと冗談に聞こえませんよ」
 吊り気味の濃い眉をしかめ、レグホーンと呼ばれた三十代に差し掛かったばかりであろう男は大げさに肩を抱いて身震いしてみせる。革張りの大きなデスクチェアが彼の動きに合わせてゆらりと背をたわめた。
「ははは、新たなビアンコの右腕が思ってもいないことを。噂は聞き及んでいる。ヴァーテクスの閣僚入りをする前は、武力局に在籍しあらゆる戦場を渡り歩いていたそうじゃないか。戯れているのはどちらかね。――しかしまぁ……。キミの言うように識別標を発行したとて、コモンズである我々は記憶の維持はできない――。ソムニア未覚醒などという者はつまらんものだ」
「そればかりはまだまだ神の領域でしてね。ですが確かに同じ人間の生まれ変わりではあるのです。思い出せないだけで深層の記憶は本来維持できている可能性は大きい。そういった話も遙か昔から都市伝説のように語られていますし、希望は大いにあるかと」
「となると……オルタナティブツリーの次は、ソムニア覚醒のための“神の手”の開発に着手……ということになるか。まぁ、キミらソムニアにとってこちらの開発は旨みがないどころか、歓迎ならざる悪魔の発明ということになるかもしれんな。ソムニアという既得権益を持つ者があまり増えてもらっても困るだろう」
「それは要らぬ勘ぐりというものです。ソムニアは常に死別を恐れる生き物なんですよ、死を知らぬ人生を謳歌しているように見えてね。自分の妻や子とも一度限りの人生で別れねばならない。だから我々は家族を作らない者が多い」
「なるほど――。キミらにも神にすがってすら死を遠ざけたいという凡庸なヒトの情があるというわけか。ならば神の手の開発にも希望を持てるというものだ」
「我らが研究局の星、エイヴァーツ・ウィスタリアへその旨伝えておきますよ」
 レグホーンがやや下がった目尻のブルーアイズを片方眇めて徒っぽく肩をすくめる。
「彼はもう回復したのかね。一年近く療養していたと聞いたが」
「正確には九ヶ月――です。彼が復帰してからもう一年半以上が経過していますよ。例の新型スパニッシュフルのお陰で、年甲斐もなくサイトカインストームを起こしてしまい大変だったんですがね。本来ならさっと死んで転生してしまえばいいはずなんですが、オルタナの調整にはウィスタリアは欠かせないので今死なれちゃこまると医療局の尻を叩きまして」
「ああ、二年で世界一億を超える人間が死亡しているんだ。ネオスパニッシュフルの病魔にかかれば、クラウンクラスのソムニアとて命を亡くすこともあるんですな。恐ろしい。私が現在若者でなくて良かったと思えた唯一の事象だ」
「所詮人間、ソムニアとて儚いものです。しかも生樹の枯衰により満足に転生も行えない状況だ。だからこそオルタナティヴツリーという夢の機関が必要なわけでね」
「USのドナルドも第二期を務めると言うし、オルタナに稼働してもらわねば世界は独裁とナショナリズムとに冒され、早晩滅びの道を突き進むことになる。RITのキャピタルにIICR傘下の企業リストをトップへ押し上げておくよう、指示を出しておかねばな」
「ロートシルトとIICRは十八世紀からの盟友ですから。共に生き残って美味いワインでも飲んで暮らしたいところです」
「レグホーン氏はアルギツという種の長だけあり、楽しいことがお好きだと聞いている。ぜひ一度顔を合わせて飲みたいものだ。もちろんこのパンデミックが終息し次第、だが。年寄りの私と違いキミはまだ若い。スパニッシュフルは脅威だろうからね」
「イヤイヤ、中身は対して若くないんでそんな風に言われるとこそばゆいですわ。では、ジェイコヴ男爵卿のアルマ識別標、お出しできるように手配を進めさせてもらいますのでパンフレットを熟読の上、早寝早起き、アルマを健やかにしてご準備の方をお願いいたします」
 レグホーンが立ち上がり、おどけた調子でお辞儀をしてみせると、モニターの向こうから機嫌の良さげな笑い声が聞こえ、そして通信は切れる。

 アルギツ・レグホーン。アルギツ種のカラークラウンで、現在ヴァーテクスの主事を任されている男だ。
 モンテネグロ人らしく長身で細身筋肉質の羨ましい体躯に加え、神の幸運と言われるアルギツ種のトップを務めているだけあってその顔貌も及第点は楽々クリアしている。
 かつて地元の紛争地帯に武力局のメンバーとして派遣された折り、最前線の銃弾の雨の中鼻歌交じりに特攻し、敵の将を無傷で捕虜にしたという逸話を持つこの男の幸運力は凄まじく、その何の苦労もなく苦境を切り抜けられる能力のお陰で人格的には欠陥だらけ、彼のアルマは0.2ミリの薄さしかないと陰口を叩かれる軽浮なダメ人間であるが、本人は自覚ありで苦にしない。
 お気楽なその性格はかつてのヴァーテクス主事ハガラーツ・レドグレイとは真逆であり、本人はこのような重責で面倒な仕事は極力避けて生きてきていたのだが、二年半前の樹根核急襲事件の際事態収拾の為ビアンコから直々のオファーがあり、それならばと首を縦に振った次第だ。
 元来、男の見栄は大切なファクターだと考えるタイプなのである。
 夏が終わりを告げ秋に差し掛かったイングランドは寒い。現に窓外に広がる鉛色の曇天は世界から太陽を奪い、吹く風は猊下の森を激しく揺さぶっていた。
 にも関わらず、踝までのデニムや重さのないジャケットを軽やかに着こなすレグホーンは、一度大きくノビをすると下ろしていた髪を後ろでぐっと括り、現れたツーブロックの小さな頭をご機嫌に揺らしながら暖房をこれでもかと効かせたヴァーテクス特別回線室を出ていく。
 CO2削減もSDGsもソムニア界の中枢ではトレンドではないらしい。








 前代未聞だった。
 二度、IICRを裏切った男がいる。
 イザ・ヴェルミリオ――。イザ種最強と謳われた男は事もあろうか二度IICRを裏切り、未だこの地球の――いや、世界のどこかで息をしている。
 一度目は十年以上前のことだったはずだ。
 ソムニアとして唯一確認されている能力者“アンズーツ”を持つ男、アンズーツ・マダーレイクが殺された。
 前研究局長イェーラ・スティール以前に研究局トップであったテーヴェ。かの天才の師にあたる男であり、年を重ねているというただ一点のみを理由に自ら退き研究局奥の陋屋で隠居生活を送っていた人物だ。その能力故か人と会うことを好まず、ひっそりと図書館塔からの解読依頼のみを受けていた老人だったと聞いている。
 この世に存在する遍く全ての言語を読み解けるという比類無き奇蹟の力を持つ彼を、ヴェルミリオは寂静させた。
 五度目の転生後、十二歳という若年でクラウン昇格して以降七年。恐ろしいほどに易々とその職をこなしてきた少年が二十歳を待たずして起こしたショッキングな事件は、諜報局の『行き過ぎた調査』であったというのが警察局内部監査室よりの公式発表である。
 当時諜報局局長であったヴェルミリオが内々に調書を取る為マダーレイクを訪問し、研究局の予備セラの一つにある森の中の粗末な小屋で彼を殺害し寂静させたというのが第一報としてIICR全体へ広報された内容だ。
 記録からもヴェルミリオとマダーレイク、二人の他に誰もそのセラへ入獄した者はおらず、完全な密室事件だとされているこの事件の犯人は明確である。
 また、たった一人の年老いた文官に対し絶頂期にある武官がいきなり武力行使するなどあり得ない話で、たとえ罪を犯した相手であろうと裁判すら受けさせず問答無用で寂静するなど職権乱用も甚だしいのは当然なのだが、さらに相手が唯一無二のアンズーツであることがこの事件が影沙汰される肝となった。
 結果、事件はIICRとソムニア文化への反逆と捉えられても仕方の無い暴挙だと組織を上げての狂騒となる。
 これほどの事件を起こせば寂静相当の科刑が成されるものだと誰もがそう考えたのだが――結果は耳を疑うものだった。
 イザ・ヴェルミリオは寂静刑どころか死刑にすら処されず、彼の科刑は『IICRからの除籍及び放逐』――という拍子抜けも甚だしい内容で終わった。もちろん、カラークラウンを務めるような者にとってIICRからの除籍はある種、死より重い刑ではあるのだが、当時の機構内では元々ヴェルミリオを良く思わない勢力も多かったせいもあり不満の嵐がこれでもかと吹き荒れた。
 それを鎮火させるために寄こされた次の報せは、諜報局がどういった調査でマダーレイクを訪れたのか、という点に関してだった。
 ヴァーテクスの出した第二報。それは『マダーレイクは無断で秘笈の宝書を持ち出し外部に流した事実があり、それを問いただしたヴェルミリオに対し他の宝書をもって抵抗に及んだためやむなく武力で対応。結果、イザに宝書の効果が相乗しマダーレイクは寂静したという事実が確認された』というものだった。
 いわば正当防衛であった――とも取れるこの情報がどこから出てなぜこれを司法裁判局は良しとしたのか。
 この事件はマダーレイクとヴェルミリオ、『たった二人しかいない閉じられたセラ』という密室で起きたものだ。ではヴェルミリオの供述を局は無条件で唯々諾々と受け入れたとでも言うのか。
 再び噴出しかけた機構内の不満は、時を待たず知らされた第三報により綺麗さっぱり一息に消え去ることになった。
 第三報で明かされた事実。それは『密室だと思われていたセラに目撃者となった者がいた』というものだった。完全管理された研究局付のセラに入獄記録がなかったにも関わらず、だ。
 第二報の証言を為した者であり、唯一の目撃者。それは――オートゥハラ・ビアンコ、その人だった。
 彼はIICRの長であるが、IICRそのものでもある。ここに籍を置く全ての者はそう考えている。たぶん、おそらく、全て、全員――だ。
 彼は絶対であり彼が間違うことなど条理の外なのだ。
 たとえ入獄記録がなかろうと、たとえ姿形が見えていなかろうと、オートゥハラという“ソラス概念の捕食者”という能力はあらゆる事象を可能にし、あらゆる事象に優先する。
 ヴェルミリオの処遇に関しては彼の普段の行いのせいで不満を持ち続ける者も多かったが、それを口に出す者は皆無となった。
 代わりに火が付いたのはマダーレイクが宝書を流していた相手が誰か、ということであるが――、これも『おそらくIICRに砂を掛けて去った彼の弟子・テーヴェだったのではないか』というまことしやかな噂が流れ、あまり面白みのないその内容に、すぐに静かになっていった。
 当時研究局と図書館棟の闇に最も深く切り込んだのが、内外あらゆる情報を集めていた諜報局であり、ヴェルミリオはその触れてはいけない潮流に巻き込まれたのだろうと、宇宙一の幸運男はなんとなくアンラッキーの匂いを嗅ぎ分けていた。
 真相はどうあれとにかく表向き、ヴェルミリオは5度目の19歳でIICRへ最初の反逆を起こし、そして二年半前、また二度目の反逆を引き起こしたことになる。
 しかも今回は
「あの樹根核にアクシスも使わず生身で飛び込んで恋人攫っていったってんだから、……あいつ実はイザじゃなくてアルギツなんじゃないのか?」
 あり得ない理由と行動と結果を残した反逆のクラウンに対して、思わずあり得ない感想が口を突く。
「俺の一番のライバルは見た目以外ぶっ壊れてんな」
 ヴェルミリオは五転生目。レグホーンは三転生目である。が、能力の違いによる回数のズレに過ぎず、生きてきた総年数からすれば五年ほどレグホーンが長いくらいで、いわゆる同期という間柄になる。
 会話こそ交わしたことはなかったが、彼はイザ・ヴェルミリオに一方的な親近感を抱いていた。
 武力局の実戦部隊を転々としていた彼が本部付きになったのはつい先頃のことであり、まともに顔を合わせたのは彼が劇的なクラウン復活劇を演じて見せたあの『机破壊会議』の折りである。
 が、久々にあの嫌われ者の綺麗な顔を見たレグホーンは己の評価が間違っていなかったことを改めて噛みしめたものだ。
 彼の人間評価ポイントとは『見た目』であり、身長、スタイル、筋肉量、顔立ち、ファッションセンス、髪の有無。――ポイントは多岐にわたる。
 そんな遠くて近い存在、ヴェルミリオは神隠しにでも遭ったようにぷっつりと姿を消していた。
 奪い返した大切なトオル ナリサカと共に。
 二度もこの組織を裏切り生きている。一時は死亡説、寂静説、どちらも考え、その可能性を模索した。
 だが、トオルが死ねば恐らく内側のミトラとやらが生まれ出て、世界はかき混ぜられ再編され、自分がこうして二人の行方を捜していることなど無いはずだ。
 トオルは生きている。そのアルマは確実にこの世界のどこかにいるのだ。
 となるとそれを守る人間が必ずいる。
 イザ・ヴェルミリオ。あの男もまたトオルの傍らで手負いの獣のように目をぎらつかせ、少年へ周囲の全てを寄せ付けぬよう唸りを上げているに違いない。
 しかしどれだけ探しても見つからない。
 二年半前、樹根核から逃げた二人は煙のごとく消え失せていた。
 それを探し出すこと――。それが彼の本来の任務なのだが。
「俺ちゃんマル秘リストのトップ様は今どこでどうしてらっしゃるのか。早いとこ見つけねーとなぁ」
「またくだンないライバルリストの話? ゼリコはホントバカだねぇ。さすがウチらアルギツのボス。安心するわ」
 ドンと柔らかい何かに小突かれ振り返れば、そこには同じアルギツ種ファミリーの副官が、ナタリー・ウッド似の美貌に似合わぬ頭の悪そうな笑いを浮かべ、パンツの尻ポケットに両手を突っ込んだまま胸を反らして立っている。
 クラウン相手にカラーコードでなく『ゼリコ』とファーストネームで呼ぶ辺り、縦の人間関係を構築しない性質を持つ脳天気な正しいアルギツであり、それを当然として受け応えるレグホーンもまた、そのアルマはよく言えば磊落、有り体に言えば軽佻浮薄のアルギツの長だ。
「アンタの“IICRイケメンライバルリスト”、ヴェルミリオ再登場から更新された? アタシの推しのラシャ様は今何位よ」
「おう、シックス。相変わらずご機嫌だな」
 隣に並んで歩き出すブルネットの彼女――。現在は日本生まれ日本育ち、アルマの形態はUS出身の二十五歳、シックスサイドス・ひなげし・シュプリーム。まだ転生二回目だが特殊なタイプのアルギツであり、レグホーンの頼れる片腕である。この季節にレグホーン同様薄着であり、綺麗に割れた腹筋を見せつける布地の少ない白ニットと、長い生足を惜しみなく出した黒革のホットパンツは自由の象徴そのものだ。
「どこがよ! あんたがヴァーテクス主事なんて面倒なもん引き受けたせいでアタシまで日本からこんななーんもない森ん中に軟禁される羽目になってんのよ? グーグルマップに表示される近い文字が『国立公園』しかない僻地ってナニ!? 存在の意味がわかんない。まったくこんなとこでアンタのつまんない手伝いしてる内に、先週ついに私の愛するCR機も5号機も完全撤去されちゃったじゃない、バカ」
 彼女は二年前まで日本の警察局で現地の警ら勤務に着任していたわけだが、『樹根核急襲事件』よりこちら、ヴァーテクスへ召し出され泣く泣くIICRへ戻された経緯がある。
「またパチンコの話か? ホントおまえ変わってんなぁ。ギャンブルやって楽しいアルギツって奇蹟だぞ」
「アタシの成績は運のいいことに6:4でちょい勝ちなの。出て入って出て入って入って……脳汁びちゃびちゃに出てこんな気持ちいーこと他にないわよ」
「下品な言い方だこと。そんな都合良く負けを混ぜれるアルギツ、おまえくらいだぜ?」
「無駄口はいいからさっさとシゴト終わらせてよね。早く業務終わらせて執務室でゆっくり新台の動画見るんだから時間がもったいないの。歩きながら用件伝えるから執務室に着くまでに考えまとめといてよね」
「……ええぇぇぇえ? めんどくせぇ」
「うるっさい。まず最初ね。――環流の守護者の残党狩りの件、インカから次の稟議書回ってきてたけどどうすんの?」
「ああ、じゃ、おまえがサインしといて。……あ、三日はもったい付けるの忘れるなよ」
「またぁ? ……んじゃ、IICRの現状を他国に悟らせない為のロビー活動の件だけど、中国とインドが新しい動きを……」
「それについちゃもう終わってる」
「え! すごいじゃん! どんな解決したのよ」
「おまえの推し、諜報局の王子様に夕べ頼んどいた」
「さすがゼリコ、また丸投げかい。てかアタシに言ってくれればアタシがラシャ様に伝えたのに、気が利かない男は持てないよぉ」
「やめとけやめとけ。今ラシャは超絶機嫌悪いからな。おまえみたいな脳天気が顔出しただけで本館氷漬けになるぜ?」
「脳天気の世界的リーダーであるアンタに言われたくないわぁ。……んじゃ次ね。樹根核の再整備の進捗計画、今月分の予算承認まだ終わってないから……」
「ウィスタリアの好きなだけ使わせろよ。無茶しねぇよ、あの兄ちゃん。復帰してから超優秀じゃん」
「前は違ったん? アタシウィスタリアがぶっ倒れてた二年前からしか知らんから」
「おお、前はもっとぼーーーーーっとした融けた綿菓子みたいな男だったんだ」
「うそだぁ。今はピシピシのピシ!って感じの切れ者じゃない」
「なぁ? 俺も信じらんねぇ。まぁヴァーテクスとしちゃ研究局長が有能であれば大助かりだから文句はねぇけどな。――これで全部か?」
「まだあるって! ヴァーテクスの仕事なんて湯水のごとく溢れ出てくるもんなんだから。えーと、なんだったかな。あ、……溢れ出るで思い出した。オルタナが暴走したせいで煉獄に獄卒ちゃんがゾンビ映画並に大量湧きしてる件、さすがに洒落になんなくなってきたみたい。ただでさえコモンズのアルマが減ってるっていうのにいくつもセラが食いつぶされてる。特別チーム組んで当たらなきゃって話が武力局から上がってきてるから人選を――」
「我々には獄卒対策部というれっきとした組織が元からあるじゃない」
「いや、だからさぁ。ヴォルカンがいくら強くても人数減った現状じゃきついって。獄卒対策部のエースは元PROCのカイでしょ? あそこのチーム、全員ヴェルミリオの樹根核襲撃幇助の容疑で未だ拘束中じゃない。期待のホープのルキちゃんは研究局に配置換えで樹根核から戻ってこないし。何より一番頼りになるはずのジオットは医療局のペントハウスでずーっとお休み中。そんなボロボロ状態の対策部が通常の20倍以上に膨れてる獄卒の数にどう対抗するってのさ」
「複雑な心境だなぁ。俺のライバルリストいつも上位入閣してたジオットが永遠に復帰不能ってのは悲しい以外の何者でもねぇわ。ヴェルミリオも罪な男だぜ」
「……遠い目してる場合じゃねーのよ、おい、主事こら」
「主事っつっても、今ヴァーテクスの正式メンバーはおまえと俺と、あと実務担当ロディちゃんの三人だけなんだからさ。嫌みったらしく役職で呼ぶのやめてくんない」
「あんたがふざけるからでしょぉ? まったく、アンタほんとにヴァーテクスやるの嫌だったんだね。ビアンコから直接お願いされたとか自慢げに言ってたけど、男の見栄とか女子にとっちゃどーでもいいからね? 猫が虫取って見せに来るのと一緒だから」
「え、ひどすぎねぇ? しかもそのたとえだとビアンコが虫担当になっちゃうじゃん」」
「あーだる、さっさと解決策出しなよヴァーテクス主事」
「そんじゃ差し当たってあれだ。PROCの人間全員釈放して獄卒対策部に行ってもらおう」
「え。は? いいの? 司法局にも警察局にもなーんも話通してないのに」
「いいだろ。だって人いねぇし。あいつらがヴェルミリオの行方なんて知るわけないって薄々全員わかってるし。ヤザタス使えず通常の聴取しかできないせいで時間掛かってるけど、ぜーんぶ無駄だと俺は思うね」
「まぁアタシもそれには激しく同意ですけども。でもさ、獄卒倒すんだよ? カイくん以外素人じゃん、寂静しちゃうよ?」
「元ヴェルミリオの特殊チームならなんとかするだろ。俺の推しのチームなめんなよ」
「うわー適当に言ってんなコイツ。でもま、わかった。武力局のインカにさっきの話のついでにそう伝えとくわ」
 廊下の端から端まで歩き終わり、特殊軽量硬化ガラスで作られたエレベーターへ乗り込むとレグホーンの長い指が1階へ向かうボタンを押し、それを見たシックスサイドスは秋色シャドーに彩られた綺麗な眦をつり上げた。
「ちょーっと、なんでよ、ヴァーテクス主事の執務室へ戻るんじゃないの!?」
「なんでよってなんでよ。もう終わったじゃん。俺カフェ行くから、あとよろしく〜」
 素晴らしい速度でガラスの箱は森の海へ向かいするすると落ちていく。
 隣で仏頂面のシックスサイドスが「これだから自分より強いアルギツの横は嫌なんだよなぁ」とぶうたれた。
「思い通りに物事進まなさすぎ。パチンコ以外お断りだよこの感じ」
「そう言うなって。ビアンコが一階の来客用カフェにいるかもしんねぇだろ?」
「いねーよ! もう二年半“お隠れ”になったまんまなんでしょ? そんな都合良くカフェに現れるわけないでしょうが」
「アルギツの長である俺に言う台詞かね」
「……アルギツ最強のゼリコが二年半探して見つからないんだよ? これってもうそういうことでしょ」
 遠くなる空を眺めながらレグホーンの指先が己のポニーテールをクルクルと弄っていた。
「俺はてっきりトオルとヴェルミリオの捜索をさせるために俺をヴァーテクス主事へ直々に推してくれたんだと思ってたんだが……、まさかビアンコ本人も探せって指示まで含まれてたとは、考えもしなかったねぇ」
 樹根核が半壊してからの二年半。
 世界はこうしてゆっくり破片屑を散らしながら回り続けている。
 己のアルギツに微塵の疑いもないレグホーンだが、世の条理はこのまま正位置で世界を形作っていけるのだろうか。
 これまで幾度となくビアンコは姿を消し、そして何事もなかったかのように現れた。
 その間隔は数日という短いときもあれば、年単位で消息を絶つときもある。
 だからこそその為に元老院があり、ヴァーテクスがあるのだ。
 ヴァーテクスがIICRを動かし、元老院はその決定に重みを付ける。
 レドグレイの時代まではヴァーテクスは五人制であり、全ての決済をこの小さな組織で担ってきた。
 だが、レグホーンが受け渡されたヴァーテクスには三人しか居ない。しかも内二人は副官であるため、実質ヴァーテクスはレグホーン一人といっても過言ではない。
 IICRは深刻な人材不足であり、少ない駒で必死に動くその様は極度の貧血にも関わらず全力疾走を余儀なくされる哀れな巨人のようであるとレグホーンは思う。
「まぁ……なるようになるか」
 今にも降り出しそうな曇天が木々の向こうに消え、エレベーターは彼のお気に入りのカフェがある一階へと到着し、扉が開く。