■ 5-94 ■






 誰かに肩を揺すられて目を覚ました。
 もう目を開けたくなんかないと思ってたのに、その誰かは何度も何度もずっとオレの肩を揺すり続ける。
 もうやめてほしくて目を開けると、そこには成坂亮の顔をした誰かがいてオレを見下ろしていた。
 きっと薬瓶を早く開けて飲んでしまえっていう催促だ。
 そんなにせかさなくてもきっといつかオレはこれを飲んでしまうのに。
 ポケットの中の毒薬はとっても甘くて美味しいに違いない──そう思えてならないから。
 それでもやっぱり恐くて、もう少し。もう少しだけ。
 シドがどこかへ行ってしまうその日までは。ここでこうして眠っていたいんだ。
 それなのにミトラはオレの手を引っ張りベッドから出そうとする。
 何がしたいのかわからなくてもう一度その顔を見上げた。
 その時少しだけ違和感を覚える。
 そうだ。
 このミトラには翼がない。
 あの白くて堂々とした羽根のない亮は、貧相でちっぽけに見えた。
 貧相なオレは白い患者服を着ていて何も喋らず、それでも強い力でオレを引っ張る。
 だから俺はかぶりを振り
「嫌だ。ここに居たいんだ。もう放っておいてよ」
 と手を振り払った。
 翼のないミトラは眉を少しだけ寄せ、困ったような顔をすると、もう一度オレに手を伸ばし掛け「トオル」と唇を動かした。
 そうしてミトラは次の瞬間消えていた。
 ぱしゃんと音がして、貧相な亮は水みたいに溶けてベッドやカーペットの染みになってしまった。
 オレは何故か酷く哀しい気持ちになって、その染みに背中を向けた。








 12番が帰ってこなくなってから何回眠って何回起きただろう。
 他の兄弟達は誰も12番のことは気にしていない。
 僕だって1番や4番や他の兄弟達が帰ってこなくなったときは気にしていなかった。12番が居なくなって初めてドアの方を眺めるようになったんだ。
 あのドアが開いて「ただいま13番!」って走ってくると良いなと思ってしまう。
 いつも胸の奥がもやもやしたり、キーンと冷えたりして気分が優れなかった。
 それからまた何回も夜が来て朝が来た。
 僕がいつも12番の話をするからついに、有伶様は仕方ないなって感じで別のお仕事を任せてくれる事になった。
 それは12番や1番、4番、9番、7番、6番……僕らの部屋から出て行ったみんなと同じお仕事で、別の部屋でまた一緒に暮らせるらしい。
 僕はワクワクしながらその日が来るのを待って、有伶様が迎えに来たときは嬉しくて他の兄弟達にいっぱい自慢した。
 もうこの砂部屋でお仕事をしているのは僕を入れて四人になってたけど、全員おめでとうと言ってくれた。
 早く他の兄弟達も僕らと同じ仕事が出来るようになると良いなと思った。

 お仕事は銀色の細長い卵みたいな形をした"ポッド"というものに入って金の泉に潜ることだった。
 ゴツゴツした岩場の中に広がった泉は眩しいくらいに光っていてとても綺麗だけど、とんでもなく熱くてそばを通っただけで身体がジンジン熱くなった。
 左側にある壁にくっついた建物には人が居るみたい。でも今僕の居る泉の前には"ポッド"を用意しているラボの人二人と有伶様しかいない。
 他の兄弟達はどこに居るんだろう。
 あんなにいつも騒がしい12番が近くに居たらすぐわかると思ってたのにちょっと残念だった。
「有伶様、12番はどこにいるの?」
 ラボの人に指示をしていた有伶様に聞いてみた。
 すると有伶様は僕の頭を撫でていった。
「13番は12番のことが大好きなんだね」
「うん。兄弟で一番仲良しだから、12番は"兄弟のすき"なんだよ。えっと……12番が言ってたんだけど──スルト様は"お父さんのすき"で、有伶様は"お母さんのすき"なんだって。それは間違ってるってずっと前12番に言ったんだけど、僕もホントはそうだったらいいなって思ってるんだ」
 僕が最近よく考えていることをヒソヒソ声で言ってみた。だって他のラボの人に聞かれるのはちょっと恥ずかしい。
「すきすき大好きだね。僕もあの本が大好きだよ」
 有伶様は優しい声で頷きながら僕の頭を撫でてくれたけど、僕の質問には答えてくれなかった。
 代わりに「僕も君たちを愛しているよ」としゃがんで僕を抱きしめてくれた。
 泉は熱くてジリジリ僕のほっぺを焼いていたけど、有伶様にギュッとされているとそれよりもっと暖かくて良い匂いがして、胸の奥がじわーってなった。
「13番のことを僕はとっても信じている。キミならきっと亮くんを助けられるはずだ。キミが12番を好きでいてくれるように、君たちのオリジナルである亮くんのことも好きになってくれたらなって思っているよ」
 耳元で聞こえた有伶様の声はとても優しい。
 亮が僕らの"オリジナル"だってスルト様も言っていたな。オリジナルっていうのはきっと“人間”のことだ。
 人間である亮は特別だ。だってお母さんから生まれてくるんだもの。
 僕らが亮とそっくりなのは、僕らは亮を真似て有伶様が作ってくれた新しいカタマリだからだと近頃は思っている。
 12番がいなくなってしまったから僕のこの推理は誰にも話していないけれど、もし12番に話したら絶対反対されそうだ。
 僕らだって有伶様のお腹から生まれてきたんだって、あの子はいつも言ってたから。
 そうやって改めて考えてみると、白い翼を持った僕らと同じ顔をしたあの子は僕らの一番のお兄ちゃんなのかもしれない。
 亮はいつも車いすに乗って眠っていて一度も話したことがなかたから、いつかはお話しできたら良いなと思ってた。
 だから僕は有伶様の腕の中で大きく頷いた。
「頼んだよ、13番」
 有伶様はそう言ってもう一度僕をギュッとしてくれた。
 白衣からいつものまずいお茶の匂いがして僕は目を閉じた。
 ラボの人が「準備できました」と僕らの方にやって来たので、僕は銀色の卵の中に入って寝そべった。
 ふわふわしたクッションに見えていたシートは寝転んでみると粘土みたいにひんやりしていて僕の身体を包み込む。
「みんな姿は見えなくても13番のそばに居るから大丈夫。怖くなったら耳を澄ましてごらん」
 卵の蓋が閉まるとき、有伶様はそう言って僕のほっぺを撫でた。
 僕の乗った"ポッド"が何かに持ち上げられ、そしてどこかに降ろされる。
 ジワジワと汗が出てとても熱かった。
 きっと泉の中だと思ったけど、ポッドの中は窓がない。真っ暗で何も見えない。
 だから僕は目を閉じた。

 どのくらい熱かったかな。
 気がつくと急に辺りがひんやりして、そっと目を開けた。
 どんな魔法なんだろう?
 とってもとっても広い部屋に僕はいた。
 どこまでも黄色い床が続いている。
 でもその床はゴツゴツしていて、僕らの家やラボとは全然違っていた。
 壁がない。どこにもない。
 天井もない。灯りもない。灯りもないのに周りが全部綺麗に見渡せる。
 そう、見渡せるって言葉を初めて使うくらいとても広いんだ。
 上を見上げると天井のないその先は青色をしていた。
 これは空なのかな?
 空だから大きな丸いものが二つ上の方にくっついて見えるのかな。
 じゃああれは太陽と月なんだ。
 僕は身体をグルグル回転させ辺りを見回し、首を折り曲げて上を見たり下を見たり──ひとしきりした後、一つの結論に達した。
 ここは──"外"だ!
 太陽が全然眩しくないのはきっと本が大げさに言ってたからに違いない。
 外に出てみたいってずっと思ってたけど、こんなに早く夢が叶うなんて嬉しくなって僕は走り出した。
 黄色いボコボコの床は多分"地面"だ。
 廊下と違って石ころがいっぱいだから転ばないように足を高く上げて走る。
 空気が顔に当たって髪の毛が後ろに引っ張られる。
 "風"が吹いてるんだ!
 すごい! すごい! 周りに風を吹き出すものが何もないっていうのに、エアコンの風よりもっと強く僕の髪を靡かせる。
 外に行くときは連れて行ってって12番が言っていたことを思い出す。
 ああ、12番と一緒に走ったらきっともっと楽しいだろうな。
 そう思って周りに居ないかもう一度見回してみた。
 するとちょっと離れたところに兄弟の一人がしゃがみ込んでいるのを見つけた。
 黄色い石ころだらけの地面に座って膝を抱えている小さい影。
 僕は12番かもしれないって思って走って近づいた。
 でも近くに行ったらそれが12番じゃないことはすぐにわかった。
 だってその兄弟の背中には小さな羽根がくっついていたから。
「亮だ」
 僕は目の前まで近寄って顔を覗き込んだ。目を開けている亮は本当に僕らと同じ顔をしてて嬉しくなる。亮は人間なのにやっぱり僕らと同じ"僕ら"なんだ。
 けれど亮はまるで僕が見えていないみたいにぼんやりと前を向いて、ちっとも動かない。
『13号、聞こえるか』
 スルト様の声がどこからか聞こえてきて、僕は一瞬びくっと肩を竦め辺りを見回した。
 でもここには僕と亮しかいないみたい。
『亮に仕事をさせるんだ。あいつのポケットに入っている指示書通りに砂粒を選り分けて、違う流れに入れたり別の場所へ固めたり、いつもおまえがやっていることを亮に教えてやれ』
「亮の先生になるの? 僕が?」
『そうだ。指示書が終われば今日のおまえの仕事もおしまいにしてやる。──おまえは他と比べて優秀だと有伶から聞いている。がっかりさせるなよ』
 いつもみたいに静かで怒った声でそう言うと、スルト様はそれっきり何も言わなくなった。
 僕は褒めてもらえた分もがんばらなくちゃいけない。
 だから亮に声を掛けた。肩も揺すってみた。
 でも亮はますます身体を丸くして鼻を啜った。
 亮の目の周りがキラキラ濡れていてびっくりする。
 睫毛が束になっていて瞬きする度にぽろぽろと水の粒が流れ落ちていた。
 泣いてるんだ──って思った。
 人が"泣く"ってことを僕は本で読んだことがあるけど、本当に目から水が出るんだ。
 綺麗だったから指先で触ってみた。
 あったかくて、舐めたら塩味だった。
「亮、立って。お仕事しよう」
 僕が力一杯引っ張って立たせると、やっと亮は顔を上げた。
「……だれ? オレ?」
 亮は本当に何も知らない。
 僕らと自分の区別も付かない。
 兄弟達に話してみてもみんな首を傾げただけだったけど、僕は、みんなが違う景色を見ている別のカタマリだと思うんだ。
 そう考えるとちょっと寂しい気持ちになる代わりに、もっと新しいことを知って前に前に進んでいきたくなる。
 何も知らない亮は生まれたばかりの兄弟みたいだった。
「違うよ。僕は13番」
「じゅーさん、ばん……」
「僕が一緒に居るから泣かないで」
「オレ、シドに逢いたい。じゅーさんばんはどこにいるか知らない?」
「逢いたい人が居るから泣いてたんだね。僕も12番に会いたいんだ。でも泣いてないよ」
「どうして? 逢えないのは寂しいよ」
「だってこれから探すから。僕の近くに12番が居るって有伶様が言ったから」
「有伶さんが? じゃあきっと見つかるね」
「うん。だから泣かない。僕は泣いたことない。亮も一緒にシドを探そうよ」
「……みつかるかな。こんなに広くて何もない場所、無理だと思う」
「でも泣いてても見つからないよ?」
 亮が何を言っているのかよくわからなくて僕は首を傾げた。
 広くたって探していれば見つかるはずだ。
 外はずっとどこまでもつながってる。
「僕がやり方を教えてあげる。一緒に逢いたい人を探そうよ」
 僕がそう言うと、亮は初めて少し笑って袖でゴシゴシ目を擦った。
 するとなにもなかった黄色い地面に大きな白い河が現れた。
 ゴウゴウ音を立てて流れる河は全部砂粒で出来ていて、見る角度で虹色に輝いていた。
 僕らの仕事部屋だった砂場なんか及びもつかない大きさにちょっとだけ怯んでしまったけど、僕は亮の先生なんだからそんな様子は見せちゃ駄目だとわざとキビシイ顔をして見せた。
「お仕事やりながら一緒に探してあげる。シドの砂は何色をしてるの?」
「……? 砂……。シドは人間だけど、もし色が付いてるならきっとトマトよりもっと綺麗な赤色をしてるかな」
「人間は色の付いた砂粒だってスルト様は言ってたよ。その砂粒に全部入っててたくさんの小さな世界を順番に渡っていくんだ。だからシドの砂もきっとあるはずだよ」
「……そっか。オレ、探してみる。じゅーさんばんの探してる人も、オレ、一緒に探すね」
「うん。じゃあまず、砂を選ぶやり方を教えるからこっちに来て」
 僕が手を引っ張ると、小さな羽根をパタパタさせながら亮がついてくる。
 亮は僕らのお兄ちゃんのはずなのに、弟みたいだなと思えて少し嬉しくなった。