■ 5-95 ■





 その日の仕事が終わり、僕らは帰ることになった。
 初めての仕事だったから、亮はなかなかうまくスルト様の言っている砂粒が探せなくて時間がいっぱい掛かってしまった。

 ──── Ding-dong Ding-dong

 虹色の砂の河の光を暗く押し沈めてしまうみたいに、どこからともなく大きな鐘の音が響き渡って僕はビクッと身体を竦めた。
 ここに吹く風や月の光やそんなものたちとまるで違う何かで出来た鐘の音はとても怖い感じがして、亮の顔を見る。
 亮は不思議そうに辺りを見回すだけで、僕みたいに怖がってはいないようだった。ただ、亮の髪の中に埋もれている金色の輪っかがキラキラしてとても綺麗だ。
 次の瞬間僕は自分の身体が熱くてとても喉が渇いているのを感じる。
 目の前は真っ暗になっていた。
 怖くて手を伸ばしたけど、直ぐに硬い何かに当たって身動きも出来なかった。
 有伶さまを呼んでみた。
 何度も呼んでみた。
 そうしたら目の前がパッと開けて、有伶さまが僕を覗き込んでいた。
 
「お疲れ様。よく頑張ったね」

 有伶さまはお母さんみたいに優しく笑って僕を抱き起こしてくれ、新しい靴を履かせてくれた。
 身体中重たくてどこもかしこもヒリヒリしていたけど、僕はちっとも嫌じゃなかった。
 有伶さまに手を引いてもらって、金の泉の畔を歩く。
 入ってきた入り口とは逆方向へ進んでいくと、壁に貼り付く窓の大きな建物が近づいてきた。
 その影に隠れるみたいに白い建物があるのが見えた。
 きっとココが僕らの新しい部屋で、中では12番や1番や4番や、新しい仕事をしているみんながいるに違いない。
 やっとみんなに会える!って、僕は嬉しくなった。
 けれど、扉を開けてみたら、隅っこに小さなテーブルと椅子、クローゼットが一つずつと小さなおもちゃ箱が一つ。それから四つの棚が倉庫みたいに並んで置かれているだけだった。どれも硬い金属で出来ていて、触ったら生暖かかった。
 棚は全部段が一つしかなく、腰の高さくらいの板の上に"ポッド"が一つずつ嵌まっている。

「有伶さま、みんなはこのお部屋じゃないの? 12番は?」
「……12番は今日はもう眠ってしまっているはずだよ。このお仕事はとても疲れてしまうから」

 そうか、と思った。
 このポッドはベッドの代わりで、この棚のどれかで12番は眠っているんだ。
 僕は嬉しくなって部屋へ駆け込むと、全部の棚の中を覗き込む。
 けれど、どれも銀ピカに光っていて、僕の顔がくにゃりと歪んで映るだけだった。

「すぐに食事を運ばせるからシャワーを浴びておくといい。着替えはクローゼットに入っているからね」

 言われて初めて気づいたけれど、僕の服はゼリーみたいなものがくっつきトロトロになっていて、袖や胸やお腹や膝の所や──いくつも大きく穴が空いてしまっていた。

「今日は疲れたね。ゆっくり眠りなさい。おやすみ、13番」
「おやすみなさい、有伶さま」

 有伶さまは僕の頭をまた撫でてくれて、そして部屋を出て行った。
 お腹は全然すいていなかった。
 シャワーを浴びると身体の色んな所がぷくぷく膨れていて、少し痛かった。


 御飯を持ってきてくれた係の男の人は見たことのないラボの人で、僕が食欲が無いって伝えたら
「じゃあさっさと寝ろ」
 と言って僕をポッドの一つへ引っ張っていった。
「服を脱いでから入るんだ」
 意味がわからずぽかんとその人を見上げたら、彼は少し苛ついたみたいに顔をしかめ、僕の着ていた真新しい白い服を全部剥ぎ取ってしまった。
 それからポッドを操作し重たそうな蓋を開けて僕を放り込む。
 中は温いゼリーでたっぷりしていて、そのゼリーに包まれた僕の肌から痛みが消えていくのを感じた。
「他の兄弟もベッドで寝てるの?」
 と聴いてみたら、
「兄弟?」
 と変な顔をされて、次に吹き出すみたいに笑われた。何がおかしかったのかわからなかったから、
「どうして笑うの?」
 と聴いてみたけど、それには答えてくれなくて代わりに
「明日は別の個体を使うからおまえは待機だ」
 と言われ、重そうな銀色の蓋はいとも簡単に締められてしまった。
 青白い照明がゼリーの下からぼんやりと光っていて少しの間僕の顔を蓋の裏側に映し出していたけれど、それも徐々に暗くなりすぐに息苦しいほどの真っ黒が僕を取り囲んでいた。
“別の個体”ってもしかして12番かもしれない。
 さっきは他のポッドの蓋を叩いたりすることはしなかった。
 だってみんな疲れて眠っていると思ったから。
 でも急に僕はみんなに会いたくて我慢できなくなって目の前の蓋をドンドン叩いた。
 ここから出たくて手を突っ張らせたり足で蹴ったりした。
 それでも真っ暗な塊は重くてびくともしないから、僕はできる限りの大声で「12番!」って呼んでみた。
 でも僕の声が跳ね返って耳に響くだけで外の音は何も聞こえない。
 何も見えない。
 ただ真っ暗で僕が息をする音だけが聴こえる。
 恐くて寂しくて有伶さまの名前を呼んだ。
 目がジワリと熱くなってボクは瞼を閉じた。
 何かが溢れる感覚。
 もしかしたら僕も亮みたいに泣いているのかもしれない。そう思って目の所を触ってみたけど、ゼリーまみれの手だと触っても涙が出ているのかはよくわからなかった。
 きっとこんな日は今日だけだ。
 明日はお仕事から帰ってきた12番を眠らないで待っていよう。
 12番はきっとビックリするに決まってる。
 二人で今まであったことや、今日見つけた綺麗なモノや、亮とおしゃべりしたことや……いろんな事を話して眠くなるまでずっとしゃべっていよう。
 だから暗いのも寂しいのも今日だけ我慢したらいい。
 早く明日が来たらいいのに。
 そうだ。明日が待ち遠しい。
 僕はそう思うと少しだけ落ち着いて、眠ることができた。



 何日経ったかな。
 もう三日もポッドの中でウトウトしている。
 だんだん僕がお仕事に呼ばれる回数は減って、亮に逢いに行くまでの感覚は長くなっていった。
 きっと僕の身体の調子が悪くてあまり動けなくなってきたからだと思う。
 体調が悪いときは休んでいいよ──って有伶さまは仕事の前、いつも抱きしめてくれる。
 だから僕はまた頑張ろうって思う。
 有伶さまが褒めてくれるように。
 有伶さまが笑ってくれるように。
 それに亮もだんだんお仕事が上手に出来るようになってきた。
 スルト様の指示書通りに砂粒を見つけられたときは、時々だけど亮も笑ってくれた。
 亮はいつもボンヤリしている。
 僕のことも会うたび覚えていたり忘れていたりで、亮は頭の中も心の中もいつもぽっかり穴が空いているみたい。
 何度か12番や他の兄弟のことを聞いてみたんだけど、亮は首を傾げるだけで何も覚えていなかった。
 僕が休んでいる間は12番や他の兄弟が亮の先生をやっているはずだって話したら、何も覚えていない亮は「今度12番に会ったら13番が会いたがってるって言っておくよ!」と約束してくれた。
 きっとまた亮はすぐに忘れてしまう。それでもそんな風に言ってくれる亮を兄弟みんなで応援するのはとても楽しいお仕事だと思った。
 亮が上手に出来たときは
「よくできました」
 って褒めてあげるんだ。
 褒められたら嬉しくなる。嬉しくなるのはとても嬉しいことだから、僕はいっぱいいっぱい亮を褒めた。
 亮はずっとシドを探していて、僕も真っ赤な砂粒をいくつもいくつも目を皿にして探した。
 でも、どんなに赤くて綺麗な粒を持って行っても、亮は「これじゃない」って言うんだ。
 シドの粒はどれほど綺麗な赤色をしているのか、僕もとても見たくなってしまった。
 亮は会う時はいつも泣いている。
 だから早くシドに逢えたらいいのにって思う。
 僕も部屋に帰るたびに棚のポッドへ「ただいま!」って言ってみるけど、蓋はずっと閉まったままで少し寂しい。
 部屋にいるときはとても疲れているから、みんな眠っていて話ができないんだろうな。
 でも亮が一人前になってシドの粒も見つけられたら、また僕らは一緒に元の大きな部屋に帰って大きな砂の部屋でお仕事をするんだ。
 今度はたまには亮も一緒にやれたらいいなって思う。
 有伶さまにそう提案したら「そうだね」って笑ってくれた。
 だから早く亮を一人前にして、シドを見つけて僕らは。僕も12番もまた元の部屋で一緒に暮らしたいなぁ。


 今日は久しぶりのお仕事だった。
 体調はあまり良くなくて、今では泉のポッドに行くのに車いすで運んでもらっている。まるで亮みたい。
 でも泉に潜って黄色い地面のある“外”へ行くと、そこではちゃんと動けるから平気なんだ。
 亮は今日も膝を抱えて泣いていたけれど、僕を見つけると涙を拭いて立ち上がって
「13番!」
 と僕の名前を呼んでくれた。
 今日は僕を覚えてくれてる日だ! とっても久しぶりなのに嬉しくてくすぐったくて、それに他の兄弟もみんな同じ顔をしてるのにすぐに僕だってわかってくれて、僕はやっぱり亮のことも好きだなぁと思った。
 だから僕も手を振り返して走ろうとした。
 でも上手く走れなくて転んでしまった。
 亮が心配そうに走ってくる。
 なんとか立ち上がろうとしたけど、やっぱり上手くいかない。
 亮の顔が泣きそうに見えたから、僕は「泣かないで」と言った。
「13番、痛い?」
 亮が僕を抱き起こす。
 転んだ傷は痛くなかったけど、身体に力が入らなかった。
 体調悪いときは休んでいいよって有伶さまは言う。
 だから今日は帰って休んで明日また来ようと思った。
「痛くないよ、平気」
 と答えると、思ったよりも声が小さくなってしまって亮はもっと泣きそうな顔をした。
「ちょっと休んで、またくるよ」
「……うん。じゃあもし12番が来たら、13番が会いたがってるって言うよ」
 僕が12番を探していることも、今日の亮は覚えていてくれた!
 本当の本当に亮は兄弟みたいに思えて、胸の奥に熱くて甘いハチミツジュースがいっぱい溢れたみたいな感じになる。
 不思議な感覚。
 僕が黙っていると亮は泣きそうな顔で一生懸命
「約束する!」
 とうなずいて見せた。
 だから僕は
「ありがとう。おねがいね」と言って、
「また明日」と笑った。
「また明日」と亮も笑った。


 僕はポッドへと引き戻され泉の縁に引き上げられていた。
 蓋が開いていつもの男の人が僕を見下ろし「うえっ」と言った。
 身体中が痛くて僕はいつの間にか有伶さまの名前を何度も呼んでいた。
 でも今日は近くにいないみたいだ。
 ラボの人は二人いて、僕はいつもの車椅子じゃなく、木の棒の間に布を張ったようなベッドへ乗せられ、ひとりぼっちで部屋へ運ばれていく。
 壁に貼り付いた建物のすぐ脇に鉄製の大きなダストボックスがある。
 いつもは閉まっているその箱の蓋が、今日は跳ね上げられていた。
 なぜか僕らはその前で止まっていた。
 どうしたんだろうと、濁った視界でそちらを見ようとしたときだった。
 僕の身体はふわりと持ち上げられ、暗い世界へ放り込まれる。
 ベチャンと音がして、鈍い痛みが僕の全身を震えさせていた。
 鼻の奥が痛いほどにキツイ臭いが立ちこめていて息が出来ないほどだ。
 僕は一刻も早くここを出たくて、係の人に
「ここは嫌だ」「早く出して」
 とお願いした。
 でも僕の声は聞こえてないみたいで、彼らは二人で話し込んでいる。
「汚れちゃったよ」
「今日はハズレ担当になりそうな予感したんだよな」
「ほんと、調整用コピーの担当はラボの最底辺職だわ」
「前回も俺引っかかっちゃってさ」
「マジ? 連チャンで? うへぇ、ついてないな」
 だから僕はもう一度
「有伶さま!」とできる限りの大きな声で叫んだ。
 なんとか立ち上がろうと身体を動かし腕を光の差す上へと伸ばす。
 周りは生暖かくて臭い何かが密着していて、僕はその塊の一つを残った左腕で横へ寄せようとした。
 少しだけその塊が動いて小さな四角に降り注ぐ黄金の光に照らし出される。
 僕はそこで息を止めた。
 息だけじゃない。
 何もかも止めて僕の身体にピッタリ寄り添ったその生ぬるい塊を。
 金の光に照らされたそれを見た。
 僕と同じ顔。
 片方の目は無くなって穴が空いているだけだったし、唇は崩れて取れてしまっていたけど──それが12番だって僕にはすぐにわかった。
 だって何も無かった表情が、僕と目が合った瞬間少しだけ動いたから。
 いつも笑ったり怒ったり忙しかった12番は、いつもより控えめだったけどやっぱり嬉しそうに笑ってくれたから。
 軋んだ音がして金の光は細くなり、そして全身が潰されるみたいな鉄の音と共に全部の光はなくなった。
 もう何も見えない。
 12番も。他の兄弟達も。
 伸ばすべき手も動かない。
 有伶さまを呼ぶのはやめた。
 ただ、息だけしていた。
 僕はやっとわかった。
 僕たちの役目。
 僕たちはやっぱり人間じゃない。
 僕たちはやっぱり人間にはなれない。
 でも、有伶さまは嘘をついてなかった。
 捨てられてしまった僕らを迎えに来てくれる人はもう誰も居ないけど。
 きっと12番と外に出て海や魚や動物を見に行くことはできないけど。
 僕らはまた同じ部屋で一緒に過ごすことになったんだ。
 ねえ、亮。
 また明日って言ったのに、行けそうにないみたい。ごめんね。
 亮はシドとこの部屋でないどこかで。
 できれば広い広い外の世界で。
 一緒に走ったり飛んだり出来る場所で。
 逢えたらいいね。
 逢えますように。
 逢えますように──。