■ 王様と子供とペンギンの話・2 ■




 何がどうなっているのか全く理解できていない亮は、その場に立ち止まったまま目を見開いてその光景を見つめている。
 ちびっ子はあのシドの足に恐れげもなくからみつき、シドは変わらぬ無表情のまま流ちょうな英語で何やら子供に語りかけている。
 あの子はシドをダディーと呼んでいた。そのくらいの英語は亮にだってわかる。
 よく見ればあの赤系の髪はシドに似ていなくもない。
 そう言えば、前にレオンから聞いたことがある。シドは昔、股間の乾く間もないほどだったと。
 その『コカンノカワクマモナイ』というのがどういう意味なのかはよく分からなかったが、どうやら女の人にモテていたという意味らしいということだけは何となく理解している。
 考えてみれば亮と出会う前、シドが何をしていたかなど亮は何一つ知らないのだ。
 勝手にずっとS&Cソムニアサービスで働いていたと思っていたが、それより前はIICRにいてカラークラウンなんかをやっていたのだし、お嫁さんの一人や二人や三人くらいいたっておかしくはない。第一シドはすっごくエロい。ということは、子供の一人や二人や四人くらいいたっておかしくないわけで――。
 亮の脳裏を電光石火でシドの歴史(想像)が巡る。
 呆然と立ち尽くす亮の方へ、シドが子供を連れて近づいてくる。
 痛がるいたずらっ子の耳を引っ張り上げ、無理矢理こちらへ連行してくる様はどう見ても仲の良い親子そのものだ。
「なんだその顔は。こいつに何かされたか」
 亮のあまりの顔色に、シドは亮の顎をくっと持ち上げ顔を寄せる。
「――っ、なっ、なんで言わないんだよっ! かっ、隠し子がいるって!」
 近づいたその顔に、亮は呪縛でも解かれたかのように声を上げた。
「…………。」
「秋人さんは知ってるのか? そんな小さな子置いてずっと日本にいていいのかよっ。奥さんは……むぐっ」
「落ち着け、馬鹿。なぜそう簡単におまえは人に騙されるんだ」
 捲し立てる亮の口を大きな手のひらで塞ぎ、頭痛でも起こしたかのように渋い顔でシドは辺りをうかがう。
 シドの目立つ容姿と今の会話で三人は注目の的になっていて、特におばあちゃんから女子中高生まで女性陣からの視線は突刺さらんばかりである。
「ちょっと来い」
 まだパニック状態で言い募ろうとする亮を半分抱きかかえるようにシドは引っ張っていき、ペンギン舎の影にあるベンチへ座らせていた。
「っむー……。っ、ぷはっ、いってーなっ。何すんだっ」
「まったく……、おまえはろくな真似をしないな、キース」
 しかし不愉快極まりないと言った静かなトーンで語られるシドの言葉は亮に向けられたものではなく――、その視線の先を辿ればさっきから笑いこけている幼児の姿。
「はははっ、意趣返しだ。そもそもアンタが機構を抜けてからの俺の苦労はこんなもんじゃ済まねぇレベルだったんだからな。ちったぁアンタも悪い目見りゃいい」
 幼児の口から流ちょうな日本語が飛び出し、亮は目を剥いてその顔を眺める。
 そばかすだらけの子供は「いひひひ」と子供らしからぬ笑い声を上げ、シドの腿の辺りをゲンコツで数回殴ってまた笑う。
「キミ、日本語……しゃべれるの?」
「ああ、sorry,honey――。日常会話程度なら、な。あんまりアンタが可愛いからイタズラしちまった」
「何が日常会話だ。一度は日本人をやってるだろう、おまえは」
「へ――?」
「よく人の転生歴まで覚えてんな」
「おまえは口から出任せを言い過ぎる。事実を把握していなくてはまともに会話にならん」
「っ、待って待って! この人、ソムニアなの? こんなちっちゃいのに!?」
 未だ状況がつかみきれず混乱をきたす亮に、キースと呼ばれた赤茶髪の幼児は改めて近寄るとまるっこく小さな手を差し出した。
「初めまして。おっちゃんはキース・ロイド、四歳だ。転生12回目。イザではキングの次の次の次くらいはやる男だぜ」
 出された小さな手を握り返すことも忘れ、亮は見開いた目でキースを眺める。
「…………。」
 おっちゃん、四歳。――ソムニアというものがこういうものだとわかってはいても、この感覚にはいつまでたっても亮は慣れそうもないと思った。
 そんな亮の様子に白い歯を見せ笑顔を作ると、キースはまるで大人のやり方でぐっと亮の手を取り力を込める。
 挨拶もそっちのけで、されるままになりながら亮は大きな眼をぱちくりさせるばかりだ。
「キースさん、はソムニア、なんだ。え、でも、シドのことダディーって……? 」
「honey、そりゃ冗談ってヤツだ。こんな顔からこんな顔が生まれるとなりゃ、お袋が俺そっくりしかありえねぇってことだろ。ちょっと考えてみてくれ、――いやいややっぱり考えるな。そんな悲劇、どこを主軸で嘆けばいいか見当も付かねぇ」
 立て板に水の如く流ちょうな日本語を繰り出しながら、シドと自分の顔を指さし肩をすくめて見せる彼のそのポーズは、あまりにも板に付きすぎている。
 彼が普通の子供でなくソムニアだというならそれも納得だが、それでも実際にその様子を目の当たりにするとアメリカンコメディーのワンシーンでも見ているかのようだ。
 きっと英語で亮に喋りかけていた時も、この調子の中身のないマシンガントークを適当に繰り出していたに違いなく――これでは自分にヒヤリングできるはずもないなと苦笑が滲む。
「変わらずやかましい男だ。12回も転生していてまだ落ち着かんのか、おまえは」
「キングよ。そっちは変わらず年上を敬わねぇな」
「もういいだろう。離れろ」
 キースの文句などさらりと無視し、シドは明らかにいいとは言えない機嫌を隠さぬまま、未だに亮の手を両手で撫で回していたキースを大人の力で引き離す。そのまま首根っこをつかみぽいっと放り捨てればしかし、まるで猫の子のような身のこなしで幼児はふわりと床に降り立っていた。この動きを目の当たりにすれば、完全にソムニアのそれだ。
 だがそんな仕打ちにめげることもなく、そのまま性懲りもなく亮の横の席へへぴょんと座ったキースに、シドは辟易した様子だ。
 ご家族連れも多い水族館という場所柄、この見た目の男にあまりの無体は働けない。幼児虐待で警察にでも通報されたらコトである。
「いいじゃんなー? おっちゃんとお兄ちゃんはチュウまでしちゃう仲良しさんだもんなー?」
「…………! あ、っ、あ、あれは!」
 さきほどまでの状況を言われて思い出した亮の頬が真っ赤に染まる。
「だってキースさん、オレ、ちっちゃい子だと思ったからっ」
「かーわいぃねぇどーも。で? お兄ちゃんのお名前は?」
 この言い回しといい行動といい、ナリは小さいながら亮にも彼がおじさんにしか見えなくなり始めていた。自然に口調も年上に向けてのものに変わっていく。
「あ、す、すいません、オレ名前言ってなかった。オレは――えっと、亮。名前は明神 亮、で、……種はマナーツです」
 自分のソムニア名を思い返し、成坂の名を名乗らないよう気を配りながら亮が答えれば、キースは無邪気な顔でニコニコ笑う。
「亮ちゃん、か。キングんとこのバイトだろ? どーせこき使われていじめられてんだろーなぁ、さっきの様子を見るに。はぁ〜可哀想に」
「キングって? シド、のことですか?」
 先ほどから彼の口より漏れるこの聞き慣れない呼び名に首を捻ってみせれば、キースは肩をすくめて情けない顔をしてみせた。
「ああ……、おっちゃんはヴェルミリオ政権の時この人の副官をしてたんだ。だからこのひでぇ男が俺の王様。イザ種ユニオンで俺の直属のボスだった」
「へぇ! キースさん、イザの副官だったんだ。……シドの部下ってめっちゃ苦労しそう……」
「わかってるねぇ、honey。本当に酷い王様で日頃俺をこき使うだけじゃ飽きたらず、勝手に問題起こしてIICRへ離反状叩き付けるし、後始末が大変な上方々から恨みを買ってるせいで後任のクラウンはなかなか決まらないしで、心労のあまりおっちゃん倒れてそのまま死んじゃうレベルだよ」
「っ!? か、過労死!? まじで!?」
「嘘を教えるな。おまえのはどうせ計画死だろうが。――それよりも、話は俺にあるんじゃないのか。さっさと用件を済ませろ」
「わーかったわかった。じゃ、亮ちゃん、ちょっとキミのキングを借りてくぜ? いい子で待ってな」
 やれやれと肩をすくめて見せたキースは、亮へウィンクを寄越すとぴょんとベンチを飛び降り、シドの先を歩いていく。
 シドは一度ちらりと亮へ視線をやると、「すぐに戻る」と一言添えて後に続いていた。




 トイレ横の喫煙スペースをちらりと眺め通り過ぎると、階段傍にある休憩スペースでシドは足を止めていた。
 人気のないその場所で安っぽいサーモンピンクのソファーへ腰を沈めた彼は、目の前に立つ元部下の顔を眺める。
 そばかすの目立ついたずらっ子然としていた表情はいつのまにか、随分とまじめなものに変わっているようだ。
「悪いな。このナリじゃ煙草も付き合えねぇ」
「その肉体年齢で外回りを任されるなど、今の機構はどうなっている」
 座ってようやくまともに顔が眺められるような小さな姿の者が、このようにIICR外へ職務をこなしに出てくることなどシドの経験上ないことだった。
 当の本人も同じ感想なのか皮肉げに唇の端を弛めて見せる。
「アンタも聞いてんだろ。ここ数年、ソムニアの転生年数が遅い方向でずれ込んでる。その長さはまちまちだが、中には即帰種で10年近くの未帰還者もいて事態は深刻なんだ。どうやら上はその理由について何かつかんでいるらしくてな。状況緩和の為のシステムを作り出したって話だ。イザは即帰種の中でも群を抜いてお手軽だからな。俺が計画死を実行したのもそのシステムの実証実験の為ってわけ」
「システムはうまく作動している――ということか」
「いや、それがなんとも。俺はうまくいったが、他数名がまだ戻ってきてねぇ。どうにも不安定な代物らしい。自分でもよくあんな恐ろしい機械の試運転に志願したと思うさ」
「――なるほど」
「まぁ事態はソムニアだけじゃ済んでねぇんだ。世界人類のためにIICRはお仕えしなきゃなんねぇんだから、誰かがやらなきゃならない仕事ではあったからな」
「しかし機構が作ったシステムなど小さなものだろう。全人類に向けて使用できるとは思えないが」
「そこんとこはアレだ、追々規模をでかくして――みたいなことだと理解してるが。なんにせよ今世界はけっこうめちゃくちゃだぜ。一般人もようやくこの状況に気づき始めてる。ソムニアみたいにはっきりマーカーがつく相手なら転生頻度もよくわかるが、一般人にはそれがないせいで十数年以上彼等の認識は遅れてるからな。だが一旦それに気がつけば世界が鳴動するのは早い」
「――それが今回の訪日理由、か」
「ざっくり言えば。細かいことを言えば日本警察のお手伝いさ。今極東を中心に動いている新興宗教団体で『環流の守護者』ってヤツら、知ってるか? こいつらはここ数年アホみたいに信者を増やしてどんどん力をつけてきてる。一般人を大量虐殺して転生道の浄化を図ろうってのがこいつらの教義だもんだから、インセラのテロ活動が元気元気。セラでやらかされるテロには一般の警察や軍隊もうまく対処できねぇってことで、ウチにお鉢が回ってきたわけなんだが──」
「IICRも相当な人手不足らしいな」
「ご明察。俺みたいな現実世界じゃまだまだネンネで役立ちそうもない輩ですらこうやってこき使われる始末になっちまってる。このナリで警察の皆さんに指示するとか酷過ぎるぜ」
 公的な機関にはソムニアへの理解が浸透しつつあるとは言っても、まだまだ一般人の感覚から抜け出ているとは言い難い。四歳児によって指揮される働き盛りのエリート警察官たちの様子を想像すれば、キースのこの嘆きも致し方ないといったところだろう。
「それで? 俺にどうしろと? おまえのサポートについてそのテロ集団の首謀者でも炙り出せということか? それならまずはうちの社長に話を通すことだ」
「ははっ、もちろんアンタに手伝ってもらえるならこれ以上ない援軍だが──俺が今回ここに来たのはそんな些末な助っ人依頼じゃないんだ」
「……」
 シドは元部下のこの男が何を言わんとしているのか、まるでもうわかっているかのように舌打ちをしていた。
「そう嫌な顔しないでくれ。悪い話だとは俺は思わねぇ。アンタだって今の境遇に満足してる訳じゃねぇだろ? 金の話だけじゃない、アンタの大好きな仕事のでかさも桁が違う。首を縦に振ってくれさえすれば、事情もしらねぇでアンタを見くびってるような官僚連中や構成員どもは一発で黙る。いけ好かねぇヘタレクラウンどもも意気消沈して涙目でこっちの顔色うががうようになるだろうし、いいことずくしじゃねぇか。アンタだけじゃねぇ、副官の俺も気持ちがスッとするってもんだ」
「周りの連中の雑音などどうでもいい。おまえとてそんなことを気にする玉ではないだろう」
「いやいや。俺は意外と器のちいせぇ男なのよ」
「…………」
「な、キング。カラークラウンへの復帰、考えてみちゃくれねぇか」
 黙り込んだまま決してうなずく気配のない元上司に対し、キースは真剣な表情で語りかける。
 そこには先ほどまでのふざけた空気はみじんも残っていない。灰褐色の瞳は強い光でシドを捕らえていた。
「上からも直接打診されてんだろ? 裏でウチを手伝ってるって話も聞いてる。もういいじゃねぇか、意地はるなよ。ラシャもアンタが戻るならクラウン降りるって言ってるんだ。イザはみんなヴェルミリオの帰還を待ってるぜ?」
「おまえまで担ぎ出されて来るとは――。もう少し利口なヤツだと思ったが」
 目を閉じ静かに紡がれる言葉は完全に拒絶のそれで、キースは苦笑を浮かべつつ背を近くの柱へ預け腕を組んだ。やはり思った通り、敵は手強い。
「わるぃね。四歳児はまだ知恵がついてねぇんだ。――IICRはここ一年、クラウンクラスの転生刑が相次いだこともあって内部の柱がグズグズだ。ラシャはまだ経験がたりねぇし、他種のクラウンたちもそんな連中が増えてきてる。アンタが戻ってくれればもうちっと内部がシャキッとするはずだし、テロなんか蔓延らせることもねぇ」
「…………」
「キングを目の仇にしてた連中の多くもすでに機構にいない。まぁ、多少は――アンタを嫌いな人間も残っちゃいるが、そんなの今に始まったこっちゃねぇだろ? 頼むよ、俺の顔を立てると思って首を立てに振ってくんねぇか」
 その幼い容姿には不釣り合いな大人な光を湛え、灰褐色の瞳はシドの心の底を探るようにじっと据えられている。
「…………」
「俺の今回の訪日──これが真の目的だ。俺にしかできねぇ仕事だって──上も、俺自身も思ってる。……俺のこの考えはうぬぼれかねぇ」
「わかっているなら上等だ」
 シドはすらりと立ち上がると随分下にある元副官の顔を見下ろす。
「用がそれだけなら俺は行く。おまえも補導されないよう気をつけて帰るんだな」
「──はぁ。キング、アンタ頑固過ぎるぜ。それとも何か? あのマナーツのちびちゃんとお遊戯みたいなぬるま湯生活してる方がいいって? イザ・ヴェルミリオともあろう者が情けねぇ」
「煽るな。俺は機構に戻る気はないと言っているだけだ」
「よく言うぜ。俺がちょっと触っただけで目くじらたてたの覚えてんだからな。そんなに可愛がってんなら、お小姓としてあの子も機構に連れてくればいい。あんたのバンドル品ならたとえ能力がお察しだろうと上も黙認するだろ」
「くどいぞキース。見当外れのくだらん戯れ言ばかり言うその口をいい加減閉じろ、馬鹿が。四歳児にはまだおしゃぶりが必要なのか?」
 じろりと一瞥された視線に剣呑なものを感じ、つきあいの長い彼は肩をすくめて口をつぐんだ。
 顔色も声音も表情すら何も変わっていないが、この男が本気で黙れと言っていることを敏感に察知してしまう自分が嫌になるとため息が出る。
「……わかったよ。今日はとりあえず帰ってママのおっぱいでもしゃぶって寝てやる。俺のママはまだ22歳のピチピチなんだ」
「そうしろ。煙草がつきあえる歳になったらおまえの話も聞いてやる」
「そんなこと言うなら明日にでも吸うぞ」
 そんなキースの軽口に片手を振って応えると、シドはその場を後にする。
 その素っ気ない後ろ姿を眺めながら、四歳児はポケットから取り出したミントタブレットを大量に口の中に放り込みガリガリとかみ砕いていた。
「うちのママ若いくせに厳しいからなぁ。……マルボロは買ってくれねぇだろうなぁ……」
 赤褐色の巻き毛をガリガリと掻くと、あのちびちゃんから説得してもらえないものかと新たな作戦を練りつつ、四歳児は一人、水族館を出て行った。